親父の車遍歴:番外16(「Q45」&「セルシオ」編:日本が世界に誇る高級車の誕生です。)
Contents
1.はじめに
(番外13)でご紹介した「平成ABCトリオ【前編】」の中で、第28回東京モーターショー(以下東京MS)で各社から意欲的なクルマたちが出展されていたというお話をしました。
その中で、国産の二大巨頭(当時)である日産、トヨタから、世界でも十分通用する高級車が出展されていました。その高級車とは、「日産 初代インフィニティQ45(以下Q45)」、「トヨタ 初代セルシオ(以下セルシオ)」でした。
この2台は、華やかなコンセプトカーの中で、静に、そしてめらめらと闘争心を燃やしつつ、これから始まる熱い戦いを待っていました。
ということで、今回は、その日本が世界に誇る「Q45」と「セルシオ」をご紹介したいと思います。
なお本ブログは、私のつたない昔の記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。
2.「セルシオ」
2‐1)源流対策
「セルシオ」は1989年9月に、トヨタが新たに北米で展開するレクサスチャンネルの旗艦として「LS400」の名で北米でデビューし、その1か月後に国内で「セルシオ」の名でデビューしました。当時はまだレクサスチャネルは国内では展開されていないので、「セルシオ」という国内向けの名前となっていました。
ベンツ、BMWなどの高級車がしのぎを削り合っている北米の高級車市場に、トヨタは真っ向勝負に挑みました。もちろん万全の備えを整えた上でです。
とにかく「セルシオ」の音振性能は群を抜いていました。当時のベンツ、BMWは、高速性能(高速エンジン性能、高速走行安定性、高速ブレーキ性能など)は抜群に優れていましたが、音振性能はそれほどではなかったようです。それに対し「セルシオ」は、源流対策ということで、とにかく音を出さない、振動を出さないといった、徹底した基本設計がなされていました。
この頃になるとカーエレクトロニクスが進化し、「アクティブノイズキャンセラー」という、ノイズと逆相の音源を発することで、音振を抑える技術も出てきていましたが、それに頼ることなくあくまで源流対策で、卓越した音振性能を実現していました。
そして日本車のあまり得意ではない高速性能に関しては、この「セルシオ」の開発のためにトヨタはわざわざ北海道の士別に高速テストコース作り、徹底的に高速性能の造り込みをやったのだそうです。
「セルシオ」のTVCMは、この士別のテストコースで撮影されており、トヨタのこのテストコースに込めた思いはよく伝わってきました。ただ、ふと思うと、本編(その3):コロナ編でご紹介した、高速時代に適応した「3代目コロナ(RT40型)」が高速道路を爆走するTVCMを思い出し、懐かしい気持ちにもなりました。
2-2)外見はオーソドックスだが
「セルシオ」のエクステリアデザインはとてもオーソドックスで、大きなフロントグリルを付けた定番の高級車のスタイルでした。インテリアも特に奇をてらうことなくオーソドックスな、上質でとても居心地のよさそうな空間に仕上がっていました。
そんな中で「セルシオ」の運転席には、本来あるべきメーターの指針やインジケーターは無く、ただ黒いパネルで覆われているだけでした。そしてエンジンを始動すると、黒いパネルの中に大小4つのメーター指針が浮かび上がり、その後メーターのゲージやインジケーター類が顔を出し、ようやく普通のメーターの容姿に落ち着きました。
これは「オプティトロンメーター」と呼ばれる技術で、高い輝度を確保するために、メーター指針やゲージのバックライトに「冷陰極管(熱を出さない蛍光灯で、メーターには不可欠な調光が可能になっています)」という凝ったデバイスを使った当時の最先端の技術でした。
今でこそ黒いパネルで覆われたメーターは当たり前で、さらに大型の高精細液晶パネルに映像でメーターを形成するような時代になっていますが、当時は画期的かつ、運転席に座った方への最高のおもてなしでした。
3.「Q45」
3-1)「QUE-X」がベース
「Q45」は、1985年に開催された第26回東京MSに、近未来を予感させるコンセプトカーとして出展されていた「QUE-X」がベースといわれています。「QUE-X」は当時考えられる先端技術がすべて織り込まれたコンセプトカーで、6ライトのシャープでクリーンなエクステリアデザインがとても印象的でした。
そして「QUE-X」は、「Q45」の最大の特徴となるグリルレスのフロントデザインで、そこには来るべき自動運転の時代を見据えたレーザーレーダーの開口部が配備されていました。
「QUE-X」に搭載されていた先端技術は30以上にものぼり、特にエンジン関連の技術が多かったのは、当時は、EV、ハイブリッドなどの電動化の時代は、まだまだ先であると考えられていたことを物語っています。
そんな中でも、現在の自動運転、コネクテッドカーにつながる要素技術が搭載されていたことは、さすが技術の日産、先見の明があったことの証です。
3-2)本物の高級車とは
「Q45」の国内でのデビュー-は、「セルシオ」の1ヶ月遅れの1989年11月になります。「セルシオ」が世界基準のオーソドックスな高級車を目指したのに対し、「Q45」は当時キャッチコピーにもなっていた「ジャパン・オリジナル」にとことんこだわった高級車でした。
日本人が高級車を突き詰めるとどうなるかということで、グリルレスのフロントエンドの真ん中に、七宝焼きで造られた唐草模様の「インフィニティ エンブレム」、漆とチタンと金粉から造り上げられた神秘的なグラデーションの「KOKON インストパネル」など、「ジャパン・オリジナル」へのこだわりが随所にみられました。
運転席は、ドライバーを包み込むような、あくまでドライバードリブンのデザインで、新設計のV型8気筒DOHCエンジンと4輪マルチリンクサスペンション、油圧アクティブサスペンションで、高級車でも腕に覚えのあるドライバーが運転を楽しむことができる、なかなかスポーティな味付けだったようです。
音振性能で群を抜く「セルシオ」に対し、「Q45」はスポーティさと「ジャパン・オリジナル」で勝負しました。その結果、北米ではそこそこの実績を残したものの、残念ながら国内での勝負は「セルシオ」の圧勝でした。
その後のマイナーチェンジで大幅な変更が加えられ、申し訳程度のフロントグリルの追加、木目調インストパネルへの変更がなされましたが、ますます「Q45」のオリジナリティは失われていき、国内では1世代で姿を消していきました。
「Q45」の発売から1年後に、「Q45」のホイールベースを150mm延長し、なんとも厳ついフロントグリルが付けられた「プレジデント」が登場し、こちらは2003年まで13年ほど販売されていました。
個人的にこの「プレジデント」は、車輪の数とボディカラーこそ違えども、空想TV番組「サンダーバード」に出てくる「ペネロープ」号みたいで、けっこう気に入っていました。
4.各車の主要諸元
「CUE-X」「Q45」「セルシオ」の主要諸元を下表に示します。「Q45」と「セルシオ」のボディサイズはほぼ同じで、世界の名だたる高級車と遜色はありません。
「セルシオ」のエンジン出力は260馬力と、北米仕様の「LS400」より10馬力大きくなっています。これは(番外6):シーマ&セフィーロ編の中でもお話ししましたが、「セルシオ」と同じ1UZ-FEエンジンを搭載する「8代目クラウン(「セルシオ」より2ケ月先行してマイナーチェンジで搭載)」が、当時国内の高級車市場を席巻していた「初代シーマ」の255馬力に対抗すべく、260馬力にする必要があったからだったようです。
5.おわりに
以上が「Q45」と「セルシオ」のご紹介になります。
「Q45」は国内からは1代限りで姿を消しましたが、2代目からは国内の「シーマ」がベースとなり、途中「Q70」に呼び名を変えて、海外のインフィニティチャネルで2019年まで販売されていました。
「セルシオ」は、国内でのレクサスチャネルの展開に伴い「LS」シリーズに改名し、現在も「LS500」「LS500h」として、レクサスの旗艦として堂々とラインアップされています。
あれから30年余り、当時国産の二大巨頭といわれていた日産とトヨタ、その両社の差はずいぶん開いてしまいました。
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