親父の車遍歴:番外1(エスハチ&ヨタハチ編:昔の車は本当に輝いていました。)

2024年7月17日

1.はじめに

 先日街を走っていたら、ふとナイスシニアが乗った黄色い「ホンダS800(600かも):以下エスハチ」を見かけました。その瞬間に、子供のころにあこがれた「エスハチ」と「トヨタスポーツ800:以下ヨタハチ」の記憶が、走馬灯のようによみがえりました。

(その3):コロナ編
(その3):コロナ編

 ということで今回は親父の車ではありませんが、親父は私と兄貴の2人の子供がいたので買いたくても買えなかったであろう、2人乗りの小型スポーツカー「エスハチ」と「ヨタハチ」をご紹介します。時代は、私が小学校低学年だった昭和40年のはじめになります。このころの親父のクルマは、(その3)でご紹介した「三代目トヨタ コロナ」になります。

 なお本ブログは、私の子供のころの記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。

2.「鈴鹿サーキット」の思い出

2-1)「鈴鹿サーキット」とは

 「エスハチ」といえば、まず最初に「鈴鹿サーキット」を思い出します。

 「鈴鹿サーキット」は、ホンダの創業者の本田宗一郎氏の命を受け、1962年にホンダが自社で建設した本格的なレーシングコースです。ホンダはこの「鈴鹿サーキット」で、自社で開発する車やバイクの走行試験はもちろん、レースの国際大会なども開催してきました。

 今回ご紹介する「エスハチ」も、このコースで何度も何度も走行試験を繰り返し、その性能を磨き上げていたことと思います。

鈴鹿サーキットを疾走する「エスハチ」と「ヨタハチ」のイメージ
「鈴鹿サーキット」を疾走する
「エスハチ」と「ヨタハチ」のイメージ
(車は国産名車コレクション付録ミニカー)

 「鈴鹿サーキット」には、親父に何回か連れて行ってもらいました。といってもレースに興味があったのではなく、併設された遊園地のゴーカートがなかなか本格的で、それに乗るのが目的でした。

 当時子供でも運転できるゴーカートが結構なブームになっており、昔よくあった百貨店の屋上の遊園地でも、ゴーカートに乗ることが出来ました。ただ鈴鹿サーキットのゴーカートは、そのスピード、コースの大きさで群を抜いており、さすが「鈴鹿サーキット」のゴーカートといった感じでした。

2-2)四日市を通過

 私の実家のある岐阜から「鈴鹿サーキット」へは、長良川沿いに下り、河口付近で国道23号に入り、三重県を南下して向かいました。高速道路など無い時代だったので、街中を通過するごとに渋滞に巻き込まれました。

 途中、中部工業地帯の中核をなす工業都市四日市を通過するのですが、街に差しかかったとたんになんともいえない異臭が、車の中にも容赦なく侵入してきまた。

 四日市には大規模な石油コンビナートがあり、そこからの異臭のようでした。晴れていても空はスモッグで薄暗く、高度成長期の大気汚染を絵にかいたような光景でした。特に帰り道で、少し暗くなってから通過すると、何本もある煙突から火が噴出しており、まるでいくつもの人工の火山が噴火しているようでした。

 そんな四日市も、街と工場の方々のご努力により大気汚染は解消され、今では工場夜景の聖地になっているようです。

当時の四日市の石油コンビナートのイメージ
当時の四日市の石油コンビナートのイメージ
(パワポで作成)

2-3)「鈴鹿サーキット」のゴーカート

 ゴーカート目当てで行っているので、「鈴鹿サーキット」の他のアトラクションについては全く記憶がありません。ゴーカートの車種は、「エスハチ」型となぜか「クラシックカー」型があり、並んだ順番で車種をあてがわれ、選ぶ余地はありませんでした。

 おそらく当時の子供のだれもが「エスハチ」型に乗りたいと思うのに、なぜ「クラシックカー」型が混ぜられているのかよく分かりませんでした。先日「ユニクロ」はあえて売れない色を作って、売れる色を引き立てているという話を聞いたときに、ほんの少しだけなるほどと思いました。

 そして兄貴と一緒にゴーカートの順番待ちをしていると、だいたいこの2車種は交互に到着しました。ドキドキしながら待っていると、予感は的中、雑誌やお菓子の懸賞によく当たり、小出しに運を使い果たしている兄貴の方に「エスハチ」が回り、私は「クラシックカー」になってしまいました。

 こうなれば、あとは先行する兄貴の「エスハチ」を追い抜くまでと、アクセルを全開にしました。みかけは武骨でも、中身は同じということで猛追し、私の「クラシックカー」は見事に兄貴の「エスハチ」追い抜き先にゴールしました。

 くやしかったのか、うれしかったのかよく分かりませんが、なつかしい「鈴鹿サーキット」の思い出です。

「鈴鹿サーキット」のゴーカートのイメージ(パワポで作成)左:兄貴の「エスハチ」、右:私の「クラシックカー」
「鈴鹿サーキット」のゴーカートのイメージ(パワポで作成) 左:兄貴の「エスハチ」、右:私の「クラシックカー」

3.「エスハチ」と「ヨタハチ」

3-1)「エスハチ」について

 「エスハチは」、1962年の第9回全日本自動車ショーで発表された「ホンダ S360:以下S360」と「ホンダ S500:以下S500」がルーツになります。その後「S500」のみ市販され、「ホンダ S600:以下S600」を経て1966年1月に発売されました。

 軽自動車(以下軽)規格の「S360」を除けば、ディテールは異なるものの「S500」「S600」「エスハチ」はほぼ同じサイズでした。Sシリーズ全体で、2万5千台ほど販売されたようなので、スポーツカーとしては結構な販売実績で、ゴーカートだけではなく、多くの本物を街の中で見かけました。

「エスハチ」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)備考:写真右は「S600クーペ」
「エスハチ」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)備考:写真右は「S600クーペ」

3-2)「ヨタハチ」について

 「ヨタハチ」は1965年4月に発売されました。その販売実績は、前述の「エスハチ」に比べると、累計で3千台ほどであまり芳しくなかったようです。ただわが家の近所に「ヨタハチ」を持っているお兄さんがいて、家の前で水冷2気筒らしいバタバタとした音を立てながら止まっていたのが、妙に記憶に残っています。

 タルガトップでルーフの取り外しができ、近所の「ヨタハチ」もよく外してあったので、インテリアをのぞき込んだことがありますが、室内はとても狭く簡素でしたが、メータ周りだけはスポーツカーらしい丸形のメーターが並んでいたことを覚えています。

 子供の目には、「エスハチ」は純粋なオープンカーで直球でかっこよかったのですが、「ヨタハチ」丸っこくもったりして、あまりかっこよく映りませんでした。今見るとそのデザイン性の高さにほれぼれするのですが、カレーやハンバーグや海老フライばかり好んで食べていた子供には、手の込んだ和食の味など分からなかったのだと思います。

「ヨタハチ」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)
「ヨタハチ」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)

4.「エスハチ」と「ヨタハチ」との主要諸元

 「エスハチ」と「ヨタハチ」の主要諸元を下表に示します。専門的なスペックは、あえてはしょってあることをご承知おきください。

 両車は、サイズも排気量もほぼ同じですが、エンジン性能と車両重量(以下車重)が大きく異なります。「エスハチ」は、水冷4気筒DOHC4連キャブレターという高性能エンジンで、791㏄ながら70馬力を絞り出し、少し重めの720㎏の車重をぐいぐい引っ張りました。

 これに対し「ヨタハチ」は、「パブリカ」譲りの空冷2気筒エンジンを、ツインキャブレーターでチューニングし、そこそこの45馬力となっています。車重は580㎏と「エスハチ」より大幅に軽く、空力抵抗も少ないので、0-400m加速こそ及びませんが、最高速度はほぼ同等になっています。

 データが無いので何とも言えませんが、実用燃費は「ヨタハチ」が相当優っていたのではないかと思います。

「エスハチ」「ヨタハチ」主要諸元

5.おわりに

 以上が、番外編の「エスハチ」「ヨタハチ」のご紹介になります。両車とも当時の価格で60万円前後と、1000㏄前後の乗用車とほぼ同価格帯だったので、当時の若い方々(そこそこのお金持ち)がかっこつけて乗り回していました。

 車体色は「赤」「黄」といった明るい色が多かったこともあり、時代の色を戦後のセピア色から、天然色の新しい時代に塗り替えてくれているようでした。

 この「エスハチ」「ヨタハチ」を、現在の車に置き換えるとどんな車になるのだろう?と問うと、「トヨタ 86」ではと答える方もいるかもしれません。ただ私は現在の車では決して置き換えることができない、まばゆいばかりの輝きはなっていた車だったのではと思います。

<我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口>

 我が愛車ケンメリとの様々なエピソードや、私の記憶の中にしっかりと刻まれている数々の往年の名車たちをご紹介していますので、ぜひご覧になってください。

我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口
我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口