親父の車遍歴:番外7(シルビア(S13)編【前編】:ライバル「プレリュード」が大ブレーク!)
Contents
1.はじめに
本編(その9):ローレル(C33)編で、バブルの時代に輝いていた日産車たちをご紹介しました。その中から、当時の若者の心を鷲づかみにした「5代目シルビア(S13) 」と、当時ライバル関係にあったホンダの「プレリュード」を、【前編】【後編】の2回に分けてご紹介をしたいと思います。
今回【前編】では、まずは前振り(?)ということで(「プレリュード」ファンの皆さん、すいません)、ライバルの「プレリュード」をご紹介します。
なお本ブログは、私のつたない昔の記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。
2.「初代プレリュード」誕生
2-1)微妙なデザイン
「初代プレリュード」は、1978年11月にデビューしました。
当時はトヨタの「セリカ」、日産の「フェアレディZ」「シルビア」、マツダの「RX7」など、各社からスペシャリティカー(スポーツカー含む)が販売されている中で、ホンダは「シビック」「アコード」といったファミリーカーしかラインナップにありませんでした。
そしてあのホンダが、いよいよスペシャリティカーを発売するという噂が立ち、多くのホンダファンのみなさんの期待が膨れ上がりました。メルセデスベンツの「SL」に極似しているといった情報が、カー雑誌に書かれたりして、私もどんなカッコいいのが出てくるのだろうと興味津々でした。
そしていよいよ発売したので、早速ホンダの販売会社に見に行くと、「シビック」をベースに「SL」を作るとこんな形になるといった、ちょっと微妙なエクステリアデザインでした。
2-2)ホンダの意欲作
あまりに期待が大きすぎたのかもしれませんが、アナログ式の大径スピードメーターの内周に、同軸でタコメーターをレイアウトした、ユニークな「集中ターゲットメーター」や、ロータリー式AM/FMマルチラジオといった装備類に加え、日本で初めて電動式サンルーフが、一部のグレードを除きほぼ全グレードに標準設定されてるなど、ホンダらしい意欲作でした。
ちなみに「集中ターゲットメーター」は、その名の通り目線を変えずに、スピードメーターとタコメーターを同時に見ることができるといった画期的なコンセプトでした。ただ当時「初代プレリュード」に試乗したことがありますが、頭の切り替え速度があまり早くない私には、どちらがどちらの針なのか混乱してしまった記憶が残っています。
そんなホンダの意欲作も、国内では多くの方が私と同じく微妙な受け止めをしたようで、期待ほどの販売実績は残せませんでした。ただ海外、特に北米では、すでに好調な販売を続けていた「シビック」の上級車種として受け入れられ、国内の何倍もの台数を売り上げたようです。
3.「2代目プレリュード」で大ブレーク
3-1)「ボレロ」と共に
「初代プレリュード」は前述の通りちょっと微妙でしたが、1982年11月にワイド&ローのいかにもスペシャリティーカーといった「2代目プレリュード」がデビューしました。
フロントサスペンションを高さが抑えられるダブルウィッシュボーンに変更し、これでもかというほどにボンネットが低く抑えられていました。ヘッドライトもリトラクタブル式に変更され、ボンネットの低さをより強調していました。
この低く抑えられたボンネットが、バレエ曲「ボレロ」をBGMにしてゆっくりと姿を現すTVCMは、なかなか衝撃的でした。「FFスーパーボルテージ」というキャッチコピーは、いまいち意味が分かりませんでしたが、まだFR(Front engine Rear drive)が全盛の中で、FF(Front engine Front drive)のネガを払拭するのが狙いだったのかもしれません。
3-2)「デートカー」
そしてこの「2代目プレリュード」は、当時の多くの若者たちに受け入れられ、爆発的なヒット作となりました、本編(その8):R30編で少しご紹介した「ハイソカー」とは異なる、新たな「デートカー」なるものを築き上げたのも、この「2代目プレリュード」でした。
本編(その8):R30編の中で、「ハイソカー」というのは私の勝手な解釈で、ビュアホワイトのボディカラーに、分厚いモケットのシート、さらにはえんじ色でボタン止めしてあればベストといった車の分類だとお話ししました。
それに対し「デートカー」というのは、車の分類というよりは、この「2代目プレリュード」に与えられた称号のようなものでした。
4.「3代目プレリュード」はさらにブレーク
4-1)絶頂期に登場
女の子を誘いたい世の男性たちが、こぞって購入した「2代目プレリュード」が絶好調な中で、1987年4月に「3代目プレリュード」がデビューしました。エクステリアデザインはキープコンセプトで、フロントエンドの「おやつのカール」の宣伝に出てくるおじさんの口髭のようなグレーのアクセントがなくなった以外は、ほぼ同じでした。
ただ「2代目プレリュード」の勢いは、「3代目プレリュード」に変わっても衰えることなく、むしろさらに勢いが増した感じでした。そして多くの若い初々しいカップルたちが乗った「3代目プレリュード」が、街中にあふれ返っていました。
4-2)4WS(Four Wheel Steering)
「3代目プレリュード」の大きな特徴は「4WS」でした。「4WS」とは、1985年に「7代目スカイライン(R31)」に搭載された「HICAS」が始まりで、前輪だけではなく後輪も操舵するシステムになります。その狙いはコーナーリング性能の向上であり、オーバーステア(狙い以上に車が回頭してしまうこと)を抑えるために、後輪を前輪と同位相にほんの少しだけ動かしていました。
当時は、各社が競い合うようにこの「4WS」を開発していましたが、それらは電子制御を用いて実現されていました。ただホンダだけは、機械式でギアを工夫することで、ハンドルを少しだけ回すと後輪は他社と同様に同位相に、さらに大きく回すと逆位相になり小回りが利きやすくなっていました。
どんな挙動を示すのかとても興味があったので、ホンダの販売店でこの「3代目プレリュード」の「4WS」を試してみました。販売店の駐車場から交通量の多い幹線道路に、大きくハンドルを切って全力で出ようとしたところ、ハンドルが切れすぎてまじで怖い思いをしたことを覚えています。同乗していた販売店の方曰く、そんなに急発進するとは思いませんでした、とのことでした。
5.おわりに
以上が、「5代目シルビア(S13) 」とライバル関係にあった、ホンダの「プレリュード」のご紹介になります。次回【後編】では「歴代シルビア」と、「5代目シルビア(S13) 」と「3代目プレリュード」とのバトルについてご紹介したいと思います。
<我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口>
我が愛車ケンメリとの様々なエピソードや、私の記憶の中にしっかりと刻まれている数々の往年の名車たちをご紹介していますので、ぜひご覧になってください。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません