親父の車遍歴:その3(コロナ編:いよいよ高速時代の幕開けです。)

2024年7月17日

1.はじめに

 前回(その2)では、親父が軽自動車(以下軽)から小型乗用車(以下小型車)にステップアップし、「日野コンテッサ」を2台乗り継いだときのお話をしました。ちょうどこのころ名神高速道路が全線開通し、いよいよ高速時代の幕が開けました。

「コンテッサ」の後ろ姿
前回(その2):コンテッサ編

 今回(その3)では、この高速時代に適応した「トヨタ3代目コロナ(RT40型):以下コロナRT40」や、当時のライバル車である「日産2代目ブルーバード(410型):以下ブルーバード410」をご紹介します。時代は、私が小学校低学年だった昭和40年代のはじめになります。

 なお本ブログは、私の子供のころの記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。

2.BC戦争が激化

2-1)前型までは「ブルーバード」の勝ち

 前回(その2)でも少し触れましたが、当時はB(ブルーバード)C(コロナ)戦争が、日産とトヨタの間で繰り広げられていました。今でこそ国内シェアはトヨタが圧倒的優位に立っていますが、当時の小型車市場では「コロナ」は、「ブルーバード」にまったく歯が立たなかったようです。

2-2)前型のすごいTVCM

 1960年4月に発売された前型の「トヨタ2代目コロナ(PT20型):以下コロナPT20」は、打倒「ブルーバード」を旗頭に、当時としてはなかなか洗練されたデザイン(どことなく和風モダン)と、新型のボディ、サスペンションを採用してデビューしました。ただ新設計でありながら、リアサスペンションの耐久性が低く、エンジン性能も「ブルーバード」より劣っていたので、評判はいまいちだったようです。

 この状況を打開するために、モデル途中で評判の悪いリアサスペンションとエンジンの性能改善を行い、今では考えられないようなTVCMで、車の耐久性を強烈にアピールしていました。

 このブログを書くにあたり、幼い頃の記憶を補強するために、ネットでいろいろと調べているとYouTubeでこのころのTVCMを見つけました。おぼろげながら、ドラム缶を並べてその上を走っていたことは覚えていましたが、あらためて見るとそれ以上の凄まじさで、当時の俳優の小林旭さんや宍戸錠さんが出演するアクション映画顔負けの激しさでした(リンクを貼りたいのですが、了解を頂いていないので諦めます)。

 私の記憶の通り、ドラム缶の上は走っているのですが、そこからジャンプしたり、積み上げたドラム缶に体当たりしたりで、やりたい放題のCMでした。最後に崖に向かって疾走していたので、まさか崖を飛び降りるのではと一瞬思いましたが、さすがにそれはありませんでした。昭和のよき時代のTVCMです。

ドラム缶の上を走る「コロナ(PT20)」のイメージ
ドラム缶の上を走る「コロナPT20」のイメージ
(パワポで作成)

3.高速時代の幕開け

3-1)名神高速道路が全線開通

 1963年7月に、いよいよ名神高速道路(以下名神)の一部(尼崎インターチェンジ(以下IC)-栗東IC間)が開通し、1965年7月に全線(西宮IC-小牧IC間)が開通しました。ちなみに「名神」という名は名古屋と神戸の頭文字を取っていますが、そこではなく、その近くの街を結んでいます。

 親父の周りでは、「俺は昨日高速道路を運転して100km/hだした。」などといった話(自慢話)が飛び交っていたようですが、親父はなかなか高速道路に乗ろうとしませでした。

 親父が高速道路に乗ることを躊躇していた理由は、前回(その2)でご紹介した「コンテッサ1300」はRR(リアエンジン、リアドライブ)だったので、フロントが軽く高速道路を走ると前が浮いてくるなどと言った風評が蔓延したからでした。

 ただもしRRが高速道路に弱いのであれば、あの「ポルシェ」はどうなるのだといった話ですが、このころはインターネットなど無い時代、人の噂が主たる情報源だったので、致し方ないことだったのかと思います。

3-2)高速性能を売りに新型「コロナ」がデビュー

 そんな中で、再び打倒「ブルーバード」を旗頭に、1964年9月に新型「コロナRT40」が発売されました。今度こそはと相当気合の入った車で、時代に合わせて特に高速性能を謡(うた)っており、前型のドラム缶ではなく、高速道路を疾走する姿を映し出したTVCMが、毎日のように流れていました。

 子供の目にも、この車なら高速道路を安全に走ることが出来ると思えるほどだったので、高速道路に乗ることを躊躇していた親父の目には相当インパクトがあったのだと思います。

3-3)そして新型「コロナ」に買い替えて、いざ高速道路へ

 「コロナRT40」が発売されてから、親父が買うまでには、それほど時間はかかりませんでした。今回は新車ということで、初めてディーラーの営業マンから購入することになりました。今までの車は、以前ご紹介した近所の整備工場で中古を見つけてもらっていたようでした。

 当時のディーラーは、一歩でも足を踏み入れたら、お茶攻め、お菓子攻めされて、買うまで出てこれないといった怖いところでした。ほとんどの人は、仕事が終わってから夜に自宅に営業マンを呼んで商談していました。

 今でこそ、商談と納引(車の納車、引取)はディーラーで行い、そのディーラーも週2日休みで営業時間は朝10時から夜6時か7時と、当時に比べれば格段に職場環境が改善されていますが、当時の営業マンの仕事はとても過酷でした。

 その営業マンの方が、なんども私の実家(以下わが家)に来てようやく商談は成立しました。

3-4)親父の初100km/h越え

 「コロナRT40」がわが家に来ると、さっそく親父は高速道路に向かいました。西方面へのドライブで、確か「琵琶湖バレー」あたりが目的地だったと思います。大垣ICから高速道路に乗ると、まっさらな2車線の広々と黒々した道路がとても新鮮でした。

 しばらくは慣らしながら運転していた親父が、徐々にスピードを上げ始め、追い越し車線に移りました。いよいよです。TVCMでは高速道路をすずしい顔をして走っていた「コロナRT40」ですが、さすがに80km/hを越えたあたりから音と振動が大きくなってきました。

 そしていよいよ100km/hに近づいたところで、親父が、メーターを見ていてくれ、と言いました。新型とはいえ当時の車で100km/h越えは結構な恐怖だったようで、メーターが100km/hを越えたところで、超えた、というと、親父は一瞬メーターに目をやり、ほっとした顔をしてスピードを緩め、また走行車線に戻りました。

 あくまでイメージですが、そのときの親父の目に一瞬映ったメーターは、下記イメージのようなピンポイント画像だったのではと勝手に思っています。

親父の目から見た100km/h越えの時のスピードメーターのイメージ
親父の目から見た100km/h越えの時のスピードメーターのイメージ(パワポで作成)

3-5)オレンジ色のトンネル

 親父にとっては100km/h出したことで、高速道路での目的は達成したわけですが、私にとって一番衝撃的だったのはトンネル内の照明の色でした。当時のトンネルは、おばけとの相性がよさそうな、薄暗い蛍光灯の白色照明しかなかったので、あのときは本当に興奮しました。まるでオレンジジュースの中を走っているようだ、と口走ってしまったことを、わが家での後世までの語り草になってしまいました。

 ちなみになぜオレンジ色の照明かというと、当時のトンネル内は排気ガスが充満しており、その中でも視界を確保しやすいことが理由だったそうです。排気ガスが解消された現在では、照明は見やすくて効率のいい白色LED型に切り替わってきています。

オレンジ色の照明の高速道路のトンネルのイメージ
オレンジ色の照明の高速道路のトンネルのイメージ
(パワポで作成)

4.「コロナRT40」と「ブルーバード410」

4-1)BC戦争の決着は?

 「ブルーバード410」は、「コロナRT40」は発売される1年前の1963年9月に発売されています。デザインはイタリアのカーデザイナー「ピニンファリーナ」でとても洗練されたものでしたが、私も含めシンプルなカッコよさを好むに日本人のにはあまり受け入れられなかったようです。

 「ブルーバード410」はフルモノコック構造の採用で優れたパッケージングがなされ、エンジン性能も大幅に向上させた日産の意欲作でしたが、いかんせんデザインが仇となり販売は芳しくなかったようです。

ケンメリが私の元に(その2)
ケンメリが私の元に(その2)

 そんな中で、「コロナRT40」が発売されました。「アローライン」という直線基調でとても開放感のあるシンプルにカッコいいデザインでした。加えて時流に乗った高速性能や、「ブルーバード410」より一回り大きなボディサイズとエンジン排気量で日本人の心を鷲づかみにし、初めて打倒「ブルーバード」を達成しました。

 その後「ブルーバード410」は、デザインの改良、エンジン排気量アップなどの対策を講じましたが、再び「ブルーバード」が優位にたつのは、以前ブログで兄貴の車としてご紹介した次期型「日産ブルーバード(510型)」まで待つことになります。

「コロナ(右)」と「ブルーバード(左)」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)備考:「コロナ」は同型ハードトップのボディを流用した「トヨタ1600GT」
「コロナ(右)」と「ブルーバード(左)」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)
備考:「コロナ」は同型ハードトップのボディを流用した「トヨタ1600GT」

4-2)「コロナRT40」と「ブルーバード410」の主要諸元

 「コロナ」と「ブルーバード」の主要諸元を下表に示します。専門的なスペックは、あえてはしょってあることをご承知おきください。

 あらためて主要諸元を見ても、すべてのスペックにおいて「コロナRT40」は、明らかに「ブルーバード410」を凌駕しています。これに加えてデザイン的にも評判が良ければ「ブルーバード410」に勝ち目はなかったのかなと思います。

 ちなみに「コロナRT40」はまだフレーム構造を採用していたので、技術的には日産の方が優れていたのかもしれません。ちょうどこのころから「技術の日産」「販売のトヨタ」と言われるようになったのかと思います。

 参考までにミニカーの映像で使った「コロナRT40」のハードトップ(RT50型)のボディを流用した、「コロナ1600GT」の主要諸元も載せておきました。この車は形こそ「コロナRT40」のハードトップですが、中身はかの有名な「トヨタ2000GT」の弟分で、モータスポーツを前提にしたモデルでした。

「コロナ」と「ブルーバード」の主要諸元

5.おわりに

 以上が、親父が高速道路に乗るために買った「コロナRT40」と、そのライバル車である「ブルーバード410」のご紹介です。このころは時代の流れとともに車の上級化がますます進み、まもなくすると好評を博した「コロナRT40」の上級車「初代コロナ マークⅡ(最初のころは、頭にコロナが付いていました:以下マークⅡ)」が発売されました。

 次回(その4)では、この「マークⅡ」と、カークーラーの普及、東名高速道路の開通、大阪万国博覧会などをご紹介する予定です。

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