我が青春を彩ったクルマたち:その2(初代セリカ編【前編】:未来の国からやってきました。)

1.はじめに

 前回(その1)では、学生時代の友人の中で一番早くからクルマを所有し、そのクルマで毎日登校していた友人が乗っていた、トヨタの「初代カリーナ:以下カリーナ」をご紹介しました。

(その1):初代カリーナ編編
(その1):
初代カリーナ編編

 その中で「カリーナ」と、同じ時期に発売された日本初の本格的スペシャリティカー「初代セリカ:以下セリカ」は、兄弟車だったというお話をしました。

 その「セリカ」は、私の学生時代には発売されてからすでに7年以上経過していたので、中古車価格はけっこうお手頃になっており、低年式車であれば50万円を大きく下回る価格で購入できたと記憶しています。

 そんなカッコよくてお手頃な「セリカ」は、私たちのような貧乏学生にはピッタリのクルマで、多くの友人が乗っていました。ということで今回から【前編】【後編】の2回に渡り、その多くの友人が乗っていた「セリカ」と、その「セリカ」にまつわるエピソードをご紹介したいと思います。

 まずは今回【前編】では、「セリカ」のクーペとリフトバックの車両概要をご紹介したいと思います。

 なお本ブログは、私の学生時代のつたない記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。

2.まずはクーペから

 「セリカ」は、大阪万博で日本中が沸き上がった1970年(2025年の万博もそうなることを願っています)の暮れの12月に、まずはピラーレスハードトップのクーペから発売されました。そのエクステリアデザインは、今まで見たことがないまさに “未来の国からやってきた" というキャッチコピー通りのクルマでした。

 発売当初には、なんと少年雑誌(多分少年サンデー?)でも取り上げられるほどの、大人だけでなく子供までもワクワクさせるような、本当に魅力的なクルマでした。

 搭載されるエンジンは1.4リッターと1.6リッターで、その頂点は1.6リッター直列4気筒DOHCエンジンをソレックスツインキャブレターで武装した強力な(2T-G型:115馬力)でした。

 グレードは下から[ET][LT][ST][GT]の4つでしたが、フォードの「マスタング」の販売方法を参考にし、フルチョイスシステムというお客さまの好みで、内装、外装、オプション装備などが自由に選ぶことができる販売方法で、理論的に2000万通りもの組み合わせができたようです。

 この組み合わせを手作業で発注することは、相当な苦労を営業マンに強いることになりますが、そこはさすがトヨタ、この時代にすでにトヨタの工場と販売店をオンラインで結ぶ発注システムを構築して対応していたようです。

「セリカ」クーペの外観(国産名車コレクション付録ミニカー)
「セリカ」クーペの外観(国産名車コレクション付録ミニカー)

 当時小学生だった私は、本当に純粋な気持ちでこの「セリカ」を、とてもカッコいいクルマと思っていましたが、一部の揚げ足を取りたがる大人たちは「だるまセリカ」と呼んでいました。ただ言われてみれば、なるほどと思わざる負えませんでした。

「だるまセリカ」のイメージ
「だるまセリカ」のイメージ

3.そしてリフトバックが

 「セリカ」は、その未来的な(だるまのような)ルックス、卓越した走行性能、リーズナブル価格設定(50万円台から買えたようです)、フルチョイスシステムという販売方法、と売れない要素はなに一つないクルマということで、若者を中心に爆発的にヒットしました。

 「セリカ」の累計販売台数(初代分)は40万台を超えており、歴代「セリカ」の中でダントツの販売実績を上げています。ちなみにスカイライン史上最も売れたといわれる我が愛車「ケンメリ:4代目スカイライン(GGC110)」の累計販売台数は67万台なので、「セリカ」の数字は、スペシャリティーカーというジャンルとして考えると驚異的といえます。

 そんな人気絶頂の中で1973年4月に、フォードの「マスタング」のファストバックを参考にした(パクった)リアをファストバックスタイルにし、ハッチゲートをつけたリフトバック(以下LB)が、ラインアップに追加されました。

 この「セリカ」の開発するにあたり、トヨタは当時アメリカでスペシャリティカーの代名詞でもあったフォードの「マスタング」を、デザインから販売方法に至る隅々まで、徹底的に研究していたようです。

ファストバックスタイルのイメージ(手前が「セリカLB」で奥が「マスタング」)
ファストバックスタイルのイメージ
(手前が「セリカLB」で奥が「マスタング」)

 ボディパーツは、よくある前半分はクーペと共用で、後ろ半分だけLB専用ではなく、LBとして最適なプロポーションを実現するために、クーペの面影は残しつつもすべて新規に起こしたものでした。

 そしてこのLB追加のタイミングで、クーペともども2.0リッターのエンジンが追加され、エンジンラインナップの頂点の座は、前述の(2T-G型)から2.0リッター直列4気筒DOHCエンジンをソレックスツインキャブレターで武装した最強の(18R-G型:145馬力)に置き換わりました。

 ただ、このタイミングで(2T-G型)エンジンはドロップされることなく、継続設定されています。さすがDOHC王国のトヨタです。

 その(18R-G型)エンジンが搭載されるグレードには、栄えある[2000GT]の称号が与えられ、こうなってくると今までは車格が異なるクルマだった、ちょうどその時期に現役で販売されていた我が愛車「ケンメリ」との距離が縮まってきました。

 そしてスペシャリティーカーとスポーティセダンでジャンルこそ違えども、若い女性から絶大なる人気のある(当時一番大事なことでした)クルマという流れから、いつしか両車はライバルとなりました。

親父の車遍歴(その7):ジャパン編
親父の車遍歴(その7):
ジャパン編

 そして、世代が代わり「2代目セリカ」と「ジャパン:5代目スカイライン(GC210)」の対決のときに、「2代目セリカ」はゴキブリのようなエクステリアデザインを恥ずかしく思うどころか、厳しい排ガス規制の中で首の皮一枚で残すことができた(18R-G型)エンジン(130馬力まで落ちていました)を盾にして、あの名キャッチコピー(?) “名ばかりのGT達は道をあける" を生みだしました。

「セリカ」LBの外観(国産名車コレクション付録ミニカー)
「セリカ」LBの外観(国産名車コレクション付録ミニカー)

4.「セリカ」の主要諸元

 下表に「セリカ」クーペの1.6リッターの[1600ST]と[1600GT]、そしてLBの2.0リッターの[2000GT]の主要諸元を示します。前述の通りクーペとLBのボディパーツは、たとえ互いに似ていても別物ということで、LBのほうが全長、全幅が大きく、全高が低くなっています。たださすがにホイールベースは同じでした。

「セリカ」クーペの1.6リッターの[ST]と[GT]、そしてLBの2.0リッターの[GT]の主要諸元

5.おわりに

 以上が、未来の国からやってきて少年の心まで鷲づかみにした、「セリカ」のクーペとLBの車両概要のご紹介になります。

 次回【後編】では、最初にお話ししたように、多くの友人が乗っていた「セリカ」の中から、特に親しかった2人の友人の「セリカ」+ ONE のお話をしたいと思います。

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