我が故郷岐阜の市内観光エリアをご紹介します。見どころは時代と共に変化していました。
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1.はじめに
先日のブログで、特急「ひだ」号の新型車両「HC85系」のご紹介をしたときに、少しだけ我が故郷岐阜をご紹介しました。18歳のときに岐阜を離れてからは、盆暮れ正月ぐらいしか帰ることはありませんが、そんな中でも街の変化は十分感じとることができました。
ということで今回は、あらためて岐阜市内の観光エリアを、少し昔をしのびながらご紹介をしたいと思います。なお文中の写真は今までに岐阜に帰省したときに撮ったものなので、多少古いものもあることをご了承ください。
2.岐阜市内の観光エリア
2-1)岐阜市のご紹介
最初に少しだけ岐阜市のご紹介をすると、愛知県名古屋市の北に位置する岐阜県の県庁所在地です。人口は40万人ほど中堅都市で、私が小学校の社会科で習ったときから、ずっとこの人口のままです。
ただ私の実家は街の中心部にありますが、バブル期の地上げなどにより近所には空き地が点在しており、そこに住んでいたみなさんは、もっと広い土地を求めて郊外に移っていかれたようで、人口の分布は大きく変化しています。
街の北東には山頂に「岐阜城」を構える標高329mの「金華山」、西には日本百名山にも選ばれている標高1377mの「伊吹山」があり、「金華山」の麓には鵜飼で有名な名水百選に選ばれている「長良川」が流れる、とても風光明媚なところです。
2-2)3つの観光エリア
岐阜市内には、大きく分けて下記の3つの観光エリアがあります。
(1)岐阜駅周辺(JR&名鉄)エリア
(2)岐阜公園周辺エリア
(3)柳ケ瀬周辺エリア
この中で(3)柳ケ瀬周辺エリアは、歌手の美川憲一さんが歌った「柳ケ瀬ブルース」の舞台であり、大げさにいうと、渋谷のセンター街と新宿の歌舞伎町を足して二で割ったような、岐阜県、もっといえば東海地区でも有数の繁華・歓楽街でした。
ただバブルが崩壊し、前述のように市内から郊外へ人が移り住んでいったころから徐々に人が途絶えはじめ、今では一部の歓楽街をの除き閑古鳥の鳴る、ひなびたアーケード街となってしまいました。私が青春時代にデート(?)を楽しんだ柳ケ瀬の面影はまったくなく、近年再開発が徐々に進められているようです。
そんな柳ケ瀬周辺エリアのご紹介は、再開発で新しい姿になってからとして、今回は(1)岐阜駅(JR&名鉄)周辺と、(2)岐阜公園周辺をご紹介したいと思います。
3.岐阜駅(JR&名鉄)周辺エリア
3-1)「織田信長公」がお出迎え
JR岐阜駅の北口を出ると、威風堂々とした黄金に輝く「織田信長公」の像が、目に飛び込んできます。戦国時代に「織田信長公」は天下取りに備え、難攻不落といわれた岐阜城に居を構えた時期があり、岐阜とは深いかかわりがあります(この段落と下記写真は「HC85系」の記事と重複していることをご了承ください)。
岐阜市では毎年「ぎふ信長まつり」が開催されていますが、ここしばらくはコロナ渦での休止されており、昨年3年ぶりに開催されました。メインイベントとして、武士が馬に乗って行進する騎馬武者行列が行われましたが、岐阜市出身の俳優伊藤英明さんが、木村拓哉さんにお声掛けをされ、有名俳優2人によるゴージャスな行列が実現しました。
当初は沿道からの見物客は1万5千人程度を抽選で募りましたが、キムタク人気でなんと倍率は64倍まで膨れ上がったそうです。そして行列の当日は、抽選に外れた方々も含めなんと岐阜市の人口を越える46万人が押し寄せ、結局沿道の規制エリアも急遽解放し、なんとか混乱を回避したそうです。
3-2)岐阜シティ・タワー43
上記岐阜駅前の写真映っている2つの大きなビルの左側が「岐阜シティ・タワー43」で、2007年9月に建てられた岐阜県で初めての超高層ビルです。着工当時は、超高層ビルに慣れていない私の両親も含めた岐阜のみなさんの間では、とんでもないものができるといった話題で持ちきりだったようです。
それまでは、岐阜市の西に位置する大垣市にある1973年に建てられた「大垣共立銀行本社ビル」の17階建てが、長きにわたり岐阜県で一番大きなビルとして君臨していました。ちなみに今でも新幹線で大阪方面に岐阜羽島駅を通過した直後に、北(右)方向を見ると「大垣共立銀行本社ビル」を見ることができます。
「岐阜シティ・タワー43」は商業・居住の複合ビルで、4階までは商業施設、5階から14階は高齢者向け賃貸住宅、14階から42階は分譲マンションになっています。分譲マンションを売り出す前は、こんなに一杯部屋があって空室だらけになるのではと心配されたようですが、注文を開始するとあっという間に完売したようです。JR岐阜駅に直結し、JR名古屋駅までは快速で20分ほどで行くことができる利便性を考えたら、当然の結果だったと思います。
43階にはレストランと無料の展望室があるので、濃尾平野に広がる絶景を気軽に楽しむことができ、岐阜市の新しい観光スポットになっているようです。
3-3)繊維問屋街
JR岐阜駅の北側一帯は、高度成長期に繊維産業で栄華を極めたころの岐阜市の象徴である、繊維問屋街が広がっています。中学校時代の友だちの家がこの問屋街の中にあったので、迷路のように広がるこの問屋街で、まずは友だちが先行してたどったルートを、私がもう一度たどるという「同じ道をもう一度たどるゲーム」なることを楽しんでいました。
今から思えば、これは結構知能指数が要求されるゲームで、その友人は学校の成績も優秀で、家に遊びに行くと必ず知能指数が微妙な私をこのゲームに誘いました。
先日「HC85系」の小旅行を終えて、その小旅行の余韻に浸りながらトボトボと歩いて実家まで帰る途中で、久しぶりに問屋街の中を歩いてみました。以前ほどの活気はないものの、まだまだやっているお店はたくさん残っていました。
ただその中に、今までにない変化も感じました。繊維問屋の店舗の中に分け入るように、ベトナムなどのアジアの食材を扱うお店、小粋な小料理屋やおしゃれな自転車屋などがぽつぽつと点在しており、問屋街に新しい変化が始まっているような気がしました。
鈍い私は気付きませんでしたが、近年この問屋街でがウォールアートが旬になっており、多くのアーティストたちが今までにない問屋街の魅力を引き出そうとしているようです。この話を聞いて、以前訪れたマレーシアのペナン島ジョージタウンで、街のいたるところにウォールアートがあり、それらが街の有名観光スポットになっていたことを思い出しました。
この令和の時代に、駅前の一等地にこれだけの規模の問屋街が残っている街はめずらしいのではと思います。一部アーケードには、手を加えられてこじゃれた小路風になっているところもありました。再開発の計画も進められているようですが、ただ普通に近代的にするのではなく、この大切な昭和のアセットを最大限に活かそうと、地元の皆さんが日々ご検討されているようです。
3-4)夜もにぎやか
前述の通り、岐阜市の誇る繁華・歓楽街、柳ケ瀬周辺エリアはすっかりさびれてしまいましたが、新しい繁華・歓楽街としてJR岐阜駅と名鉄岐阜駅周辺に広がる「たまみや」地区が、今では岐阜市のもっとも熱いエリアになっているようです。鉄道駅中心に栄える都会型の街に、いよいよ岐阜市もなってきたということでしょうか。
少し前になりますが、この「たまみや」地区の真ん中を通る長住町通を歩いているときに、方々から聞こえる若者たちの「岐阜弁」に、カミさんがすっかり怖気ずいてしまったことがありました。「なんやー」「たわけ」「はよせえ」などという岐阜では当たり前の言葉は、外の人にとっては恐怖のようです。
昔の長住町通は、デパートが一角を陣取っていたので、お店はあまりなく人通りもそれほど多くなかったので、一般車が入れない新岐阜駅(現在の名鉄岐阜駅)の一般車の待機場のようになっていました。1年前に私のプログ第一作目でご紹介しましたが、我が愛車ケンメリと出会ったのもこの場所になります。
4.岐阜公園周辺エリア
4-1)遠足の定番コース
岐阜公園周辺エリアは、岐阜市内の小学校の定番遠足コースになっています。金華山の麓にある「岐阜公園」の中には、「岐阜市歴史博物館」「加藤栄三・東一記念美術館」「名和昆虫博物館」がといった、小学生がただ弁当を食べるだけではなく、いろいろと学べる施設も付設しています。
少しだけ歩くと、「正法寺」というお寺に日本三大仏(あと2つは奈良の大仏、鎌倉の大仏)に数えられる「岐阜大仏」があり、この大仏は乾漆仏としては日本一の大きさになるようです。
4-2)岐阜の美橋
「岐阜公園」の近くにある「長良橋」は、1954年に架けられ5代目となり、オーソドックスながらなかなか優美な姿をしており、写真が無いのが残念ですが、「金華山」「長良川」「長良橋」の3点セットで撮られた写真は、よく岐阜市の観光案内にも登場します。
「長良橋」の隣には「金華橋」「忠節橋」が架かっており、長きにわたり「長良川」で分けられた岐阜市の北と南を結ぶ重要な役割を担ってきました。その中でも「忠節橋」は「長良橋」よりさらに古く、戦後間もない1948年に架けられた4代目で、鋼鉄アーチ橋、リベットむき出しの鉄人28号のような橋です。お時間があれば、「金華山」を眺めながら「長良川」の堤防を散策し、この「忠節橋」まで足をのばすのもいいかと思います。
4-3)岐阜の夜景
「金華山」の山頂に構える「岐阜城」へは、「ぎふ金華山ロープウェー」で手軽に行くことができます。このロープウェイは前述の「岐阜公園」と「金華山」の山頂駅を約4分で結んでおり、山頂駅付近には、売店、展望レストランも併設されているのと、すぐ隣には「ぎふ金華山リス村」があり、つかの間のリスとの戯れで癒されることができます。
そしてなんといっても最大の目玉は、眼下に広がる岐阜の夜景です。「伊吹山」に沈む夕日と、そこから徐々にまたたきだす岐阜市街の明かり、遠くには名古屋まで続く濃尾平野に広がる夜景は感動ものです。少し手前味噌かもしれませんが、なぜこの夜景が、日本の〇大夜景に選ばれないのか不思議でしかたがありません。
この夜景を楽しむために、毎年夏季にはロープウェイが夜間も運転されてます。お車の方は、「金華山ドライブウェイ」で山を上り、「金華山ドライブウェイ展望台」や「水道山展望台」から夜景を楽しむこともできます。ただこの道はあまり整備されておらず深夜は通行止めになるので、事前に確認してから行かれることをお勧めします。
4-4)古い町並み
「金華山」の麓の「長良川」沿の「川原町」地区は、あのいまわしい岐阜の大空襲から難を逃れており、古い民家が立ち並んでいます。以前はそれらはただ(?)の古い民家だったのですが、先日この近くの旅館に用事があり訪れると、金沢や飛騨高山のような観光客も楽しめる古い町並みにとして新しく整備されていました。
お土産屋などもあり、老舗旅館でひとっ風呂浴びてから散策するのにちょうどいい町並みになっていました。
5.おわりに
以上が、我が故郷岐阜のご紹介になります。これからも岐阜駅周辺の再開発は進み、10年後には昔の面影はまったくなくなってしまうのかもしれません。逆によく40年以上も残しておいてもらえたと喜ぶべきなのかもしれません。
私の長い(あっという間でした)人生の中で、岐阜で過ごしたのはほんの1/3ほどです。それでも岐阜で過ごした若き日の思い出は、いまだに色あせることはなく、岐阜への想いは薄れることはありません。
これからも遠くの地から、岐阜公園周辺エリアでは岐阜のよき伝統をしっかりと継承し、岐阜駅エリアで問屋街のアセットを最大限に活かしつつ岐阜の玄関口として新しい岐阜が生み出されていくことを願っています。
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