親父の車遍歴:番外9(フェアレディZ(Z32)編【前編】:「スープラ」がライバル?)
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1.はじめに
本編(その9):ローレル(C33)編で、バブルの時代に輝いていた日産車たちをご紹介しました。その中から、完璧なスーパースポーツカー「4代目フェアレディZ(Z32):以下Z32」と、私は少し違うと思っていましたが、一応当時「フェアレディZ:以下Z」のライバルいわれていたトヨタの「スープラ」を、【前編】【後編】の2回に分けてご紹介をしたいと思います。
今回【前編】では、まずはおきまりの前振り(?)ということで(「スープラ」ファンの皆さん、すいません)、ライバルの「スープラ」を中心にご紹介します。
なお本ブログは、私のつたない昔の記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。
2.はじめは「セリカXX」
2-1)「2代目セリカ」のロングノーズ版
「初代セリカ」の爆発的な人気を博しましたが、「2代目セリカ」は北米市場を強く意識したデザインがゆえに、日本市場ではいまいちパットしませんでした(北米のトヨタのデザインセンターがデザインしていたようです)。
「初代スープラ」は、その「2代目セリカ」のフロントノーズを伸ばして、2.0リッターと2.6リッターの直列6気筒エンジンを搭載し、「セリカXX」という名前で1978年4月にデビューしました。北米では「XX」という表記が、とある理由で好ましくない(?)ということで、「スープラ」のネーミングで販売されました。
「2代目セリカ」は、キャビンがリアにかけてずんぐりと見えるデザインでした。それに対し「セリカXX」は、長くスラリと伸ばしたフロントノーズが、ずんぐりしたキャビンとうまい事バランスがとれ、低くて長くかっこいい車に仕立て直されていました。
2-2)伝説のT字型グリル
フロントグリルには、当時すでに伝説にもなっていた「トヨタ2000GT」と同じ、TOYOTAの頭文字をあしらったT字型グリルを採用していました。トヨタは、このT字型グリルの採用で、「トヨタ2000GT」とイメージを重ね合わせようとしたようですが、(番外2)でご紹介した通り、「トヨタ2000GT」のすごさを知っている私としては、さすがにちょっと無理があるのではと感じていました。
そして、その少しあとに、販売チャネルの強い要望で投入された「カリーナ」ベースの「セリカ カムリ」にまでT字型グリルを採用し、トヨタはT字型グリルの安売りをしていました。車が売れるのであれば、伝説もくそもなく何でもありって感じでした。
3.「Z」のライバル?
3-1)「Z」の対抗馬として開発される
「初代スープラ」は、日米で販売が好調だった「初代フェアレディZ(S30):以下S30」に対抗するために開発が進められたようです。
そもそも「S30」はスポーツカー、「初代スープラ」は上級スペシャリティーカーなので、直接的なライバルというのは、少し違うような気がしていました。
ただ「S30」には拷問シートと呼ばれる2座のリアシート(一度だけ、いたしかたなく座ったことがありますが、まさに地獄でした)を有する2by2モデルがあったので、そのユーザー層を、もっと広いリアシートを有し(「初代スープラ」は5人乗りでした)、すこぶるゴージャスな内装と装備で取り込もうという目論見だったのかなと思います。
3-2)常に「Z」を意識?
「初代スープラ」がデビューした直後の1978年8月に、「S30」は「2代目フェアレディZ(S130):以下S130 」に生まれ変わりましたが、もちろん装備や快適性などは進化していますが、そのコンセプトはブレることなくスポーツカーを貫いていました。
1981年7月にデビューした「2代目スープラ(ここまでは日本では「セリカXX」でした)は、先にデビューした「初代ソアラ」に搭載されていた、2.8リッター直列6気筒DOHCエンジン(170馬力)をラインアップに加え、同じ2.8リッターでもSOHCエンジン(145馬力)の「S130」を迎え撃ちました。
この辺りから「スープラ」は「ソアラ」との差別化のために、スポーツカーよりにシフトされていき、少しづつ「Z」に近づいてきました。
3-3)「TOYOTA3000GT」!
そして1986年2月に、3.0リッター直列6気筒DOHCターボエンジン(230馬力)を搭載した「3代目スープラ(ここから日本でも「スープラ」になりました)」がデビューしました。
サスペンションは、前述の「トヨタ2000GT」と同じ四輪ダブルウィッシュボーンが採用されていましたが、「初代スープラ」のT字型グリルのとき以上に「トヨタ2000GT」を活用(?)し、なんの躊躇もなく「TOYOTA3000GT」なるキャッチコピーまで引っさげてきました。
3-4)「スープラ」のパクリ?
この「3代目スープラ」は、1988年8月のマイナーチェンジから、雨の中を疾走する黒いボディの「3代目スープラ」が、最後にスピンターンを決め、「TOYOTA3000GT」と締めくくるTVCMが流れていました。
その1年後の1989年7月の「Z32」の登場のときには、真っ赤な「Z32」が暗闇の中でスピンターンを決め、「スポーツカーに乗ろうと思う」というキャッチコピーで締めくくるTVCMが流れました。このときは、多くの方々が、あの「Z」が「3代目スープラ」のTVCMをパクるとは、と驚いたと思います。
ただアナリストもどきの私の友人は、「3代目スープラ」はスピンターンを決めた直後にボディが何度か揺れているのに対し「Z32」は一発で収束している、これはスポーツカーとはかくあるべしというのを「3代目スープラ」に突きつけたのだといっており、なるほどと思いました。
4.「歴代スープラ」の主要諸元
「歴代(3代目まで)スープラ」の主要諸元を、下表に示します。3車とも小型乗用車(5ナンバー)枠内となっていますが、「3代目スープラ」のモデル途中の1987年1月に、輸出仕様と同じ全幅1745mmのワイドボディを追加投入しています。(番外6):シーマ&セフィーロ編でご紹介しましたが、いよいよ国産車もワイドボディ化が進み始めたころでした。
5.おわりに
以上が、「Z32」とライバル関係(?)にあった、トヨタ「スープラ」のご紹介になります。いろいろと書きましたが、「歴代スープラ」は、高性能でカッコいい車であったことは間違いありません。
ただトヨタは「スープラ」のプロモーションで、「トヨタ2000GT」を積極的に活用しようとしましたが、私には最後までしっくりきませんでした。
「スープラ」は、その後4代目まで引き継がれ、2002年に販売が終了しました。そしてその17年後の2019年に5代目が復活しました。この5代目はBMWとの共同開発で、BMWの「Z4」と兄弟車となります。ロングノーズ、ショートデッキの「スープラ」らしさは残っていますが、あまりにもマッチョでグラマラスで好き嫌いが分かれそうなデザインとなっています。
変な話ですが、この5代目のボディの筋肉をすべてそぎ落としてすっきりさせると、「歴代スープラ」の中で、一番「トヨタ2000GT」に似ているような気がします。ひょっとすると5代目のデザインのスタート地点は、「トヨタ2000GT」だったのかもしれません。
次回【後編】では、「Z」の原点である「S30」、その中でも高性能モデルである「Z432」「240ZG」と、「Z32 」の圧倒的なパフォーマンスをご紹介する予定です。
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