親父の車遍歴:番外14(平成ABCトリオ編【後編】:今回は「AZ-1」と大御所のオープンカーです。)

2024年2月23日

1.はじめに

 本編(その9)、(番外6)から(番外12)の8回に渡り、バブルの時代に輝いていた日産車たちをご紹介しました。そしてバブルの時代は日産車に限らず、他の自動車メーカーの多くの車たちも輝いていました。

本編(その9):ローレル編
本編(その9):
ローレル編

 輝いていた車たちを数え上げたらキリがありませんが、そんな中でも特に際立っていたのが、軽自動車枠(以下軽)のスポーツカーたちです。その代表格が、ホンダの「ビート」、スズキの「カプチーノ」、マツダの「AZ-1」でした。

 そしてその3台は、いつの日からか「平成ABCトリオ」と呼ばれるようになっていました。Aは「AZ-1」、Bは「ビート(Beat)」、Cは「カプチーノ(Cappuccino)」となります。

 当時まだ社会人としてて駆け出しのころで、我が愛車「ケンメリ」を維持するだけで精一杯だったので、「平成ABCトリオ」は、手に入れたくても入れられない、とても気になる存在でした。

「平成ABCトリオ」たち(国産名車コレクション付録ミニカー)
「平成ABCトリオ」たち(国産名車コレクション付録ミニカー)
(番外13):平成ABCトリオ【前編】
(番外13):平成ABCトリオ【前編】

 ということで、【前編】【後編】の2回に渡り、この「平成ABCトリオ」をご紹介したいと思います。前回【前編】では「ビート」と「カプチーノ」のご紹介をしましたが、今回【後編】では、「AZ-1」と、軽の大御所ダイハツが当時販売していた軽のオープンカーについてお話ししたいと思います。

 なお本ブログは、私のつたない昔の記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。

2.「AZ-1」

 「AZ-1」は「平成ABCトリオ」の中で一番最後となる、1992年10月にデビューしました。「AZ-1」の最大の特徴は、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でおなじみの「デローリアン」ばりの、天井ヒンジの上方開きのガルウィングドアで、さながら軽のスーパーカーともいえる完成度の高いエクステリアデザインでした。

 ガルウィングドアといえば、まず最初に「デローリアン」ではなく、伝説のスーパーカー「ランボルギーニ カウンタック:以下カウンタック」が思い浮かびます。

 実は私も長い間勘違いをしていましたが、「カウンタック」のような前ヒンジの前方開きのドアは、シザースドア、シザードア(ハサミのような開き方をするドア)とか、ジャックナイフドア(ジャックナイフのような開き方をするドア、でもジャックナイフは少し開きすぎだと思います)というのが正しいようです。

 確かにガルウイングというのは、カモメの翼という意味なので、そう考えればしっくりします。

「AZ-1」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)
「AZ-1」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)

 エンジンマウントと駆動方式は、「ビート」と同じくミッドシップエンジンマウントの後輪駆動、エンジンは、「カプチーノ」と同じく「アルト ワークス」のターボ付き水冷直列3気筒4バルブDOHCエンジンでした。

 前回【前編】でご紹介した第28回東京モーターショー(以下東京MS)では、「AZ550」という名で出展されていました。「AZ550」はタイプA、B、Cがあり、タイプAは「AZ-1」のベースモデル、タイプBはオーソドックスなクーペスタイル、タイプCはレーシングカースタイルで、タイプAのみが、「AZ-1 」として市販されました。

 「AZ-1」はスケルトンモノコックという、骨格のみでモノコックボディを構成していたので、外板を変えることで、タイプA、B、Cといったように、いろいろなボディスタイルが自由自在に造ることができたようです。

 「AZ-1」は1995年9月までの3年間販売され、「平成ABCトリオ」の中では一番短命でした。販売台数も4500台ほどで、3車の中では極端に少ない台数になっています。

 これは、発売時期が少し遅くバブルの時代がすでに崩壊していたこと、3車の中では一番尖がっており好き嫌いが分かれそうだったこと、ガルウィングドアを開けたときに車高が1.5倍近くになり駐車場などの制約があったりして実用性が少し低かったこと、などが想定されます。ちなみに価格は150万円ほどで、「ビート」より少し割高で、「カプチーノ」とはほぼ同等でした。

 「AZ-1」は、マツダの軽を中心に扱う販売チャネル「オートザム」で販売されていました。当時マツダは国内販売台数増大を狙い、販売チャンネルを5チャネルに拡大し、怒涛の新車攻勢をかけていました。そしてバブルの時代の崩壊とともマツダは重度の経営不振に陥り、まもなく資本提携先だったフォードの傘下に入ることになりました。

3.そういえばダイハツは?

 「平成ABCトリオ」をご紹介し終えたところで、ふと軽の大御所であるダイハツの名前が出てきていないことに気付きました。そういえばダイハツといえば「コペン」があるのではないか?と少し調べてみました。

 そうすると「コペン」の発売は2002年6月で、「平成ABCトリオ」より10年もあとでした。

「コペン」の幻
「コペン」の幻

 ではダイハツは、この「平成ABCトリオ」の盛り上がりを黙ってみていたのかというと、そうではなく前述の第28回東京MSで、「リーザ」ベースのオープン2シーターの「リーザ スパイダー」が参考出展され、1991年11月に発売されていました。

「リーザ スパイダー」のイメージ(パワポで作成)
「リーザ スパイダー」のイメージ(パワポで作成)

 ただ時代の先を行く斬新な「平成ABCトリオ」に比べると、現行車の「リーザ」のルーフを切り、ボディを補強し、やっつけ的な幌を付けたといった、とても残念なモデル(ダイハツの皆さん、すいません)でした。特に幌をかけたクローズドのときのシルエットは、目をおおわんばかりだったようです。

 そして、この「リーザ スパイダー」2年間に400台ほど販売した後に、静かに姿を消しました。そしてこのときのダイハツの屈辱が、いまでも現役の名車「コペン」を生み出したのではないかと思います。

本編(その8):R30編
本編(その8):
R30編

4.軽の64馬力

 「平成ABCトリオ」は、3台ともエンジン出力が64馬力です。以前本編(その8)でご紹介したように当時は、「史上最強のスカイライン」を皮切りに「パワー戦争」に突入しており、軽も例外ではありませんでした。

 そしてスズキが、1987年2月に「アルト ワークス」に64馬力のエンジンを搭載したところで、行政指導が入りました。その後軽の規格がかわり、エンジン排気量が550㏄から660㏄に上っても、それは変わりませんでした。

 登録車の自主規制の280馬力は、2000年代初頭ににホンダが「レジェンド」に300馬力エンジンを搭載したあたりから緩み始め、最新型の日産「GT-R」ではなんと600馬力にまで達しています。

 それに対し、軽はいまだに64馬力が守られており、EVの日産「サクラ」や三菱「eKクロスEV」の出力までが64馬力相当の47kWとなっています。

 世の中を熱くしてくれた「平成ABCトリオ」はとっくの昔に姿を消し、その後「ビート」の後継として復活した「S660」も昨年3月に販売が終了しました。そして今では軽のスポーツカーとして残るのは、唯一ダイハツ(トヨタも販売)の「コペン」のみとなっており、「パワー戦争」はもはや過去のものとなっています。

 現在の軽に求められるのは、馬力というよりは、ハイトワゴンに代表されるような使い勝手やスペース効率となっているので、いまさら64馬力であろうがなかろうが、大した問題ではないのかもしれません。

5.「平成ABCトリオ」の主要諸元

 「平成ABCトリオ」の主要諸元を下表に示します。各車軽の規格すれすれで造られているので、全長と全幅はまったく同じです。エンジンパワーは3車とも、前述の自主規制上限の64馬力ですが、ノンターボの「ビート」だけトルクが少し小さくなっています。

「平成ABCトリオ」の主要諸元
軽規格すれすれで造られている「平成ABCトリオ」
軽規格すれすれで造られている「平成ABCトリオ」

6.おわりに

 以上が、【前編】【後編】の2回に渡る「平成ABCトリオ」のご紹介になります。今では前述の「コペン」を除き、軽の個性豊かなスポーツカーたちは消えてしまいました。そしてどの軽を見ても、食パンにタイヤを4つ付けて走っているような、エンブレムを見ないと区別がつかないハイトワゴンばかりになってしまいました。

 「AZ-1」は販売台数が少ないのでほとんど見かけなくなってしまいましたが、「ビート」と「カプチーノ」は天気のいい休日に、ナイスシニアのご夫婦がそれらしい粋なファッションで決め、オープンエアのドライブを楽しんでおられるのをたまに見かけることがあります。まるで長年連れ添ったペットを散歩させているようで、なんともほっこりとした気分にさせてくれます。

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