我が青春を彩ったクルマたち:その8(初代サバンナRX‐7編:見知らぬ女性が乗っていました。)

1.はじめに

 私の学生時代には、[2000GT]の称号を与えられた我が愛車「ケンメリ:4代目スカイライン(マイナーチェンジ後なので私のケンメリはGC111)」や、高性能エンジンの証であるDOHC(Double Over Head Camshaft)を搭載して誇らしげに [GT] の冠をつけていたトヨタ車たちが、厳しい排ガス規制に適合するために、相当苦しめられていました。

 そんな中でも、マツダのお家芸(国内ではマツダのみが量産化しました)であるロータリーエンジン搭載車(以下ロータリー車)だけは、燃費さえ気にしなければ、十分にスポーティーな走りを楽しむことができました。

 その理由は、ロータリーエンジンは機構的に熱効率が一般的なレシプロの4サイクルエンジンより劣るため燃費は悪くなりますが、排ガスの中で処理が一番厄介な窒素酸化物(NOx)の発生が少ないので、大掛かりな排ガスを浄化する装置を必要とせず、パワーダウンを最小限に抑えることができたからです。

 そして、池沢さとしさんのコミック漫画「サーキットの狼」の影響で、世の中は空前のスーパーカーブームで湧き上がっているその真っただ中に、マツダからロータリーエンジンを搭載した和製スーパーカーとも呼べる「初代サバンナRX-7」が、衝撃的なデビューを果たしました。

 ということで今回は「初代サバンナRX-7」と、まだピッカピカの新車にもかかわらず、その「初代サバンナRX-7」に乗っていた、見知らぬ女性(同じ学生寮に住んでいました)をご紹介したいと思います。

 なお本ブログは、私の学生時代のつたない記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。

2.「初代サバンナRX-7」

2‐1)当時のロータリー車たち

 当時のロータリー車たち(もちろんすべてマツダ車です)は、燃費さえ気にしなければどの車種に乗っても、 “チューーーーん(個人の感想です)"というモーターのようなエンジン音とともに、胸のすくような加速を味わうことができました。

 ちなみに国内でロータリーエンジンが初めて搭載されたのは、1967年5月にデビューした「コスモ スポーツ」となります。その後1968年に「ファミリア ロータリー クーペ」、1969年に「ルーチェ ロータリー クーペ」がデビューして、ロータリー車の第一世代が築かれました。

 1970年代に入ると、量販車種を中心にロータリーエンジンは搭載されるようになり、第二世代に移行しました。その搭載車種は、ちょっと悪そうな「サバンナRX-3」や、ちょっと地味で親父臭い「2代目ルーチェ」「初代カペラ」などとなり、第一世代のような華やかさはなくなってしまいました。

「4代目ファミリア」のご紹介ブログ
「4代目ファミリア」の
ご紹介ブログ

 そんな中で以前ご紹介した「4代目ファミリア」の兄貴分にあたる「2代目コスモAP」が1975年10月に登場し、第二世代のロータリー車の “悪そう" とか “親父臭い" といったイメージを刷新しました。

 ただ「2代目コスモAP」はとても魅力的なクルマでしたが、少し高価で高貴すぎたので、当時の若者にはちょっと手が出ませんでした。

2‐2)衝撃的なデビュー

 そして1978年3月に、世の中の若者の期待に応えるべく「初代サバンナRX-7」が衝撃的なデビューを果たしました。その出来栄えは私たちの想像をはるかに超えるもので、日本でもこんなクルマを造ることができたことに驚きを感じました。

 エクステリアデザインは、リトラクタブルヘッドライトの採用とコンパクトなロータリーエンジンの搭載により超スラントノーズを実現し、リアは全面ガラスの近未来的なデザインで、イタリアのスーパーカーを彷彿させるみごとなプロポーションでした。

「初代サバンナRX-7」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)
「初代サバンナRX-7」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)
シート柄のイメージ(パワポで作成)
シート柄のイメージ
(パワポで作成)

 インテリアデザインもスポーツカーの定番であるT字型のインストで、クラスターの3連メーターの真ん中にタコメーターを配するなど、スポーツ心をくすぐるデザインでした。

 ただシートだけは一応セミバケット形状でしたが、なぜかチェック柄で、おしゃれといえばそうなのかもしれませんが、ちょっといまいちでした。

 そして心臓部は12A型の2ローターロータリーエンジンで、前述の通り排ガス規制などなんのその(もちろん対策されていました)、ほとんど動力性能を損なうことなく、名ばかりのGT達がゼロヨン加速で17秒すら切れなくなっている中で、軽く16秒を切る高性能ぶりを発揮しました。

 かっこよくて速く、価格もなんとか手が届きそうということで、発売直後から売れに売れてあっというまに納車は1年以上待ちとなってしまいました。そして街中が「初代サバンナRX-7」で埋めつくされました。

 発売された年の夏休みに信州方面に旅行に行ったときに、対向車線に次から次へと「初代サバンナRX-7」、それも宣伝メインカラーのカエルのような黄緑色のメタリックばかりが現れて、なかなか圧巻でした。

対向車線を走る「初代サバンナRX-7」のイメージ(少し誇張しています)
対向車線を走る「初代サバンナRX-7」のイメージ(少し誇張しています)

3.見知らぬ女性が乗る地味な「初代サバンナRX-7」

 そんな衝撃的なデビューを果たした「初代サバンナRX-7」ですが、まだ発売間もないピッカピカの新車で、納期も1年以上待つということで、当然ながら私の周りの友人の中で所有している人はいませんでした。

 もちろん当時私が住んでいた学生寮の駐車場でも、まったく見かけることはありませんでした。が、あるときから、なんとも地味で目立たない「初代サバンナRX-7」を、駐車場で見かけるようになりました。

ごついコーナーミラーのイメージ(パワポで作成)
ごついコーナーミラーの
イメージ(パワポで作成)

 カエルのような黄緑色が氾濫している中で、その「初代サバンナRX-7」は地味~なダークグレーのメタリックで、なんとリトラクタブルヘッドライトで引き締まったスラントノーズの先端の角に、なんともごついコーナーミラーが付いていました。

 格納可能なコーナーポールならまだしも、乗用車に付いているのはほどんど見かけたことがないような、ひょっとすると作業用車両向けの装備ではないかと思えるような、本当にごついコーナーミラーでした。

 そしてたまたまその「初代サバンナRX-7」が駐車場から出てきたときに見てみると、運転しているのは見知らぬ女性でした。それからも何度か同じ女性が運転しているのを見かけているので、おそらく彼女が所有者だったと思います。その女性も私と同じ学校の学生のようでしたが、学部が違うようで学校の中では見かけることはありませんでした。

 これは勝手な推測ですが、娘さんがお父さんに「初代サバンナRX-7」が欲しいとねだり、しかたなくお父さんは販売店に出向き、たまたま地味な色ゆえに在庫になっていたクルマを勧められ、でもとても運転しづらそうなので娘のことを心配して、特大のコーナーミラーを付けてもらったという流れだったのではと思いました。

見知らぬの女性が乗る「初代サバンナRX-7」のイメージ(パワポで作成)
見知らぬ女性が乗る「初代サバンナRX-7」のイメージ(パワポで作成)

4.「初代サバンナRX-7」の主要諸元

「初代サバンナRX-7」の主要諸元

 「初代サバンナRX-7」の主要諸元を右表に示します。エンジン性能は、数値上は名ばかりのGT達とほぼ同じですが、実際の走りは別次元でした。ロータリーエンジン恐るべしでした。

 その後165馬力のターボモデルも追加され、しばらくは「初代サバンナRX-7」の天下が続きましたが、さすがの名ばかりのGT達も、ターボの力を借りたりして徐々に復活してきました。

 そして1980年代のおわりの「8代目スカイライン(R32)」の[GT-R]や、「4代目フェアレディZ(Z32)」などの登場により、いつのまにやらロータリー神話は薄れていってしまいました。

5.おわりに

 以上が、衝撃的なデビューを果たし、同じ学生寮の見知らぬ女性が乗っていた、「初代サバンナRX-7」のご紹介になります。

 世の中のクルマたちが、厳しい排ガス規制で苦しんでいる中で、この「初代サバンナRX-7」は、どんなに厳しくても、どんなに苦しくても、まだまだ元気に走るクルマを造ることができるということを、しっかりと示してくれました。

 また再び「初代サバンナRX-7」のような、世の中を明るくし、皆がワクワクするようなクルマが、今の時代に合った形で登場してくれる日がくることを願っています。

<我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口>

 我が愛車ケンメリとの様々なエピソードや、私の記憶の中にしっかりと刻まれている数々の往年の名車たちをご紹介していますので、ぜひご覧になってください。

我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口
我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口