親父の車遍歴:その8(6代目スカイライン(R30)編:伝統の走りは復活したものの。。。)

2024年2月23日

1.はじめに

 前回(その7)では、「5代目スカイライン(GC210):以下ジャパン」が、ターボエンジンの搭載によりようやく本来の走りを取り戻したころのお話をしました。そして「ジャパン」も、フルモデルチェンジの時期を迎え、「6代目スカイライン(R30):以下R30」にバトンタッチしました。

 「R30」は、CMに俳優のポールニューマンさんを起用していたので、「ニューマンスカイライン」ともいわれていましたが、「ハコスカ」「ケンメリ」「ジャパン」ほどハマっていなかったので、このブログでは「R30」とさせていただきます。

前回(その7):ジャパン編
前回(その7):ジャパン編

 親父は、モデルチェンジ直後にお約束のように、この「R30」に乗り換えました。親父は「スカイライン」がけっこう気に入っていたようで、我が愛車となる「4代目スカイライン(GC110):以下ケンメリ」から始まり、「ジャパン」、「R30」と3代に渡り「スカイライン」を乗り継ぎました。

 今回(その8)では、「R30」が伝統の4バルブDOHCエンジンを復活させ、さらなる走りの進化をとげたときのお話をしたいと思います。時代は昭和50年代の後半となり、前回同様に私が学生時代を謳歌しているころとなります。

 なお本ブログは、私の昔の記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。

2.「ハイソカー」と「R30」

2-1)ハイソカーブーム

 「R30」が発売される少し前に、トヨタから「初代ソアラ:以下ソアラ」が発売されました。「ソアラ」は、「高級車」と「スペシャリティカー」を融合させた、新しいセグメントの車として世間の注目を集め、「ハイソカー」ブームの先駆けとなりました。そして1984年にフルモデルチェンジした「5代目マークⅡ(70系):以下マークⅡ(70系)」が、この「ハイソカー」ブームを決定づけました。

 そもそも「ハイソカー」とは、と問われても明確な定義はありませんが、当時の該当する車のイメージから察すると、ビュアホワイトのボディカラーに、分厚いモケットのシート、さらにはえんじ色でボタン止めしてあればベストといった車の分類となります。

前々回(その6):2代目マークⅡ編
前々回(その6):2代目マークⅡ編

 なぜこれほどまでにブームになったのかというと、これはまったくの私見ですが、我が愛車「ケンメリ」や、前々回のブログ(その6:2代目マークⅡ編)でご紹介したブタケツの「ローレル」を、シャコタン八の字にして走っていた若者たちが、少しだけ歳を重ねそろそろ落ち着いた大人の車をイメージすると、ちょうどこの「ハイソカー」になったのではと思います。

2-2)「R30」は我が道を行こうとしたが?

 そんな「ハイソカー」ブームに火が付きかけている中で、「R30」は時代に逆行(?)するかのように、内外装ともにとてもシンプルなデザインでした。「ハイソカー」ブームさえこなければ、これはこれで車の正しい方向ではないかと思いましたが、なにせ多勢に無勢で「R30」はとても質素な車となってしまいました。 

 「R30」のスポーツグレードのシートは、強化樹脂フレームを採用した一体成型で、フリーシートセッターというレバーひとつで座面を調整できる新機構が付いたりして、技術的には進んだものでした。ただ残念ながら、えんじ色のボタン止めのしてあるふかふかのシートが全盛の中では、とてもチープなシートに見えてしまいました。

 ボディデザインは、ウエッジシェープを効かせた一目で「スカイライン」と分かるものでした。このころから樹脂製のサイドプロテクターが主流になってきていたので、「3代目スカイライン(GC10):以下ハコスカ」から続いた伝統のサーフィンラインは姿を消し、一応こだわりとして後方にかけて徐々に幅が広がっていくというサーフィンプロテクター(?)が付いていました。

 リアビューは、伝統の丸形4灯のリアコンビランプが踏襲されましたが、その周りのデザインがあまりにシンプルなので、親父は販売店オプションで用意されていた「ごまかしシール(?)」を貼りました。そんなものが用意されているということは、このデザインがあまりにもシンプルすぎると、日産も考えていたのではと思いました。

「R30」のリアビュー:「ごまかしシール(?)」を貼る前(左)、貼った後(右)(パワポで作成)
「R30」のリアビュー:「ごまかしシール(?)」を貼る前(左)、貼った後(右)(パワポで作成)

3.史上最強の「スカイライン」

3-1)伝統の4バルブDOHCエンジン復活

「S20」(左)と「FJ20」(右)のカムカバー
「S20」(左)と「FJ20」(右)のカムカバー(パワポで作成)

 「R30」がフルモデルチェンジされたころから、日産からいよいよ「S20」エンジンの血統を引く2リッターの4バルブDOHCエンジンが復活するという噂で持ちきりでした。そしてフルモデルチェンジから2ヶ月遅れで、待望の新設計エンジンが登場しました。

 そのときは誰もが、直列6気筒4バルブDOHCエンジンを搭載した「GT-R」が復活することを信じていたのですが、なぜか登場したのは直列4気筒4バルブDOHC「FJ20E」エンジンを搭載する「RS」グレードでした。

3-2)早速試乗に

 前回(その7)では「ジャパン」ターボに試乗したときのお話をしましたが、今回も一応「スカイライン」オーナーの上客ということで、快く試乗させてもらいました。

 まずエンジンを空ぶかしすると、久しぶりにDOHCエンジンらしい分厚くも心地よい吹け上りを体感できました。残念ながら「S20」エンジンの搭載された車には乗ったことがありませんが、どちらかといえばトヨタの排ガス規制前の元気の良かったころの2リッター直列4気筒DOHC(4バルブではありません)「18R-G」エンジンに近いフィーリングではないかと感じました。

 そしていざ発進すると、「ジャパン」ターボのときとは違い、走り出しからすぐに気持ちよくタコメーターの針は上がっていきました。なぜ直列6気筒でないの?という疑問は残しつつも、これはこれでなかなか素晴らしいエンジンで、さすが日産、と思いました。

3-3)なんと190馬力

 私の記憶では当時のエンジンの最高出力は、「ソアラ」などに搭載されていた2.8リッターの直列6気筒DOHC(4バルブではありません)「5M-GEU」エンジンの170馬力と記憶しています。まあ2.8リッターもあればと、なんとなく思っていた矢先にいきなり「史上最強のスカイライン」というキャッチコピーを引っさげて、「FJ20E」エンジンにターボを付けて190馬力となった「ターボRS」が登場しました。

 当時は、ターボエンジンとDOHCエンジンの戦いなどといわれていましたが、1982年にトヨタがその両者を合体させた1.8リッターの「3T-GTEU」エンジンを160馬力で登場させました。そしてその翌年早々に日産は、それを大きく上回る190馬力の超ド級「FJ20ET」エンジンを登場させて、トヨタにカウンターパンチを食らわせました。

 その後、「FJ20ET」エンジンはインタークーラーが付けられ205馬力まで引き上げられました。こうなってくると、もう羊だとか狼だといっていたのは昔の話となり、いよいよ「パワー戦争」に突入していきました。そして280馬力まで上がったところで、お役所から待ったがかかり自主規制が行われるようになりました。

「R30」の外観:「ターボRS」(左)、「ターボGT」(右)(国産/日産名車コレクション付録ミニカー)
「R30」の外観(ハードトップ):「RS」(左)、「ターボGT」(右)(国産/日産名車コレクション付録ミニカー)

4.主要諸元

 「R30」の各グレードの主要諸元を下表に示します。親父の車は「ターボRS」や「ターボGT」ではなく、ノーマルエンジンの「GTEX」グレードでした。エンジンはおなじみの「L20E」エンジンですが、馬力は少し落ちたものの、大幅な改良が加えられ「ケンメリ」「ジャパン」と同じエンジンとは思えないほど、レスポンスが良かったことを記憶しています。

「R30」の主要諸元

5.「スカイライン」の歴代高性能エンジンたち(参考)

 今回ご紹介した「史上最強のスカイライン」の「FJ20E/ET」エンジンを含め、その時代ごとの「スカイライン」の最強エンジンを下表にまとめてみました。厳しい排ガス規制に牙を抜かれている時代は、はずかしながら我が愛車「ケンメリ」の「L20E」エンジンが、「スカイライン」の最強のエンジンだったことになります。

「スカイライン」の歴代高性能エンジン

6.時代の移り変わり

6-1)「ハイソカー」になった次期型

 「R30」は、前述の高性能エンジンの投入や、「パサージュ」という豪華グレードの設定などで防戦しましたが、「ハイソカー」のシンボル的な存在の「マークⅡ(70系)」の3兄弟(マークⅡ、チェイサー、クレスタ)には、まったく歯が立ちませんでした。

 そして1985年に登場した「7代目スカイライン(R31):以下R31」には、直列4気筒ではなく直列6気筒の4バルブDOHCエンジン(RB20DE/DET)が搭載されましたが、無理して「ハイソカー」ブームに追従しようと、4ドアハードトップ、4ドアセダンの2ラインナップの、豪華なのかスポーティなのかよく分からない車に生まれ変ってしまいました。

 元祖「スカイライン」ファンの私としては、これはもはや「スカイライン」とは呼べない車になってしまったと思うと共に、「R30」が、「3代目スカイライン(S54 )」から続く「スカイライン」の伝統を受け継ぐ、最後の車になったのだと思いました。 

6-2)軌道修正するも

 その後「R31」は、スペックの割にいまいちだった「RB20DE/DET」エンジンの改良と、2ドアクーペの追加、グループAのホモロゲーションモデル「GTS-R」の投入などがあり、再び「スカイライン」らしさを取り戻し「8代目スカイライン(R32):以下R32」にバトンタッチしました。

 「R32」では、直列6気筒4バルブDOHCツインターボの「RB26DETT」エンジンを搭載した、待望の「GT-R」が復活しました。しかしバブルの終焉と共に、一世を風靡した「ハイソカー」ブームもいつのまにやら過ぎ去り、時代の流れはミニバンやSUV(Sports Utility Vehicle)に移っていきました。

 そして今では、「スカイライン」の名がいつまで残るかといった話になっています。同じ価格帯で「ベンツCクラス」や「BMW3シリーズ」が買えるので、国産車の上級セダンを残すことが、如何に難しいかは重々承知していても、街中に「ケンメリ」や「ジャパン」があふれ返っていた時代を知っているだけに、とても残念です。

7.おわりに

 以上が、「R30」のご紹介になります。あと少しで「親父の車遍歴」も最終章を迎えるので、ついつい「スカイライン」の話に熱が入ってしまいました。

 近年、車を取り巻く環境が大きく変わり、それに対応すべくEVへのシフトが着々と進められています。そんな中でも、我が愛車「ケンメリ」をドライブするときだけは、私を含めたクルマ好きたちが、熱くクルマのことを語り合っていた「昭和の良き時代」の思い出に浸りたいと思います。

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