親父の車遍歴:番外21(エクサ編:走る逆さ出刃包丁、パイクカーと同じぐらい目立っていました。)

2024年2月23日

1.はじめに

 (番外19)(番外20)と2回に渡り、日産が「Be-1」を皮切りに、次々と世に送り出したパイクカー(尖がった車)たちをご紹介しました(一部他社車含む)。

(番外20):パイクカー【後編】
(番外20):
パイクカー【後編】
(番外19):パイクカー【前編】
(番外19):
パイクカー【前編】

 そのパイクカーたちが登場する少し前に、なんとも奇抜で、カッコいいのか変なのか分からない「初代パルサーエクサ(EXA):以下初代エクサ」というクルマが存在しました。そのクルマはパイクカーと同じぐらい尖っており、小さいながらとても目立つ存在でした。

 ということで、今回はこの「初代エクサ」と、そのあとを継いだ「2代目エクサ」、そして「エクサ」のご先祖様となる「チェリークーペ」をご紹介をしたいと思います。

 なお本ブログは、私のつたない昔の記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。

2.「初代エクサ」誕生

2-1)かっこいい(?)クルマ

本編(その7):ジャパン編
本編(その7):
ジャパン編

 「エクサ」は、「初代パルサー(N10)」のクーペモデルの後継として1982年4月に、「2代目パルサー(N12)」のセダン、ハッチバックと共にデビューしました。

「ジャパン(左)」と「ラングレー(右)」
(トミカプレミアムの「ジャパン」をベースに加工)
「ジャパン(左)」と「ラングレー(右)」
(トミカプレミアムの「ジャパン」をベースに加工)

 「初代パルサー」はウェッジの効いた直線的なデザインで、なかなかかカッコいいクルマでした。

 そのカッコいいボディに、同時期に販売されていた「5代目スカイライン(GC210):通称ジャパン」と、同じフロントマスクをまとった「ラングレー」というクルマも存在しました。

 そのシャープでカッコいい「初代パルサーファミリー」に対し、「2代目パルサー」のセダンやハッチバックは、なんともずんぐりとしたいまいちのデザインでした。そんな中で「初代エクサ」だけは、フロントをスラントさせ、そこにこのクラスでは珍しいリトラクタブルライトを配した、とても精悍なモデルでした。フロントウインドウは鋭く傾斜し、それに対しリアガラスはクリフカットまではいかないまでも、ほぼ垂直に立っているとても特徴的なデザインでした。

「初代エクサ」の外観
「初代エクサ」の外観
本編(その1):キャロル編
本編(その1):
キャロル編

 ちなみにクリフカットとは、本編(その1)でご紹介した「初代キャロル」のように逆ぞりしていないとそう呼べないそうです。

 ただ残念なことは、コンパクトクラスのディメンジョンの中で大胆なデザインを採用しているので、どことなく伸びやかさにかけ、少し寸詰まり感があることでした。本来であれば、これだけのカッコいい要素が備わっていれば、手放してカッコいいといいたいところでしたが、ちょっと微妙でした。

 そんな「初代エクサ」を見て口の悪いやつは、出刃包丁を逆さにして走っているようだ、といっていました。

「初代エクサ(上)」と「出刃包丁(下)」
「初代エクサ(上)」と「出刃包丁(下)」

2-2)ドアミラー第1号

 「初代エクサ」は1983年5月のターボモデルの追加タイミングで、その2ヶ月前に解禁になったドアミラーを国内で初めて採用しました。今では一部のタクシー仕様車を除き、ほとんどがドアミラーになっていますが、当時は、特にスタイリングを重視する「初代エクサ」などのスポーティカーにとっては悲願でした。

 我が愛車「ケンメリ」はもちろんフェンダーミラーですが、それはそれで車幅感覚がつかみやすく利点はありました(今でもタクシーで採用されているのはその理由もあるようです)。ただフロントフェンダーから、奈良公園の鹿の短い角のようなフェンダーミラーが生えているのは、お世辞にもカッコいいとは言えませんでした。

 そして「初代エクサ」からフェンダーミラーがなくなったことで、さらにそのシャープさは増しましたが、その分ますます逆さ出刃包丁に近づいたような気がしました。

3.カタチが変わる「2代目エクサ」

3-1)デザインは北米で

 「2代目エクサ」は、「3代目パルサーファミリー(N13)」のフルモデルチェンジの5ヶ月遅れの1986年10月にデビューしました。今まで頭に付いていた「パルサー」がとれて、立派に独り立ちしました。でもファミリーの一員でした。

 「初代エクサ」は国内市場でもそこそこの人気でしたが、北米市場ではその人気は絶大でした。コンパクトスポーツとして、そのひときわ目立つ外観と、スポーティーなハンドリングと、コスパの良さがアメリカ人のハートを射止めたようでした。

 そんな北米市場での人気を維持するために、「2代目エクサ」の車両デザインは日産の北米のデザインセンターNDI(Nissan Design International)が担当しました。NDIはアメリカのカリフォルニア南部の風光明媚なサンジエゴにあり、デザイナーたちが自由な発想でのびのびと仕事ができる環境だったようです。

 そんな中から生まれた「2代目エクサ」は、「初代エクサ」ほどエクステリアデザインは尖がっておらず、NDIらしいボディのエッジを柔らかく処理をしたなかなか端正なデザインでした。

 この頃のNDIは、「3代目フェアレディZ(Z31)以下:Z31」のマイナーチェンジを担当し、基本デザインはいいものの細部の仕上げがいまいちだった「Z31」をみごとに甦らしたりして、なかなかいい仕事をしていました。

NDIの手によって蘇った「Z31」
NDIの手によって蘇った「Z31」

 ただ同じくNDIが、少し後に担当した「レパード Jフェリー」は、北米市場ではまだしも、そのボディのエッジを柔らかくし過ぎて無くなってしまったようなデザインは、さすがに国内市場では無理があったようでした。

3-2)2つのボディタイプに

 「2代目エクサ」の大きな特徴は、クーペタイプとキャノピータイプの2つのボディ形状があることでした。というか、もともとのNDIのコンセプトは、リアのパーツを取り換えることでクルマのカタチを変えられる、ということだったのですが、国内ではお役所からの認可が下りなかったようで、結果的に2つのボディタイプを持つことになったようです。

 お役所の指示なのか、日産さんが真面目なのかよく分かりませんが、わざわざヒンジの部分の形状まで変えて、簡単にリアのパーツの着せ替えはできなくなっていました。ただクーペとキャノピーのリアパーツは取り外しが可能で、かつルーフもTバー形状になっていたので、フルオープンに近い雰囲気を味わうことはできたようです。

 取り外したパーツは車内に収納することはできないので、パーツを置いておくためのラックがオプションで用意されていましたが、どれだけの方がご利用されていたかは不明です。

「2代目エクサ」の外観:ホワイトがクーペ、レッドがキャノピー
「2代目エクサ」の外観:ホワイトがクーペ、レッドがキャノピー

3-3)数々の賞は受賞したものの

 「2代目エクサ」は、もともとのコンセプトを国内市場では活かすことができず、販売はいまひとつでした。個人的には特にキャノピータイプのスタイルは、なかなか斬新でカッコいいと思いましたが、残念な結果に終わったようです。

 ただ玄人筋からの評価は非常に高く、「3代目パルサーファミリー」たちと共に日本カーオブザイヤーを受賞したり、当時の通産省が選定するグッドデザイン大賞を受賞するなど、海外も含めて様々な賞を受賞しました。

 玄人筋からの評価と、販売実績がリンクしないことはたまにありますが、「2代目エクサ」も、その中の一つになったようです。

4.「エクサ」のご先祖様は「チェリークーペ」

4-1)セダンの1年遅れでデビュー

 「初代チェリー」は、日産初のFF(Front engine Front drive)車として、1970年9月にデビューし、その1年後の1971年9月に「エクサ」のご先祖様にあたる「チェリークーペ」が追加されました。

 セダンタイプの「チェリー」対し、「チェリークーペ」のCピラーなのかトランクリッドなのか表現に困るようなリアスタイルは、「初代エクサ」に勝るとも劣らないほど尖っていたのはないかと思うと共に、我が愛車「ケンメリ」のハードトップに通ずるものがありました。

「初代チェリーセダン」の外観
「初代チェリーセダン」の外観

4-2)「チェリーX1-R」とは

 「チェリークーペ」が追加されてからしばらくたった1973年3月に、「チェリーX-1R:以下X-1R」が登場しました。もともと「チェリークーペ」には「X-1」というスポーティグレードがありましたが、それをベースにブレーキやサスペンションなどの足回りをレーシング仕様にチューンナップし、さらにはただでさえ目立つボディにオーバーフェンダーまで装着していました。

 前述の通り、我が愛車「ケンメリ」のハードトップに通ずるリアスタイルは、オーバーフェンダーを装着することで、まるで「ケンメリGT-R」のように精悍に仕上がっていました。

 エンジンは「X-1」のままでしたが、そもそもが名器といわれる1.2リッター直列4気筒OHVのA12型にツインキャブレターが武装されていたので、「X-1」に対し50kgほど軽量化されたボディを軽快に走らせることは、いとも簡単なことだったのではないかと思います。

「ケンメリGT-R(上)」と「チェリーX-1R(下)」(パワポで作成)
「ケンメリGT-R(上)」と「チェリーX-1R(下)」(パワポで作成)

5.各車の主要諸元

 「初代エクサ」「2代目エクサ」「チェリーX-1R」の主要諸元を下表に示します。パワーウエイトレシオは各車ともスポーティカーの一つの目安(当時)であるパワーウエイトレシオが10を切っていますが、特に「チェリーX-1R」は8.0で、そのじゃじゃ馬ぶりがうかがえる数値となっています。

 ちなみに我が愛車「ケンメリ」の数値は9.2で、一応スポーティカーの水準にはなっていますが、とても疑わしく思われます。

「初代・2代目エクサ」、「チェリーX-1R」主要諸元

6.おわりに

 以上が、「初代エクサ」と、そのあとを継いだ「2代目エクサ」、そして「エクサ」のご先祖様となる「チェリークーペ」のご紹介になります。そして2代続いた「エクサ」でしたが、1990年8月に発売された「4代目パルサー(N14)」では、ファミリーを構成していた「ラングレー」「リベルタビラ」と共に姿を消していました。

 実質的に「エクサ」は、「サニー」のクーペモデル「RZ-1」の後継モデルとなる、1990年1月に登場した「NXクーペ」に統合された形となりました。ただ「NXクーペ」は、どちらかというと「サニー」のクーペ版に近い位置付けに感じました。ちなみにこの「NXクーペ」も、NDIのデザインでした。

「NXクーペ」の外観
「NXクーペ」の外観

 そしてコンパクトクラスのスポーティモデルとして活躍した「エクサ」も「NXクーペ」も、その後継は今はもういなくなりました。強いていればセグメントは違いますが、もう一台の我が愛車「ジューク」、その実質的な後継の「キックス」なのかもしれません。

 ちなみに海外では、さらにカッコよくなった「2代目ジューク」が走り回っています。いろいろな諸事情はあるとは思いますが「2代目ジューク」が、法外な値付けをされることなく、国内にも投入されることを願っています。

<我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口>

 我が愛車ケンメリとの様々なエピソードや、私の記憶の中にしっかりと刻まれている数々の往年の名車たちをご紹介していますので、ぜひご覧になってください。

我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口
我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口