我が青春を彩ったクルマたち:その22(3代目マークⅡ編【後編】:オートエアコンはとても快適でした。)
Contents
1.はじめに
前回【前編】では、「3代目マークⅡ(MX30/40)」の車両概要をご紹介しました。
とくに4ドアセダンはとても堅牢(武骨)なエクステリアデザインで、正直なところろ販売実績は芳しくありませんでしたが、その後到来するマークⅡ3兄弟の快進撃に向けての授業料(?)という意味では、とても意味のあるクルマだったのかもしれません。
今回【後編】では、お父さんが所有していた「3代目マークⅡ」をたまにのっていた、少年のような心を持った友人をご紹介したいと思います。
なお本ブログは、私の学生時代のつたない記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。
2.友人のお父さんの「3代目マークⅡ」
2‐1)「3代目マークⅡ」のど真ん中
少年のような心を持った友人のお父さんの所有していた「3代目マークⅡ」は、4ドアセダンで最上級グレードの[グランデ]、ボディカラーは宣伝メインカラーだったマジェスティレッドだったと記憶しています。それはカタログのメインページを飾っていた、まさに「3代目マークⅡ」のど真ん中のクルマでした。

(あくまでイメージです)
排気量は2.6リッターか2.0リッターだったかは定かではありませんが、当時のクルマは誇らしげにグレードバッチが付いていたので[グランデ]であったことは間違いありません。
ボディカラーは茶系ということは鮮明に覚えていますが、ひょっとするとマジェスティレッドではなく、エキストラカッパーメタリックだったのかもしれませんが、いずれにして「3代目マークⅡ」を象徴するボディタイプ、ボディカラー、グレードであったことは間違いありません。

2‐2)走る応接間
当時は豪華に仕上げられたインテリアのクルマのことを、 “走る応接間" といわれることがよくありました。以前ご紹介した私の親父がのっていた「2代目マークⅡ(RX10/20)」でもかなり豪華な内装でしたが、「3代目マークⅡ」はさらにその豪華さに磨きがかかっていました。
とくに[グランデ]は、上質なファブリック素材のシートや、木目を適度に使った高級感ある細部の仕上げなど、このあたりは当時は日産よりトヨタの方が上をいっていたと思います。
2‐3)快適空間
少年のような心を持った友人は、私が住んでいた田舎と近未来都市がチグハグに融合(乱立)していたエリアから、クルマで30分ほど離れた街に住んでいました。当時その街はとても栄えており歓楽街も充実していたので、私たちは都会(?)を求めてその街によく呑みにいきました。
そしてあるときその街で呑み終わってから、酔った勢いで少年のような心を持った友人の家に遊びにいきました。するとその友人がお父さんの「3代目マークⅡ」で、私たち酔っ払いたちをのせて学生寮までおくってくれることになりました。いいやつでした。もちろん彼はお酒は呑んでいませんでした。
とても暑い夏の夜でしたが、「3代目マークⅡ」の豪華な後席にのり込むと、そこにはまさに “走る応接間" が広がっていました。そしてなんといっても驚いたのが、車室内全体に涼風がいきわたっていたことでした。
これは【前編】でもご紹介したオートエアコンが、複数ある吹き出し口から常に最適な温度の涼風を送り出していたからでした。そのオートエアコンの透過照明の空調コントロールパネルも煌々と光を放っており、とても神々しく感じました。あやうく合掌するところでした。
我が愛車ケンメリ「4代目スカイライン(マイナーチェンジ後なのでGC111)」にも、当時まだめずらしかったエアコンは付いていましたが、吹き出し口は1つで、操作パネルの夜間照明もとても控えめだったので、あきらかな差を感じざるおえませんでした。

2‐4)少年のような心
少年のような心を持った友人は、何ごとにおいてもとても純粋で、世の中のためになりたいと本気で考えていました。その純粋さゆえに、たまに呑み会の席などで口論になることもありました。
そして卒業してから20年以上が経過し、皆がもう50歳に差し掛かろうとしていたときに、久しぶりに昔の仲間が集まって伊豆方面に旅行にいきました。もちろん少年のような心を持った友人も参加しました。
私たちは宿に着くとすぐに、夕食まで待ちきれずに酒盛りを始めたのですが、そこにはその少年のような心を持った友人の姿はありませんでした。
そして夕食が始まると、ひと汗かいてスッキリとした姿で彼は現れました。どうやら宿には本格的なプールが付設されていたので、そこで全力で泳いできたようでした。
なんで酒盛りに参加しないかと聞いてみると、せっかく本格的なプールがあるのに、なんでみんな泳がないのと、逆に聞き返されてしまいました。50歳にさしかかろうとしていても、やはり少年の心はそのままのようでした。
そして少年のような心を持った友人は、私と同い年なのでもうとっくに還暦を過ぎていますが、今でも純粋な心で、地域社会への貢献に励んでいるようです。

3.「3代目マークⅡ」の主要諸元
「3代目マークⅡ」の2.6リッターと2.0リッターの[グランデ]の主要諸元を下記に示します。
3ナンバーの2.6リッターと、5ナンバーの2.0リッターのボディサイズが、まったく同じというのは意外でした。同じエンジンを搭載する同世代のクラウンは、前後バンパーやサイドモールを大きくしたりして全長と全幅は、僅かながら3ナンバーの規格となっていましたが、「3代目マークⅡ」は同じでした。
ひょっとするとあの完成された堅牢なエクステリアデザイン(?)を、無理に崩すのを避けたのかもしれません。トヨタの自信作だったようです。

4.おわりに
以上が、【前編】【後編】の2回に渡る「3代目マークⅡ」のご紹介となります。
【前編】でもお話ししたように「3代目マークⅡ」は、とても堅牢(武骨)なエクステリアデザインで、正直なところ販売実績は芳しくありませんでしたが、その後到来するマークⅡ3兄弟の快進撃に向けての授業料(?)という意味では、とても意味のあるクルマだったのかもしれません。
その後、バブル景気絶頂期のハイソカーブームの中でマークⅡ3兄弟は隆盛を極めましたが、バブル景気が崩壊し、ユーザーニーズがセダンからSUVやミニバンに移るにつれ、販売実績は大幅に落ち込みました。
その状況を打開すべく2004年に「マークX」として再スタートを切り、2代に渡って奮戦しましたが、2019年12月に生産が終了となり、51年間続いた「マークⅡ」の歴史が幕を閉じました。

日産も同様で、「ローレル」「セフィーロ」は2003年に「ティアナ」として再スタートを切り、3代に渡り奮戦しましたが、奇しくも「マークX」と同じ2019年12月に日本仕様の生産が終了しました。
長きに渡って国産車がけん引してきた日本のセダン市場で、ドイツのプレミアムブランドに完全に屈したときです。
そしてあと残るは「スカイライン」のみとなりました。頑張れ「スカイライン」!
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