親父の車遍歴:番外18(「レパード」&「ソアラ」編【後編】:2代目の対決)
Contents
1.はじめに
今ではもう忘れられてしまいましたが、昭和の終わりごろまでは日産とトヨタは、国産の二大巨頭として国内シェアを二分し、各セグメントで激しく鎬を削っていました。
そんな中で、とてもいいクルマなのに、どうしても頂点に昇り詰められなかった日産の「レパード」と、その越えられない相手である絶対王者のトヨタの「ソアラ」を、前回から【前編】【後編】の2回に分けてご紹介しています。
今回【後編】では、前回【前編】の初代に続き、2代目の両車の対決について、お話しさせていただきます。
なお本ブログは、私のつたない昔の記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。
2.「2代目ソアラ」は正常進化
その後、両車はフルモデルチェンジの時期を迎え、「2代目ソアラ」は1986年1月、「2代目レパード」は翌月の1986年2月にデビューしました。
「2代目ソアラ」のエクステリアは、特に冒険することなく「初代ソアラ」を、札幌雪まつりで展示されるような雪像で造り、それが少し溶け始めて角が丸くなったときのようなデザインでした(変なたとえですいません)。
中身は、ちょうど同じ時期にデビューした「XXから数えて3代目スープラ」とほぼ同じで、エンジンは3.0リッター直列6気筒DOHCターボエンジンの7M-GTEU(230馬力)、サスペンションはあの「トヨタ2000GT」と同じ4輪ダブルウィッシュボーンと、かなり強化されていました。
デジタルメーターは、「初代ソアラ」が最後の最後にぶち込んできた6インチCRTディスプレイを、太陽光の反射などの問題をクリアし、助手席からも見やすい運転席と助手席の間のインスト中央に移設しました。その上で、メータ表示を逆文字にして、上から鏡に映して虚像表示することで、焦点が合いやすくなるという「スペースビジョンメーター」なるものを投入してきました。あいかわらずトヨタのデジタルメーターは絶好調です。
3.「2代目レパード」は相当気合は入っていたものの。。。
「2代目レパード」は、「初代レパード」の斬新なエクステリアデザインから、落ち着きのある大人の2ドアクーペに生まれ変わりました。当時世界で一番美しいクーペといわれていたBMWの6シリーズを彷彿させる、なかかな流麗なデザインでした、が、よく見るとちょっと微妙なところもいくつかありました。
特に私が気になったのは、全体の美しい曲面に反して妙に角ばったフロントマスク、ちょっと子供じみた装飾の入ったリアコンビネーションランプでした。おそらく外野(色々な部署の方々)からの、フロントはもっと立派にしろ、リアはもう少し派手にしろ、などなどいろいろな意見を、開発のご担当の方は受け入れざるおえなかったのかもしれません。
そして極めつけは、アイガー北壁より急な絶壁インストでした。この頃の同クラスの日産車「5代目ローレル(C32)」「7代目スカイライン(R31)」が、エクステリアもインストも角々のデザインを取り入れていたので、ひょっとしてその流れに飲み込まれてしまったのかもしれません。
ディテールは別にして基本的に流麗なエクステリアとは、まったく相乗り入れないインストデザインと思いつつ運転席に座り前を見ると、今まで見たことのない艶やかな色彩を放つメーターパネルが迎えてくれました。
これは「初代レパード」で、苦汁をなめさせられたデジタルメータへの、反撃の狼煙(のろし)でした。当時の車載用液晶ディスプレイでは最大級のサイズで、青地の中に白く浮かび上がるセグメントたちが、様々な情報を提供してくれました。
ただ最新の高精細液晶モニタパネルとは違い、提供される情報は、あくまであらかじめ造り込まれたセグメントの範囲に限られていました。とはいえ、当時として画期的なデジタルメーターでした。
デジタルメーターの中で、唯一機械式で違和感を放っていたオドメーターも、いよいよ電子式になりました。これは書き込み可能な不揮発性半導体メモリーの進化と、書き込み回数の制約を回避する書き込みロジックなどの工夫の賜物でした。
4.マイナーチェンジで完璧な姿に
「2代目レパード」はかなり気合の入ったモデルでしたが、先代から続く勢いのまま、バブル景気の追風に乗り、ますます勢いづく「2代目ソアラ」の牙城を崩すことはできませんでした。
そして1988年8月に、エクステリアやインストのデザインに大幅に手を入れた、大規模なマイナーチェンジを実施しました。それは、まるで私の心の声が日産に伝わったかのような、完璧な変更でした。
もともと素姓のいいエクステリアデザインは、ディテールまで上質になり、本来の姿を取り戻しました。そしてある意味トレードマークになっていた絶壁インストも、やわらかい曲面で描かれた落ち着きのあるデザインに生まれ変わりました。これには、マイナーチェンジでよくぞここまで、と本当に感心しました。
ただあの液晶デジタルメーターは姿を消し、メーターパネルの目盛り部分を白色化するなど、上質に仕上げられたアナログメーターに置き換わっていました。「ソアラ」は、老舗のプライドで3代目までデジタルメーターを採用しましたが、「レパード」は早々に退散してしまいました。
5.両車の主要諸元
「2代目レパード」と「2代目ソアラ」の主要諸元を下表にしまします。2代目になっても、まだこの時代は上級スペシャリティカーでも5ナンバー枠で造られていたので、初代と同様にボディサイズはほぼ同じでした。
ただ「2代目ソアラ」の3ナンバー車は、分厚いサイドモールが取り付けられている分、少しだけ全幅が広くなっていました。
「2代目レパード」のエンジンは、当初は先代の3.0リッターV型6気筒SOHCエンジンのVG30ET(230馬力)に比べて少しおとなしめの、新開発の3.0リッターV型6気筒DOHCエンジンのVG30DE(185馬力)でした。
それに対し「2代目ソアラ」は前述の通り、最後に一気に馬力を上げてきた「初代レパード」を余裕で見ていたのかと思いきや、実は少し悔しかったらしく、大幅に馬力アップした3.0リッターの直列6気筒DOHCターボの7M-GEU(230馬力)を搭載してきました。
その後「2代目レパード」は、前述の大規模なマイナーチェンジのタイミングで、「初代シーマ」搭載されていた3.0リッターV型6気筒DOHCターボエンジンのVG30DET(255馬力)を搭載し、すべてにおいて非の打ちどころがない最強の上級スペシャリティーカーに昇華しました。
と、私は確信したのですが、やはり2代目も最後まで「ソアラ」を越えることはできませんでした。
この頃の日産車は、「2代目レパード」を含めよくTVドラマの中で、有名俳優たちがハンドル握って走り回っていました。TVのブラウン管(当時)の中で、あの流麗なクーペがかっこよく走っているのを見れば、みんな欲しくなって販売にもつながりそうな気がしましたが、それはあくまで妄想でした。
そして日産車によくある、中古車市場で人気が出る車のひとつとなりました。
6.おわりに
以上が、【前編】【後編】の2回(2世代)に渡る「レパード」と「ソアラ」の対決のご紹介になります。「レパード」は、3代目からJフェリーというサブネームが付いた、米国の日産デザインセンターがデザインした4ドアセダンに変わり、ここからは「レパード」と「ソアラ」は、直接のライバル関係ではなくなりました。
「ソアラ」は3代目まで伝統の2ドアクーペを継承しましたが、4代目からオープントップの2+2クーペに生まれ変わり、途中でレクサスチャネルの国内展開に伴い「SC430」と改名して販売は継続されました。そして2010年に、30年に渡る「ソアラ」の歴史は幕を閉じました。
<我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口>
我が愛車ケンメリとの様々なエピソードや、私の記憶の中にしっかりと刻まれている数々の往年の名車たちをご紹介していますので、ぜひご覧になってください。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません