親父の車遍歴:その10【最終回】(8代目セドリック(Y32)編:このクルマで親父の車遍歴は幕を閉じました。)
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1.はじめに
ずいぶん前になってしまいましたが、本編(その9)でご紹介した「6代目ローレル(C33):以下C33」は、4ドアピラーレスハードトップがゆえのドアのきしみ音には悩まされつつも、それなりに気に入っていたようで、親父にしては結構長く乗り続けました。
ただ親父とおふくろが、兄貴夫婦と同居するために実家を2世帯住宅に建て替える際に、仮住まいしていた借家の駐車場が道路に少しはみ出していたので、ボディサイドに何回かいたずらをされてしまいました。
初めのうちはタッチペイントでごまかしたりしていましたが、そのうちにどうしても我慢できなくなったようで、実家の建て替えが完了すると次なるクルマを探し始めました。親父もすでに還暦を過ぎていたので、そろそろ人生最後のクルマとして頂点を極めたいという思いから、「8代目セドリック(Y32):以下セドリック(Y32)」あたりを候補に挙げていました。
当時日産からは「インフィニティQ45」や「シーマ」といった、「セドリック」の上級車種がランナップされていましたが、親父たちの年代の方々にとっては、「セドリック」が日産の高級車の代名詞でした。
そして、そのころ「セドリック(Y32)」はフルモデルチェンジが近づいており、モデル末期の販売のテコ入れとして、とてもお買い得な特別仕様車が次々と発売されていたので、親父はその中から自分に合った仕様のクルマを選びました。
ということで今回本編(その10:最終回)では、親父の最後の愛車「セドリック(Y32)」を中心にご紹介したいと思います。時代は、世の中が浮かれまくったバブル景気が崩壊した1990年代の半ばになります。
なお本ブログは、私のつたない昔の記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。
2.「セドリック(Y32)」のご紹介
2-1)高い完成度
(番外23)でもご紹介しましたが、「初代セドリック」は1960年3月に発売されました。それからはトヨタの「クラウン」と鎬を削りながら、日本の高級車市場をけん引してきました。
そして、その8代目となる「セドリック(Y32)」は、1991年6月に発売されました。本編(その9)でご紹介した、バブルの時代の日産の勢いは、そのころまではまだ続いており、他の日産車と同様に「セドリック(Y32)」はとても完成度が高い魅力的なクルマでした。
私は個人的には、「セドリック(Y32)」は「歴代セドリック」の中でも、1、2を争う名車だったと思っています。
水平基調のとても伸びやかなエクステリアデザインで、重厚過ぎず、かといって高級車らしい落ち着きはしっかりと残しつつ、とてもバランスのいいデザインでした。
先代「7代目セドリック(Y31)」から設定され、とても好評だったスポーティグレードのグランツーリスモは、「セドリック(Y32)」では丸形4灯のヘッドライトが採用されており、ノスタルジックというよりは、角目のヘッドライトにすっかり入れ替わってしまった中では、むしろ新鮮なフロントマスクとなっていました。
2-2)凝った装備類
インテリアも、インスト中央にアナログ式の時計を配し、間接照明を使ったとてもシックで趣のある空間に仕上げられていました。アナログ時計は前期型が白地にゴールド指針、後期型が黒地にシルバー指針のデザインで、親父のクルマは後者でした。
正直なところ前期型の白地にゴールド指針の方が高級感があり、小さいながらもなかなかの存在感を示していましたが、視認性の問題なのか原価低減のためなのかよく分かりませんが、後期型では黒地にシルバー指針に変わってしまいました。
私は「セドリック(Y32)」の数ある装備の中で、一番高級車らしく、とてもエレガンスな装備だと思ったのは、なぜかパーキングブレーキでした。
作動は従来通りの足踏み式でしたが、解除は従来の少し前かがみになって操作するインスト下にあるレバーからではなく、センターコンソールにレイアウトされた電動SWで運転姿勢を崩さずにさりげなく、という仕様でした。この作動と解除の流れが、とても人間の感性に合うと共に、ステッキ式、サイド式と違い、とてもエレガンスに映りました。
最近のクルマは、eパーキングとか、もっといえばeシフトとか、スマホ世代の若い方々は別にして、私たちのような、パワステ無しのマニュアルミッション世代にはなかなか馴染みません。
これは、じじいは早く免許を返納しろ、という私たちシニアに対する警鐘であれば、それはそれで受入れざる負えないのかもしれません。ただ踏み間違い防止、逆走防止などと、シニアの事故を本気で無くそうと考えているのであれば、走る、曲がる、止まるに関する装備のUI(User Interface:車屋さんはHMI(Human machine Interface)といいます)は本当にそれでいいかを、もう一度考えていただけたらと思います。
一方で「セドリック(Y32)」の装備で、ますます氾濫するSW類を見栄えよく処理するために考え出されたリトラクタブルSWは、いざSWを使うときの使い勝手が悪く、多くの方はいつも開いたままで使っておられました。こちらはちょっと企画倒れだったのかもしれまん。
2-3)お得なグランツーリスモ
「セドリック(Y32)」のエンジンバリエーションは、V型6気筒ガソリンエンジンの、2.0リッターSOHCから、3.0リッターDOHCターボまで、それに加えて2.8リッター直列6気筒SOHCのディーゼルエンジン、という幅広いバリエーションを有していました。
親父はこの数あるバリエーションの中から、外観はグランツーリスモのままで、エンジンは2.0リッターV型6気筒SOHCのVG20E(125馬力)という、いわゆるなんちゃってグランツーリスモを選びました。
ただ日産の得意とする、6気筒エンジンを搭載するクルマに4気筒エンジンを搭載して安く仕上げるのではなく、一応V型6気筒エンジンということで、エンジン音で見分けられる心配はありませんでした。
気になる走行性能も、この頃になると厳しい排ガス規制は完全に克服されており、還暦を過ぎた親父が普通に走っている分には何の不満もなかったようです。まさに親父にベストマッチな「セドリック(Y32)」だったのではないかと思います。
ちなみに1989年の法改正で、自動車税がエンジン排気量のみの区分となったので、3ナンバー車でちょっと見栄を張りつつ(当時はまだ今のように3ナンバー車が氾濫していませんでした)、税金は1.5リッター以上2.0リッター以下の区分で、なんと我が愛車ケンメリ(4代目スカイライン(GC110)、正確にはマイナーチェンジ後なのでGC111))と同額でした。
3.新しくなった駐車場
3-1)クルマ3台が駐車可能に
そして実家の建て替えも無事完了し、長い間狭小駐車場に苦しめられてきた親父の悲願であった、広大な駐車場が実現しました。その広さは「セドリック」クラスが2台、「マーチ」のようなコンパクトカークラスが1台の計3台の駐車が可能でした。
入口にはリモコン式のシャッターも完備しておりセキュリティも万全で、我が愛車ケンメリで帰省しても、安心して駐車することができました。
3-2)「エルグランド」登場
そしてしばらく平穏な日々が過ぎていきましたが、あるとき突然兄貴が、1997年5月に発売し瞬く間に本格ミニバンブームを巻き起こした、日産の「初代エルグランド(E50):以下エルグランド(E50)」が欲しいと騒ぎだしました。
確かに兄貴夫婦には、当時まだ小さかった私の甥っ子2人がおり、ここにスポンサー役の親父とおふくろを入れて計6人で休日に出かけるには最適で、かつアメ車のミニバンを彷彿させる威風堂々としたエクステリアデザインは、アメ車好きの兄貴が欲しがるのも当然のクルマでした。
ただ「エルグランド(E50)」は、日産の誇る最上級ミニバンなので親父の買った「セドリック(Y32)」より更に高額で、せめて同じ日産の「セレナ」か「ラルゴ(懐かしいです)」あたりでいいのではないかと、私も加わってみんなで説得したのですが、以前ブログでご紹介したように、クルマに関しては言い出したら聞かない兄貴ということで、まもなくして親父の「セドリック(Y32)」の隣に「エルグランド(E50)」の巨漢が並ぶことになりました。
「エルグランド(E50)」のボディサイズは、親父の「セドリック(Y32)」より一回り大きく、さすがに広大になった実家の駐車場でも、この2台が並ぶと結構一杯一杯になってしまいました。どうやら長い間狭小駐車場に苦しめられてきた親父が、ようやくノーストレスで駐車できるようになった夢のようなひとときも、これで終わりとなったようでした。
4.各車の主要諸元
「セドリック(Y32)」と「エルグランド(E50)」の主要諸元を下記に示します。「セドリック(Y32)」は、親父の買った V20グランツーリスモと、そのグランツーリスモの最上級グレードである V30ツインカムターボ グランツーリスモ アルティマ Sパッケージを載せてあります。
両車のボディサイズは全く同じですが、エンジンの馬力とトルクが倍以上違います(黄色網掛部分参照)。でも前述の通り同じV6エンジンなので、シグナルグランプリをするかボンネットを開けない限り、これが一番安いグランツーリスモであることを気付かれることはありませんでした。
「エルグランド(E50)」は、全長は「セドリック(Y32)」より少し短いですが、全幅は30mmほど勝っています。繰り返しになりますが、さぞかし親父の車庫入れを苦しめたものと思われます。
5.おわりに
以上が親父の最後のクルマとなった「セドリック(Y32)」と、最後まで親父の車庫入れを苦しめた「エルグランド(E50)」のご紹介になります。
その後親父は、実家の駐車場だけではなく、スーパーなどの駐車場でも辛くなってきたようで、不本意ながらコンパクトカーの購入を検討し始めました。そして親父は、そのコンパクトカーに買い替えることはなく、永遠の眠りにつきました。
マツダの「キャロル」から始まり、日産の「セドリック」で幕を閉じるという、昭和を象徴する車遍歴だったのではと思います。
今回で、本編で10回、番外編で24回、の計34回も続いた「親父の車遍歴」シリーズは終了となります。ちょうど丸1年が経ちました。長い間ご愛読ありがとうございました。そして次なるシリーズまで、しばしお待ちいただけたらと思います。
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