親父の車遍歴:番外6(シーマ(FPY31)セフィーロ(CA31)編:バブルの時代に誕生した日産車たち。)
Contents
1.はじめに
本編(その9):ローレル(C33)編で、バブルの時代に輝いていた日産車たちをご紹介しました。今回はその中から、その時代に新たに投入された2車種、「初代シーマ(FPY31):以下シーマ」と「初代セフィーロ(CA31)」をご紹介します。
なお本ブログは、私のつたない昔の記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。
2.「シーマ」のご紹介
2-1)3ナンバー専用ボディ
「シーマ」が発売される4ケ月前の1987年9月に、「トヨタ クラウン」が「8代目クラウン(S13系):以下クラウン」にフルモデルチェンジされ、3ナンバー車はワイドボディになり、バブル景気の真っだ中に時流に乗って爆発的なヒットとなりました。
従来の3ナンバー車のボディは、「トヨタ センチュリー」や「日産 プレジデント」などの、VIPを後席に乗せ、専属運転手が運転する「ショーファードリブン専用モデル」を除き、下図(2)のように、5ナンバー車のバンパーやサイドプロテクターを大型化したりして造られていました。
それに対し、新しく生まれ変わった「クラウン」は、下図(3)のようにボディサイドの外板を5ナンバー車と異なる3ナンバー専用のワイドボディに仕立て上げました。今では全幅1700mmの5ナンバー枠を超える車は星の数ほどありますが、当時この専用ワイドボディは画期的で、少しでもお金持ちに見られたいといった方々が殺到しました。ただこの「クラウン」は専用ワイドボディといいながら、幅が広がっただけで外観は基本「クラウン」でした。
そして、1988年1月に日産は、満を持して「シーマ」を発売しました。型式は「FPY31」で、ベースモデルは「セドリック・グロリア(Y31):以下Y31」ですが、そのボディは「Y31」とは別物で、下図(4)のようなボディの外板はすべて専用の、「Y31」の面影は微塵もない完全な3ナンバー専用ボディでした。
こうなるといままで「クラウン」に触手を伸ばしていた人たちが、放っておくはずがありませんでした。そして覚えている方も多いと思いますが、高級車が大衆車のように飛ぶように売れた「シーマ現象」が起こりました。
2-2)圧倒的な加速力
「シーマ」は、V型6気筒3000㏄DOHCのVG30DE型と、V型6気筒3000㏄DOHCターボのVG30DET型の、2つのエンジンを搭載していました。VG30DE型エンジンは先行して「レパード(F31)」「フェアレディZ(Z31)」に搭載されていましたが、そのエンジンをインタークラー付きセラミックターボでさらにパワーアップしたVG30DET型エンジンは、「シーマ」が初搭載となる255馬力を誇る国産最強のエンジンでした。
私も当時、一度だけ知り合いの車を運転する機会がありましたが、高速道路の料金所(当時はETCはありませんでした)から、一気にフルスロットルで発進加速すると、周りの車たちが一瞬止まったのでは思えるほど、今まで経験したことが無い圧倒的な加速力を体感することができました。
そのままアクセルを踏み続ければ、あっという間に180km/hのスピードリミッターが作動するであろうと確信しつつ、一応制限速度を守って走行しましたが、高速での追い越し加速も抜群で、あっというまに追い越しを完了することができました。
本編(その9)で、街中でお尻を下げて255馬力で急加速する「シーマ」をよく見かけたというお話をしましたが、実際ハンドルを握っていると、あまりお尻が下がっているという感覚はなく、ただその加速感に陶酔するだけでした。
2-3)マルチAVシステム
今でこそ「カーナビゲーション:以下カーナビ」が当り前ですが、1981年にホンダが「エレクトロ・ジャイロケーター」を市場に投入したのが、「カーナビ」始まりです。まだまだ電子地図が無い時代だったので、フィルムに印刷された地図を差し替えながら使うといった半アナログ的なシステムでした。
その数年後に、トヨタは電子地図版の「エレクトロマルチビジョン」という「カーナビ」を「クラウン」のフルモデルチェンジに合わせてに搭載してきました。すべてに優位に立っていたかのように見えた「シーマ」も、この点だけは「クラウン」に先を越されていました。
そして1989年8月のマイナーチェンジのタイミングで、ようやく「シーマ」にも「マルチAVシステム」という、「カーナビ」が投入されました。私の記憶では、現在の「カーナビ」を大きく上回る価格で、画面サイズはわずか6インチのブラウン管型だったと思います。
まだGPSも、ルート案内機能もなく、ときおり道から外れる車のマークをひたすら追い続けるといったレベルでしたが、当時としては超先進装備でした。その後まもなくしてGPSが使用可能になり、携帯電話の普及と共にテレマティクス(車両情報サービス)と融合し、「カーナビ」は飛躍的な進歩を遂げました。
3.「セフィーロ」のご紹介
3-1)異次元の車
「セフィーロ」は、スカイライン、ローレルの兄弟車にあたり、前述の「ハイソカー」の代表選手となるマークⅡ3兄弟(マークⅡ、チェイサー、クレスタ)に対抗すべく、兄弟を1人増やすために、1988年9月に投入されたモデルです。マークⅡ3兄弟は、正直なところエンブレムを見ないと見分けがつかないほど同じ個性(トヨタなりに各々のすみ分けはあるようでした)の車でしたが、日産の3兄弟は3車3様の個性を持っており、特に「セフィーロ」の個性はぶっ飛んでいました。
4ドアセダンでありながら、流れるようなシルエットで、今でいうベンツのCLS/CLAクーペ、BMWのグランクーペシリーズの先駆けのような車でした。最新型のプロジェクター式ヘッドライトを透明のクリアカバーで覆いつくしたフロントフェイスは、まさに異次元の車でした。
3-2)お元気ですか?
たぶん「セフィーロ」でみなさんの記憶に残っていることは、そのTVCMでも流れた「くうねるあそぶ」「お元気ですか~」というキャッチコピーではないかと思います。特に助手席から歌手の井上陽水さんが、笑顔で「お元気ですか~」と問いかけてくるシーンはなかなか鮮烈でした。
3-3)キャディバックは4個搭載可能
以前のブログでご紹介しましたが、このころはよく仲間たち4人と軽井沢にゴルフにでかけました。我が愛車「ケンメリ」でという選択肢もありましたが、万が一途中で「ケンメリ」が息絶えてゴルフ場にたどり着けないといけないので、仲間の親父さん所有する「セフィーロ」で行きました。
「セフィーロ」は、その外観からは想像できないほど大きなトランクを有しており、4人分のキャディバックと荷物をなんなく収納することができました。そして若年(当時)親父4人で、軽井沢までの道のりを、庶務の女の子の話題で盛り上がりながら、快適に過ごしました。
4.各車の主要諸元
「シーマ」と「セフィーロ」と、参考までに「クラウン」の主要諸元を下表に示します。全長、全幅は「シーマ」も「クラウン」も大きく違いませんが、なんといってもエンジンパワーがまったく異なりました。
その後「クラウン」は「シーマ」対抗として、「初代セルシオ」に搭載予定だったV型8気筒4000㏄DOHCの260馬力を誇る1UZ-FEエンジンを、なんと「初代セルシオ」先行して1989年8月のマイナーチェンジで搭載してきました。
5.おわりに
以上が「シーマ」と「セフィーロ」のご紹介になります。その後「セフィーロ」は、2代目は大ヒット作となりましたが、3代目が振るわず2000年初頭に姿を消しました。「シーマ」は、「セドリック・グロリア」の後継である「フーガ」とボディを共用するなどして生き延びていましたが、残念ながら昨年2022年にその30年余りの生涯に幕を閉じました。
そして現在「スカイライン(V37)」が、日産に残る唯一のセダンとなりました。
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