地元横浜産の芋焼酎「一里山」に出会いました。それは「白麹」ゆかりの酒蔵で造られていました。

2024年3月28日

1.はじめに

 先日「冬の月」のブログの中で登場した「おばちゃんの酒屋」で、地元横浜産のサツマイモを使った芋焼酎「一里山」を勧められました。わが家のハウス焼酎の「黒伊佐錦」の3倍近い値段でしたが、めずらしさもあり奮発して購入してしまいました。

「冬の月」のご紹介
「冬の月」のご紹介

 今回はその「一里山」と、「一里山」をたどった先にあった焼酎の歴史についてお話しします。

2.「一里山」とは

2-1)横浜のIT企業が販売

 横浜産ということなので、最初は横浜のどこかにある酒蔵が製造しているのかと思いました。少し調べてみると横浜にある【口口(くちぐち)ネット株式会社】というWeb運営会社の社長さんが「一里山」製造の発起人で、実家が横浜で農家をやられているという関係から、横浜産のサツマイモを使った芋焼酎を考え出したそうです。

 「一里山」という地名は、同名のゴルフ練習場があるのでだいたいの場所は知っており、自宅からほど近いところにあります。そこで「紅はるか」「山川紫」「黄金千貫」の3種類のサツマイモが作られて「一里山」の原料になるようです。

 「一里山」は数量限定で、横浜の限られたお店でしか買えないそうです。そんな中で「おばちゃんの酒屋」で見つけることが出来たのは、奇跡だったのかもしれません。確かにおばちゃんが「一里山」を勧めてくれたときの顔は、どことなく誇らしげだったような気がしました。

 とはいえひょっとしてオンラインショップで買えないものかと調べたところ、なんと唯一Yahooショッピングに出店している前述の【口口ネット株式会社】の運営する「口々WEBショップ」で、この「一里山」が購入できることが分かりました。数量限定であることには違いないので、ぜひお早めに、貴重な横浜産の芋焼酎を味わってみてください。

¥2,420 (2023/05/25 15:39時点 | Yahooショッピング調べ)

2-2)種麹屋の【錦灘酒造】が製造

 製造は芋焼酎の聖地鹿児島にある【錦灘(にしきなだ)酒造】で行われています。【錦灘酒造】は全国に5つしかない種麹屋のひとつで、近代焼酎の父と呼ばれ「河内菌白麹」の発見者である河内源一郎先生の血筋を引いているそうです。

 こちらに先ほどの横浜産の3種類のサツマイモを送り、種麹屋ならではの匠の技で他に真似の出来ない焼酎に仕上げ、その後300日熟成させて完成するのだそうです。

2-3)「一里山」を味わう

 ボトルをやさしく包んでいる不織布の袋からもったいぶりながらボトル取り出し開栓すると、これぞまさしく「芋焼酎」といった、どちらかというと重めの香りがただよってきました。

「一里山」のボトル
「一里山」のボトル

 グラスに注いで香りを楽しみながら口に運ぶと、少し甘めでコクがありつつも、きりっとした味が口の中にひろがりました。地元の横浜産ということで、少しバイアスがかかっているかもしれませんが、味は3種類のサツマイモの絶妙なバランスでなかなか洗練されており、ワンランク上の芋焼酎感を醸し出していました。

グラスに注いだ「一里山」
グラスに注いだ「一里山」

 「一里山」をまったりと楽しみながらラベルやキャップをながめていたら、なにげにラベルの背景にうっすらと描かれた「横浜ベイブリッジ」が、力強い「一里山」の文字を引き立てていました。

 キャップに書いてある「spirits park GEN」は何のことかと調べてみると、「一里山」を製造している【錦灘酒造】が、鹿児島空港近くで運営している焼酎のテーマパーク(?)のようでした。

 前述の河内源一郎先生の足跡などの展示や酒蔵の中の見学ができるようで、観光バスも立ち寄る観光名所になっているようです。焼酎のボトルを模した大きな鉄塔が立っているそうなので、鹿児島空港に行かれた方は記憶に残っておられるかもしれません。

「一里山」のキャップとラベル
「一里山」のキャップとラベル

 以前ご紹介した「焼酎の分類と製法の違いによる特徴」の表に「一里山」をあてはめると、下表の通りとなりました。「蒸留方法」は味わった結果から、「常温蒸留」と類推しています(間違っていたらすいません)。

「一里山」の製法と特徴

3.焼酎の歴史

3-1)焼酎の歴史を少し勉強

 「一里山」の製造元である【錦灘酒造】は、前述の通り近代焼酎の父と呼ばれ「河内菌白麹」の発見者である河内源一郎先生の血筋を引いているということなので、焼酎、特に近代焼酎の歴史について少し勉強してみました。

3-2)日本に伝わったのは14世紀~16世紀

 焼酎が日本にどうやって伝わってきたのかについては諸説あり、あまり正確なことは分かりませんでした。時代はだいたい14世紀から16世紀の間で、タイから琉球を経由して九州に伝わったというのが、有力な説のようです。泡盛がタイ米を使うということから、この説はなんとなくしっくりきます。

3-3)「麹」により焼酎が近代化

 もともと焼酎は、日本酒と同じ「黄麹」で仕込まれていたそうです。「黄麹」は暑さに弱いため、日本酒の酒蔵の多くは寒い地方に位置しています。そんな「黄麹」を温かい鹿児島地方で扱うことになるので、昔の焼酎の味はあまりよくなく、バラツキも大きかったそうです。

 そんな中で河内源一郎先生が、1910年に泡盛で使われている暑さに強い「黒麹菌」の栽培に成功し、その後「白麹菌」も発見(偶然だったようです)し、一気に焼酎の近代化が進んだようです。

3-4)本格芋焼酎ブームは最近

 安かろう悪かろうといった時代は終わり、1970年代に入ると「白麹」仕込みの「さつま白波」のお湯割りのTVCMが引き金となった「第一次焼酎ブーム」、1980年頃から「甲類」の焼酎が引き金になった「第二次焼酎ブーム」、こちらは若い女の子も好んで焼酎を呑むようになった、いわゆる「チューハイブーム」になります。

「球磨拳」のご紹介
「球磨拳」のご紹介

 そして2000年頃から「黒麹」の焼酎による「第三次焼酎ブーム」、ここから私の愛する本格芋焼酎の時代が始まり現在に至っています。暑さに弱い「黄麹」についても、冷蔵施設による綿密な温度管理により2010年ごろから、再び焼酎に使われるようになったようです。以前ご紹介した米焼酎「球磨拳」は、「黄麹」で繊細な味わいを出していました。

 あらためて焼酎の歴史を勉強してみると、今のように様々な種類の日本酒と焼酎がお酒売り場を二分するようになったのは、ちょうど私が芋焼酎にハマった(= 焼酎が飲めるようになった)2000年頃からだったとは少し意外な気がしました。

 今から40年ほど前に会社の寮の近くの酒屋で、同僚が「焼酎をください。」と言ったら、お店のオーナーの気高そうな奥様が、「うちには焼酎は置いてありません。たかが焼酎ですから。」と言い放った記憶がよみがえりました。確かに昔の焼酎は、日本酒が買えない人が呑むものといった位置づけだったのかもしれません。

焼酎の歴史
「だいやめ」のご紹介
「だいやめ」のご紹介

4.おわりに

 以上が地元横浜産のサツマイモを使った「一里山」と、にわか仕込みの焼酎の歴史のご紹介です。近代焼酎の歴史は、意外と浅かったことが分かりましたが、いまもなお先日ご紹介した「だいやめ」のように進化を続けています。今度はどんな味にめぐり合えるのか、楽しみで仕方がありません。

<ケンメリブログのお酒のメニューの入口>

 いろいろな 焼酎、日本酒、ワイン、ウイスキー などをご紹介していますので、ぜひご覧になってください。

ケンメリブログのお酒のメニュー入口
ケンメリブログのお酒のメニュー入口

<お酒を呑みながら、ぜひ読んでみてください。(我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口)>

 我が愛車ケンメリ(4代目スカイライン)との様々なエピソードや、懐かしい昭和の名車たちをご紹介していますので、お酒を呑みながら、ぜひ読んでみてください。

我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口
我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口

■■■ 提携先総合オンラインショップ ■■■