いよいよケンメリが私の元に、そして親父はジャパンに乗り換えました。(その2:兄貴の割り込み)
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1.はじめに
前回(その1)では、親父からケンメリを譲るという提案を受け、少し迷った末にバイトで頑張ってケンメリを自分のものにしようと覚悟を決めました。そんな矢先に、思わぬ伏兵が現れました。
なんとケンメリに何の興味も示さなかった兄貴が、突然横から割り込んできたのです。今回(その2)では、その兄貴との攻防戦についてお話ししたいと思います。
2.兄貴の車遍歴
2-1)最初の車は初代コロナマークⅡ
当時兄貴はすでに車を2台乗り継いでおり、最初の車は初代コロナマークⅡハードトップ1900SL(型式:RT72S、以下マークⅡ)で、パワーウインドウも装備された最上級グレードでした。
ただ結構年数も経っており、かなり安い値段で手に入れたようでした。安い値段で手に入れただけあって扱いも手荒だったようで、マークⅡの命はあまり長くありませんでした。
2-2)次の車はブルーバード510
2-2-1)最初だけは大切に
次の車はブルーバードクーペSSS(型式:510、以下510)です。SSSはSuper Sports Sedanという意味だったと思います。エンジンはSUツインキャブ付きのL16型エンジンで、(その1)でご紹介したA12型エンジンと同様になかなか評判のいいエンジンでした。
こちらはそれなりのお金を払ったので手荒な扱いにはならなかったようですが、当時何とか族全盛でいろいろと手が加えられた車が街に氾濫していたので、510もその波に飲まれていきました。
2-2-2)純正とは少し違う色に全塗装
まずフロントグリルがメッシュ(ただの金網)に変更され、バンパーがボディ同色の白に塗られました。それほど器用ではない兄貴の手作業だったので、出来栄えは本人の思惑通りとはいかなかったようです。どうしても気に入らなかったようで、しばらくすると業者に全塗装を依頼しました。
色は510のオリジナルのオレンジに近い山吹色にするのかなと思いきや、オレンジそのまんまに全方位塗られ、サッシなどのメッキ部分はブラックアウト塗装で仕上がってきました。
今なら恥ずかしくて乗れないような色でしたが、当時はもっと派手な色の車が何とか族の間では一般的だったので、逆にちょっとおしゃれな車に仕上がっていました。
2-2-3)ちょっとやりすぎた結果
この色は兄貴も気に入ったようで、丁寧とは言い難かったですが、それなりに大事に乗っていました。もともと510のエンジン音は乾いた心地よいものでしたが、兄貴はもっと良くしようと勢い余ってSUツインのエアフィルターを、安物のエアファネルに変更してしまいました。
しばらくは快音を響かせて走っていましたが、これが510の寿命を一気に縮めたようで、日が経つにつれ徐々に吹き上がりが悪くなりました。どうやら安物のエアファネルが十分フィルターの役目を果たさず、シリンダーブロックに傷が入ってしまったようでした。
3.兄貴の割り込み
3-1)家族会議を開く
そして兄貴も致し方なく次の車を探し始めましたが、それがちょうど私が親父のケンメリを引き取る話をしている時と合致してしまったのです。
ただ既に愛着が湧き始めているケンメリが、もし兄貴の手に渡ったらどうなるかは、マークⅡ、510の末路を見れば容易に想像ができました。そして親父、おふくろ、兄貴、私の4人に調停役として従姉も加わって5人で家族会議を開きました。
3-2)従姉を味方に
場所はなぜか「かに将軍」というカニ専門店でした。たまたま親父に予定外の実入りがあったということでこの店になり、従姉もカニ食べたさに調停役を買って出たと記憶しています。カニと酒が入るにつれ話はヒートアップし、兄弟の力関係で一時は劣勢に立たされました。
仕送りを無しにしてバイトでローンを返すという意気込みに、兄貴が少し躊躇(ちゅうちょ)したすきに、従姉の後押しをもらい(事前にネゴってありました)、最後は私がケンメリを引き取ることで決着しました。もしこの時ケンメリが兄貴の手に渡っていたら、とっくの昔にケンメリは絶命していると思うと今でもぞっとします。
4.兄貴は117クーペを購入
4-1)最上級グレードのXE
そして兄貴は117クーペを買うことになりました。DOHCエンジンを搭載した最上級のXEグレードの中古車です。当初117クーペは手作りでしたが、兄貴の117クーペは量産型でした。ただ人気が高くそれなりの値段が付いていたと記憶していますし、兄貴がそれをどうやって支払ったのかは未だによく分かりません。
4-2)本木目パネルは薄皮だった
117クーペはイタリアの巨匠ジウジアーロ(かっこつけてジョージアローという人もいます)のデザインで、卓越したエクステリアだけではなくインテリアも当時としては、国産車にはないモダンな造りでした。
インストパネルは手作りの時代は本木目でしたが、量産型になってからはアルミパネルに本木目の薄皮を張った構造だったので、よく見ると角の所が浮き始めアルミパネルが少し顔を出していました。
4-3)荒々しい加速性能
トランスミッションは4速マニュアルでしたが、カタログ上の最高速が195Km/hということでワイドレンジのギア比と高回転まで吹き上がるDOHCエンジンにより、1速でケンメリより30Km/hほど高い速度まで引っ張ることができていました。
もちろんシグナルグランプリでは、まったくケンメリには勝ち目はありませんでした。この117クーペは、その優美なエクステリアからは想像もできないほど、荒々しい加速性能も有していました。
4-4)シャーシーはフローリアン
もう少し117クーペの話を続けると、前述の通りエンジンはなかなかの性能だったのですが、シャシーはいすずの上級セダンのフローリアンの流用でした。
リアサスペンションは、トラックなどでよく使われているリーフリジット、いわゆる板バネ型で、後ろから見ると流麗なリアビューの足元からちらりと板バネが見えて、なんともアンマッチだったことも記憶しています。
5.次回に向けて
以上少し長く兄貴の車の話をしてしまいましたが、次回(その3)ではいよいよ私の元にケンメリがやってきます。ケンメリと親父が買ったジャパン(GC210)との比較などもご紹介しますので、楽しみにしていていてください。
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