親父の車遍歴:番外20(パイクカー編【後編】:バブルの時代はパイクカーの絶頂期でした。)

2024年2月23日

1.はじめに

 本編(その9)と(番外6)から(番外16)の、計11回(番外15除く)、バブルの時代に輝いていたクルマたちをご紹介しました。そしてこの時代には、これらのクルマたちとは違う路線で、人々をわくわくさせてくれるクルマたちがいました。

(場外19):パイクカーのご紹介【前編】
(場外19):
パイクカーのご紹介
【前編】
本編(その9):ローレル編
本編(その9):
ローレル編

 そのクルマたちはパイクカー(尖った車)と呼ばれ、日産が「Be-1」を皮切りに、まるでお家芸のように5台の魅力的なパイクカーを世に送り出しました。パイクカーは、特に当時流行った日本初、世界初といった最先端の機能、性能とは無縁の現行車ベースのクルマでしたが、見ているだけとても元気な気持ちになりました。

 ということで、【前編】【後編】の2回に渡り、そのパイクカーたちをご紹介したいと思います。前回【前編】では、パイクカーの誕生から絶頂期に向かう頃のご紹介をしました。今回【後編】では、バブルの絶頂期に世の中を輝かせてくれた宝石のようなクルマや、パイクカーでありながら販売競争の矢面に立たされ、ちょっとかわいそうだったクルマなどをご紹介したいと思います。

 なお本ブログは、私のつたない昔の記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。

2.宝石のようなクルマ

2-1)「ポルシェ356」をデフォルメ(?)

(番外13):「平成ABCトリオ」のご紹介【前編】
(番外13):
「平成ABCトリオ」
のご紹介【前編】

 「フィガロ」は、1989年に開催された第28回東京モーターショー(以下東京MS)でお披露目されました。「平成ABCトリオ」【前編】でもご紹介したように、第28回東京MSは展示会場を東京晴海から幕張メッセに移して開催され、バブルの真っただ中ということもあり、空前の盛り上がりでした。

 国内外の自動車メーカー各社から、様々な魅力的なクルマが展示される中で、日産ブースで宝石のような輝きを放っていたのが「フィガロ」でした。なんともクラシカルで哀愁を漂わせるエクステリアデザインは、私には「ポルシェ356」を美しくデフォルメしたようにも映り、とても魅力的でした。

「フィガロ」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)
「フィガロ」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)

 そして「フィガロ」は、1991年2月に市販されました。「Be-1」「パオ」と同じく、ベースは「マーチ」でしたが、こちらはターボ付きのATのみの設定となっていました。

 オープントップを思わせるエクステリアデザインでしたが、こちらはさすがに「マーチ」がベースということで、ルーフトップのみが開閉可能となる、セミオープントップでした。ただその開口部は普通のサンルーフとは違い、リアガラスまで開閉できたので、なかなかの開放感が味わえたようです。

 インテリアもホワイト基調でおしゃれにまとめられており、白い本革シート、白いインストパネルとメーター類、白い各種SW類など、あらゆる部分が専用デザインで入念に造り込まれていました。

 ボディカラーは、宝石をイメージしたジュエリーカラーの4色「エメラルド」「ペールアクア」「ラピスグレイ」「トパーズミスト」が用意されていました。ちなみにTV番組で、バナナマンの日村さんが乗っている黄色い「フィガロ」は純正色ではありません。

2-2)ノリノリのマーケティング

 時代は、その後急速に襲ってくる厳しい時代のことなど知る由もなく、完全に皆が(私も)バブルの時代の中で浮かれていました。日産もノリノリで、「東京ヌーベルバーグ」と謳い「フィガロ」を使った3本の短編オムニバス映画「フィガロストーリー」の制作・上映をしていました。

 「フィガロ」のようなクルマは話題性が極めて高いので、凝ったマーケティング無しでも十分売り切ることができます。それにこれだけのマーケティング費用を投入するとは、日産がこの「フィガロ」で、更なるイメージアップを図ろうとしたのか、よほど景気が良かったかはよく分かりません。

 販売方法もなかなか凝っていて、2万台の限定生産で、その生産分を抽選で販売するという方法でした。抽選に申し込むと自動的に「フィガロ クラブ」の会員となり、おしゃれ(?)な会員カードと会報誌が送られてきたそうです。

「フィガロ」の会員カードのイメージ(パワポで作成)
「フィガロ」の会員カードのイメージ(パワポで作成)

 ちなみに、このときの当選率がどうだったかはよく分かりませんが、もし会員になって気持ちが高ぶっている中で落選した人は、本当にお気の毒だったと思います。

3.どこでもRV

3-1)SUVの草分け

 「ラシーン」は、1993年に開催された第30回東京MSでお披露目され、1994年12月に発売されました。いままでご紹介した「Be-1」「パオ」「エスカルゴ」「フィガロ」たちとは違い、台数限定、期間限定ではなく、正式なカタログモデルとしてラインアップされました。

(番外11):「新生GT-R」のご紹介【前編】
(番外11):
「新生GT-R」
のご紹介【前編】

 とはいえ「ラシーン」はパイクカーに属するクルマで、4WDモデルでありながら、スタイリッシュで都会的な洗練されたエクステリアデザインでした。当時は三菱の「パジェロ」が全盛期で、「新生GT-R」のブログでもご紹介したように、4WDといえば、オフロード走行を前提としたクロカン系が主力で、「ラシーン」のような「シティランナバウト」といったコンセプトのクルマはありませんでした。

 当時はまだSUV(Sports Utility Vehicle)というカテゴリーはなく、「ラシーン」を含めた4WD車や、今でいうミニバン系の1BOXカーは、みんなRV(Recreational Vehicle)というカテゴリーに括られていました。

 ベースは、「サニー」のビスカスカップリング方式のフルタイム4WDモデルで、クロカンを楽しむというよりは、普段はおしゃれに街中を乗りこなし、たまに仲間とスキーに行くときに意外と頼りになるといったクルマでした。

「ラシーン」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)
「ラシーン」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)

3-2)徐々にマッチョに

 当時ライバルというには少し微妙でしたが、その微妙なライバルたちであるトヨタの「RAV4」やホンダの「CR-V」には、2.0リッターエンジンが搭載されていました。「ラシーン」には、当初1.5リッターのGA15DE(105馬力)が搭載されていましたが、販売現場の強い要望に応えるべく、1997年のマイナーチェンジで1.8リッターのSR18DE(125馬力)に、そして1998年の「ラシーン フォルザ」というスポーティグレードの追加の際には、2.0リッターのSR20DE(145馬力)が搭載されました。

 4WDシステムも、1997年のマイナーチェンジから、「アテーサ」というブルーバードなどに採用されていた日産の誇る高性能4WDシステムに変更されています。

 当時の日産のラインアップには、「RAV4」「CR-V」の対抗馬が不在で(2000年にようやく「エクストレイル」が発売されました)、「ラシーン」が孤軍奮闘せざる負えませんでした。

 そしてデビュー当初のエレガンスなイメージから徐々にマッチョに変わっていき、モデル末期には前述の「ラシーン フォルザ」いった、当初のコンセプトから大きくスライスしたモデルまで登場しました。こうなってくるとさすがに「ラシーン」が、かわいそうになりました。つらかったと思います。

3-3)今でも「ラシーン」が!

 「ラシーン」は2000年まで販売され、日産が極めて厳しい時期だったにもかかわらず、累計販売台数は7万台強にも上りました。そして現在でも中古車市場で高い人気となっており、私がよく行くゴルフ練習場の近くには、常時10台ほど展示してある「ラシーン」専門の中古車販売店があるほどです。

「ラシーン」専門店のイメージ(実際のお店とは何の関係もありません。)
「ラシーン」専門店のイメージ(実際のお店とは何の関係もありません。)

 ちなみに「ラシーン」という名前は、いわゆる航海に使う「羅針盤」に由来しており、日産はこの時期にまだ普及が始まったばかりのインターネットの日産のホームページを「日産羅針盤」と称して開設し、その名前は長い間親しまれてきました。

4.日産以外のパイクカーたち

(番外14):「平成ABCトリオ」のご紹介【後編】
(番外14):
「平成ABCトリオ」
のご紹介【後編】

 パイクカーは日産のお家芸ということで、パイクカーとはあえて呼ばれていませんでしたが、東京MSに参考出展され、その後市販された2台の尖がったクルマ、トヨタの「セラ」とマツダ「AZ-1」をご紹介します。

 この2台はドアの開き方が特徴的で、2台ともガルウイングドアを採用しています。「AZ-1」は、天井ヒンジで上方に開くタイプで、こちらはトラディショナルなガルウィングドアでした。

 一方「セラ」は、「平成ABCトリオ」【後編】でもお話しましたが、「ランボルギーニ カウンタック」ような前ヒンジの前方開きでした。ただ「セラ」の場合は、前方だけではなく少し外側にも開くということでカタログの中でも、シザースドアではなくガルウイングドアと謳われていました。

4-1)トヨタ「セラ」

 「セラ」は1987年開催の第27回東京MSで、「トヨタAXV-Ⅱ」という名で参考出展されました。そして1989年開催の第28回東京MSでは「セラ」という名で、市販を前提としたプロトタイプモデルが出展されました。そして、翌年の1990年3月から販売が開始されました。

「セラ」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)
「セラ」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)

 ベースはトヨタのコンパクトカー「スターレット」ですが、前述の通りガルウイングドアを採用しているのが、最大の特徴でした。

 そのガルウイングドアのサイドウインドウ部分は天井まで回り込んでおり、ドアを開けたときの乗降性はもちろんのこと、その走行時の解放感はオープントップに近いものでした。寒い冬でもオープントップ感覚でドライブできるということですが、真夏の屋根の無い駐車場にしばらく止めた後の室内温度は、想像を絶するものだったと思います。

「セラ」の俯瞰図(キャビンのほどんどがガラスで覆われています)
「セラ」の俯瞰図
(キャビンのほどんどがガラスで覆われています)

4-2)マツダ「AZ-1」

 「AZ-1」は「平成ABCトリオ」【後編】でもご紹介しましが、1989年開催の第28回東京MSで参考出展され、1992年10月に市販されました。前述の通り「AZ-1」の最大の特徴は、ガルウイングドアが採用されいることでした。

 エンジンマウントと駆動方式は、ミッドシップエンジンマウントの後輪駆動、エンジンは、ターボ付き水冷直列3気筒4バルブDOHCエンジンで、エクステリアデザインも非常に洗練されており、軽のスーパーカーと呼べるほどの出来栄えでした。

「AZ-1」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)
「AZ-1」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)

5.各車の主要諸元

 下表に、「フィガロ」「ラシーン」「セラ」(「AZ-1」は「平成ABCトリオ」【後編】参照)の主要諸元を示します。【前編】で書いたことの繰り返しになってしまいますが、3車とも現行車ベースということで、性能面で尖がったところはまったくありません。ハイパワーエンジンや最先端の装備を搭載していなくても、クルマが人々の生活を豊かにしてくれることを、パイクカーたちは教えてくれました。

「フィガロ」「ラシーン」「セラ」の主要諸元

6.おわりに

 以上が、【前編】【後編】の2回に渡るパイクカーのご紹介となります。

 今後ますます、クルマの電動化や自動運転技術が進化していくと思います。ただそれに伴いクルマが、まるでロボットのような無機質な道具になってしまうのかといえば、それは違うと思います。そのことを、今回パイクカーたちが思い出させてくれました。

 そしてこれからも、安全、便利、環境に優しいといった機能・性能面だけではなく、パイクカーのように見ているだけで、人々の心を和ませてくれるようなクルマが生まれてくることを願っています。

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