親父の車遍歴:番外2(フェアレディ&トヨ2編:50年以上も勘違いしていました。)

2024年4月2日

1.はじめに

 親父の車ではありませんが、先日(番外1)として「ホンダS800:以下エスハチ」と「トヨタスポーツ800:以下ヨタハチ」をご紹介しました。そのブログを書いているときに、ちょうど同じころ(少しあと)に輝いていた「日産 フェアレディ1500/1600/2000:以下フェアレディ」と「トヨタ2000GT:以下トヨ2」のこともよみがえってきました。「フェアレディ」は生粋のオープンカー、「トヨ2」は流麗なクーペと形こそ違いますが、日産、トヨタの誇る日本を代表するスポーツカーでした。

その3:コロナ編
その3):コロナ
番外1:エスハチとヨタハチ編
(番外1):エスハチとヨタハチ編

 ということで、今回は(番外2)として、「フェアレディ」と「トヨ2」と、訳あって当時のTVドラマ「ウルトラQ」についてお話しします。時代は、私が小学校中学年だった昭和40年代の前半になります。このころの親父のクルマは、(その3)でご紹介した「トヨタ 3代目コロナ」になります。

 なお本ブログは、私の子供のころの記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。

2.幼い頃の夢がもろくも。。。

2-1)「ウルトラQ」とは

 「ウルトラQ」とは1966年に放映されていたTVドラマで、円谷プロダクションが手掛ける空想特撮ドラマでした。「ウルトラマンシリーズ」のように超人(?)が登場するのではなく、オープンカーに乗った主人公が中心になり、人間の手で怪獣を倒すといったドラマで、「ウルトラマンシリーズ」に比べると、かなりリアリティがありました。

 動きがとてもこっけいな隕石から生まれた怪獣「ガラモン」とか、お金を貯めすぎた少年が怪獣になってしまったという「カネゴン」、のようなユーモラスな怪獣も多かったのですが、あらゆる燃料を吸収しながら大きくなっていくという風船怪獣「バルンガ」のラストシーンで、「バルンガ」が燃料を求めて太陽に向かって進んでいき、「明日の朝、「バルンガ」が太陽を吸収していたら。。。。(多分こんなナレーション)」で終わったときは、まじで次の日の朝、太陽が出てこなかたらどうしようと心配しました。

 このドラマの中で出てくるオープンカーですが、私は勝手に「フェアレディ」だと決めつけていました。そのころ「フェアレディ」はけっこう街中を走っていたので、オープンカーと言えば「フェアレディ」と思い込んでしまったのだと思います。ちなみに(番外1)でご紹介したホンダのSシリーズはボディが小さいかったので、こちらとは間違えることはありませんでした。

 特に大ぐも「タランチュラ」のドラマの中で、「タランチュラ」からオープンカーで全力で逃げるシーンは、今でも鮮明に覚えているのですが(けっこう手に汗を握りました)、そこに映っているオープンカーは私の記憶の中では「フェアレディ」でした。

大ぐも「タランチュラ」から逃げる「フェアレディ」の私の記憶のイメージ
大ぐも「タランチュラ」から逃げる「フェアレディ」の私の記憶のイメージ
(車は国産名車コレクション付録ミニカー)

2-2)実はスカイラインスポーツだった

 このブログを書くにあたり、「ウルトラQ」の中の「フェアレディ」の映像を確認をネットで探してみました。するとなんとオープンカーが、一瞬だけ映る映像を見つました。本当に一瞬だけだったのですが、何かが違うことに気付きました。

 オープンカーであることは間違いないのですが、ボディが少し長く、ボディラインにアクセントが入っていました。「フェアレディ」は骨太でクリーンなボディラインなので、明らかに違う車でした。

 大人になったら「フェアレディ」を買って、お気に入りの女の子を乗せて走り回りたいと思い描いていた幼いころの夢が、もろくも崩れ落ちた瞬間でした。

 右ハンドルのようなので、国産車、英国車かも、なんて考えながら、繰り返し見てみると、ひょっとして我が愛車「ケンメリ」のご先祖様ではないかと思い始めました。そして再びネットで調べてみると、やはり1962年にまだ日産に吸収合併される前のプリンス自動車が発売した「スカイライン スポーツ」でした。

「フェアレディ」と「スカイライン スポーツ」のボディライン
「フェアレディ」(上)と「スカイライン スポーツ」(下)のボディライン(パワポで作成)

 この「スカイライン スポーツ」は、イタリアの「ジョバンニ・ミケロッティ」のデザインで、当時の「グロリア」がベースになっていました。生産台数はわずか60台(内オープンモデルは十数台)といわれており、その中の1台が「ウルトラQ」の中で走り回っていたことになります。

3.究極の「フェアレディ」

 50年越しの勘違いのことは忘れて、あらためて日産の誇るスポーツカー「フェアレディ」をご紹介します。日産は戦後まもなくトラックをベースに「ダットサンDC-3」というオープンボディのスポーツカーを発売し、その後「ダットサンS211」「ダットサンSPL212」を経て、1962年に今回ご紹介している「フェアレディ1500(SP310型 ):以下SP310」を発売しました。

 この「SP310」は、前席2席、後席横1席というユニークなシートレイアウトで、この車の特徴にもなっていました。たまに見かけましたが、かっこいいスポーツカーの後席に、人が横を向いて座っているといった構図は、ちょっと違和感を感じました。さすがに私は「SP310」の後席には乗ったことがありませんが、加減速のときの乗り心地は、想像しただけで酔ってしまいそうな気がします。

 このユニークだった後席は、モデル途中で廃止され前席のシートピッチが拡大しましたが、これは後席が無用の長物だったわけではなく、北米への輸出を考慮して行われたようです。足の短い日本人ならまだしも、足の長いアメリカ人にはちょっと窮屈だったようです。当時「SP310」は、北米では3,000ドルを切る値段で売られており、少しギョッとしましたが、このころはまだ1ドル360円の時代でした。

 その後、1965年に「フェアレディ1600(SP311 型):以下SP311」に進化し、排気量がアップされ動力性能の向上が図られました。そして1967年に究極の「フェアレディ」、「フェアレディ2000(SR311型):以下SR311」が発売されました。私にとって「フェアレディ」とは、この「SR311」のイメージが強く、圧倒的な加速性能は当時国産車の中で一番だったと思います。

 この「フェアレディ」は国内でもそこそこの販売実績を上げましたが、北米では高性能で安価なスポーツカーとして国内の何倍もの台数が売れたようです。そして1969年に発売された「フェアレディZ」に、少しだけ並走した後にバトンを渡しました。

「フェアレディ(写真はSR311)」外観(車は国産名車コレクション付録ミニカー)
「フェアレディ(写真はSR311)」外観(車は国産名車コレクション付録ミニカー)

4.「トヨ2」はすべてが最高峰

 「トヨ2」は1965年に東京モーターショーで参考出展され注目の的となり、1966年にティザー的に国内自動車レースに参加したり、谷田部のテストコースで国際記録を樹立するなどしたのちに、満を持して1967年に発売されました。

 この車の開発は、トヨタが技術提携をしていた「ヤマハ」の力も借りて、トヨタの創業当時からのスピリットである純国産化にこだわりぬき、一目見たら忘れられない流麗なデザインも、日本人デザイナー手によるもののようです。下記の通り、各メカニズムは、当時の国産車の中では群を抜くというよりは天に突き刺さるぐらい進んだものでした。

【トヨ2の主なメカニズム】
(1)パワートレイン:
 直列6気筒DOHCソレックス3連キャブレター、フロアシフト5速マニュアルミッション 
(2)シャーシー:
 X字型バックボーンフレーム、4輪ダブルウィッシュボーンサスペンション、4輪ディスクブレーキ、マグネシウムホイール、ラジアルタイヤ
(3)インテリア:
 7連メーター、本木目インスツルメンタルパネル、テレスコピック機構付きステアリング、バケットシート
(4)エクステリア:
 リトラクタブルヘッドライト、大型フォグランプ

 各メカニズムも凄まじければ、値段も当時の高級車である「クラウン」の倍以上したので、ほとんど街中では見かけることがなく、雑誌やプラモデルでのみ触れることができました。お目にかかれる頻度は、西表島での「イリオモテヤマネコ」より難しく、たまに見ると学校で話題になるほどでした。

 私も「トヨ2」にはほんの数回しかお目にかかったことしかなく、実際に見たときは意外と小柄で、とにかく車高が低いといった印象を受けました。「トヨ2」と同様にロングノーズ、ショートデッキのフォルムを持つ前述の「フェアレディZ」の車高が、1290mmで低い部類に入るのに対して、「トヨ2」の車高は1160mmなので、なんと150mmも低いことになります。これは並走しているときに、気をつけないと見落としてしまいそうな車高です。

 そうえいば一時期けっこうな台数が走っていた「ロータス ヨーロッパ」の車高は、1050-1100mmともっと低く、レーンチェンジの際に我が愛車「ケンメリ」で踏みつぶしそうになったことがあります。本当にヒヤッとしました。

「トヨ2」外観(車は国産名車コレクション付録ミニカー)
「トヨ2」外観(車は国産名車コレクション付録ミニカー)

5.各車の主要諸元

 「SR311」と「トヨ2」と「スカイライン スポーツ」の主要諸元を下表に示します。専門的なスペックは、あえてはしょってあることをご承知おきください。

 「SR311」と「トヨ2」を比較すると、ボディサイズは異なるものの動力性能はほぼ互角です。それに対し車両重量は「SR311」は200㎏ほど軽いので、加速性能は大きく上回り驚異的な0-400m加速:15.4secをたたき出しています。一方で最高速度は、空力面で優位な「トヨ2」が220kmと当時の国産車の中では最高位に輝いています。

 私は50年越しで勘違いしていた「スカイライン スポーツ」は、「フェアレディ」よりずいぶん大柄で、全長と全幅は小型自動車枠いっぱい近くになっており、当時の「セドリック」や「クラウン」に匹敵する大型ボディでした。

「SR311」「トヨ2」「スカイラインスポーツ」主要諸元

6.おわりに

 以上が当時の日本を代表するスポーツカー「フェアレディ」と「トヨ2」のご紹介です。加えて50年越しで勘違いしていた「ウルトラQ」の中で登場していた「スカイライン スポーツ」についても少しだけご紹介しました。

 「フェアレディ」と「トヨ2」は(番外1)でご紹介した「エスハチ」「ヨタハチ」とともに、私を含めた当時の子供たちに多くの夢を与えてくれました。当時の子供たちは好きな車のプラモデルを作りながら、大人になったら免許を取って車を運転することを夢見ていました。

 そして時代は変わり、車は、個体で子供たちに夢を与えるのではなく、車を含めた社会全体で、安全で安心で豊かな生活を子供たちに送り届けていくといった使命を担うようになりました。

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