我が青春を彩ったクルマたち:番外11(いすゞの名車:117クーペ編【前編】:”日本三大美車” のひとつでした。)
1.はじめに
本編(19)(20)でいすゞの「初代ジェミニ」と、その「初代ジェミニ」を兄貴分にあたる「オペル カデット」風にドレスアップして、かっこつけて乗り回していた友人をご紹介しました。
いすゞといえば「親父の車遍歴」シリーズの(番外24)でもご紹介しましたが、乗用車市場から撤退して久しく、いまではトラックメーカーのイメージが定着していますが、以前は名車と呼べるほどの魅力的なクルマを、数多く世に送りだしています。
ということで、今回から数回に渡り、いすゞの名車たちをご紹介していきたいと思います。
まず第一弾は、いすゞを代表する名車「117クーペ」で、今回から【前編】【後編】の2回に渡りご紹介したいと思います。「117クーペ」はいままでにも何度か本ブログに登場していますが、今回はそのヒストリーや車両概要などの詳細をご紹介させていただきたいと思います。
なお本ブログは、私の学生時代のつたない記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。
2.最初は手造りで
「117クーペ」は1968年12月に発売されました。いままでみたことがないような細いピラーがもたらす大きなグラスエリアの流麗な2ドアクーペで、前年の1967年に発売された「トヨタ2000GT」、「コスモ スポーツ」とともに、私の中では “日本三大美車" のひとつとなっています。
ちなみに当時の各車の新車販売価格は、「トヨタ2000GT」は238万円、「コスモ スポーツ」は148万円、「117クーペ」は172万円で、"日本三大高額車" でもありました。



「117クーペ」の美しいエクステリアデザインは、当時はまだイタリアのカロッツェリア、ギア社のチーフデザイナーだった、のちに巨匠となるジウジアーロがデザインし、1966年のジュネーブモーターショーや東京モーターショーなどに出展され好評だったコンセプトカー「117スポルト(スポーツ)」がベースとなっています。
その「117スポルト」を、市販化に向けて再度ジウジアーロがオリジナルを損なうことなくデザインの見直しを試みましたが、それでも量産ラインで生産するには困難な部位が多く、最終的にはボディのプレスをおおまかにおこない、あとは職人たちがトリミングや穴あけなどを手作業でおこなうことになりました。
ちなみに職人たち(といってもいすゞの生産部門の従業員の方々だと思いますが)は、わざわざイタリアから技術指導のため板金職人を招き、指導を受けたようです。
ただその努力の甲斐あって「117クーペ」のエクステリアデザインは「117スポルト」より格段に進化し、よりスペシャリティカーらしく、まるで走る芸術品のように仕上がっています。
その結果、月産数十台という生産規模となりましたが、ほとんどの小型乗用車が100万円以下で購入できる時代に、前述の通り172万円という価格にもかかわらず注文が殺到し、生産現場はフル稼働だったようです。

3.高性能エンジン
発売当初のエンジンラインアップは、いすゞのミドルクラスのセダン&クーペ「ベレット」に搭載されていた直列4気筒OHV(Over Head Valve)エンジン(G161型)をベースに、シリンダーヘッドをDOHC(Double Over Head Camshaft)化した高性能エンジンのみでした。
1970年には同エンジンに、日本初となるボッシュ製Dジェトロニック方式の電子燃料噴射装置を採用し、さらなる高性能化を図りました。いまでは電子燃料噴射装置は当たり前ですが、もともと機械式の燃料噴射装置が採用されていたディーゼルエンジンを得意としていたいすゞだからこそ、そのトップバッターになれたのかもしれません。
その後エンジンは1.8リッターに排気量アップされ、DOHCに加えて廉価なSOHC(Single Over Head Camshaft)が追加され、厳しい排ガス規制によるパワーダウンを補うために、最終的には排気量は2.0リッターまで拡大されました。そしてなんと最終モデルには2.2リッターのディーゼルエンジンまで搭載されました。いすゞらしいです。
4.チープな足回り
「117クーペ」は、同時期に販売されていたアッパークラスのセダン「フローリアン」と兄弟車で、特に足回りは基本的に共用されていました。
以前もご紹介させていただきましたが「フローリアン」の足回りは、前輪こそダブルウィッシュボーン/コイル型でしたが、後輪は旧態依然とした半楕円リーフリジット、いわゆる固定式板バネ型のサスペンションで、そのまま「117クーペ」に移植されてしまいました。

前述の「ベレット」には、前輪:ダブルウィショボーン、後輪:スイングアクスルの、当時としてはまだまだめずらしかった四輪独立懸架が採用されており、スポーティな走りと乗り心地のよさを実現していました。
ただまだこのスイングアクスルの独立懸架方式は不具合も多かったということで、「117クーペ」には無難に半楕円リーフリジットが採用されたようです。
「117クーペ」の美しいうしろ姿の下からトラックのような板バネがみえるのは、まるで美しく着飾った貴婦人の足元をみたらサンダルだったようなイメージで、とても違和感がありました。
こちらも以前ご紹介しましたが、私の兄貴はこの「117クーペ」にのっていたことがあり、リアのショックアブソーバーを可変式に入れ替えて、それを目いっぱい伸ばしてホットロッドのようにしてよろこんで乗っていました。リーフリジットでこそ成せる業でした。でも悲惨なコーナーリング性能でした。

5.おわりに
以上が、「117クーペ」のご紹介の【前編】になります。「117クーペ」、「トヨタ2000GT」、「コスモ スポーツ」は、私が勝手に “日本三大美車" と呼んでいるだけですが、今の時代においてもその美しさは不変だと信じています。
次回【後編】では、”手造り” から始まった走る芸術品の「117クーペ」が “量産丸目"、"量産角目" へと進化(退化)していく過程をご紹介したいと思います。
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