我が青春を彩ったクルマたち:番外1(アメ車編【前編】:マスタングを毎朝拝んでいました。)
Contents
1.はじめに
本編(その2)(その3)の「初代セリカ」のご紹介の中で、フォードの「マスタング」を参考にした(パクった)様々なオプションが選べるフルチョイスシステムや、ファストバックスタイルのリフトバック(LB)のお話をしました。
そんなお話をしているうちに、こどもの頃に映画のスクリーンや、TVのブラウン管の中で走り(飛び?)回っていたアメ車たちを思い出しました。
まだ人を乗せてまっすぐ走ることで精一杯だった国産車(失礼)に対し、大量のガソリンを巻き散らせ、豪快にタイヤを鳴らしてドリフトしながら走り回るアメ車たちは、めったにお目にかかることができない別世界のクルマたちでした。
ということで、今回から【前編】【後編】の2回に渡り、まだ私が小学生だった1960年代に輝きを放っていたフォードの「初代マスタング」と、GM(ゼネラルモータース)の「2代目シボレー コルベット スティングレー(C2):以下2代目コルベット(C2)」をご紹介したいと思います。
今回【前編】では、あの名優スティーブ・マックィーンがハンドルを握って爆走した「初代マスタング」と、そのどう猛な派生モデルをご紹介します。
なお本ブログは、私の少年時代、学生時代のつたない記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。
2.「初代マスタング」とは
2-1)ポニーカーとして爆発的なヒット
アメリカでは1960年代に入ると、第2次世界大戦後に大量(?)に生まれたベビーブーマー(日本でいうところの団塊の世代)たちが、運転免許を取得してクルマを所有し始めました。
「初代マスタング」は、そのベビーブーマーたちをターゲットにしたポニーカー(お手頃な若者向けのクルマ)として開発され、1964年に発売されました。
ちなみに「初代マスタング」は、当時フォードの副社長を務めていた、アメリカの自動車業界を語る上で欠かせない人物であるリー・アイアコッカ(以下アイアコッカ)の指揮のもとで開発されています。
さすが敏腕のアイアコッカということで、「初代マスタング」は下記の通りポニーカーの条件を十分すぎるほど満たしたクルマでした。
●エクステリアデザイン: ロングノーズ、ショトデッキの定番のスポーティーカーデザイン
●販売価格: 大衆車「ファルコン」と部品共用化を積極的に行い、大幅な開発費と部品費の削減を図ることで、2000ドル台の販売価格を実現(当時1ドル360円でしたが、それでも72万円です)
●販売方法:「初代セリカ」も参考にしたフルチョイスシステムにより、ユーザーの好みのクルマに仕立て上げられる
そして「初代マスタング」は、なんとあの「T型フォード」以来といわれるほどの大ヒットとなり、発売翌年の1965年の販売台数は約56万台に達したのだそうです。
いくら自動車王国のアメリカとはいえ、スカイライン史上最も売れた我が愛車「ケンメリ:4代目スカイライン(GC110)」の5年間の累計販売台数の約67万台に迫る数字を、わずか1年間で達成したことになります。
2-2)映画の中でも大活躍
「初代マスタング」が登場する映画で有名なのは、1968年に公開されたスティーブ・マックィーン主演の「ブリッド」です。最初にお話ししたように、スティーブ・マックィーン自らがハンドルを握って繰り広げられるカーチェイスは圧巻でした。
もうひとつは、いつ見たのかはよく覚えていませんが、1966年に公開されたクロード・ルルーシュ監督のフランス映画「男と女」の中で、「初代マスタング」のオープンカーがフランシス・レイの美しい音楽が流れる中を、華麗に走り抜けていくシーンが、私の記憶には強く残っています。
フランシス・レイといえば、1968年にフランスで開催されたグルノーブル冬季オリンピックの記録映画の中で流れた「白い恋人たち」も、本当にきれいな曲で大好きでした。なんだか、やけにませた少年だったようです。
2-3)どう猛な[初代マスタング]
ポニーカーという、どちらかといえばナンパなイメージの「初代マスタング」でしたが、1965年にマッチョでどう猛な「シェルビー350GT」という派生モデルが追加されました。
「シェルビー350GT」は、SCCA(全米スポーツカー協会)のBプロダクションでのレースのホモロゲーションを取得するために、敏腕レーサーかつカーデザイナーのキャロル・シェルビーにチューニングが託されました。
ちなみに映画「フォード vs フェラーリ」の中でも描かれましたが、同氏はレーシングカー「GT40」で、1966年のルマン24時間レースでフォードを優勝に導き、その後4連覇しています。
「シェルビー350GT」は、エンジン、サスペンションの強化はもちろんのこと、ボンネットをFRP製にするなどして軽量化を徹底的に施し、さらにレースの規定に適合させるためにリアシートを取り払って2シーターとなっていました。
ただそんなどう猛な「シェルビー350GT」には、なんとレンタカー会社のハーツ向けのAT仕様もあり、そのハイパーフォーマンスを気軽に楽しむこともできたようです。いかにもアメリカらしいです。
2-4)近所の「初代マスタング」
そんな映画の中でしかお目にかかることできない「初代マスタング」でしたが、実は私の小学校への通学路の途中にあった運送会社の広大なガレージの中に、大型トラックたちの傍らに「初代マスタング」が止まっていました。
おそらくその運送会社の社長さんのクルマだったと思いますが、シルバーのクーペでいつもピカピカでした。その社長さんは高度成長期の中で、けっこう儲けられたことと察します。
この運送会社に止まっていたシルバーの「初代マスタング」のことは、毎朝拝ませてもらっただけあって、今でも鮮明に覚えています。
3.「初代マスタング」の主要諸元
「2代目マスタング」と「シェルビー350GT」の主要諸元を下表に示します。少し古いクルマなので、一部データが欠けたり怪しいところもありますが、リファレンスを尊重していますのでご了承ください。
あらためて各データを見てみると、思っていたより両者とも車重が軽く、それに対してかなり馬力があるので、おそらくタイヤを鳴らしてフロントノーズをあげながら、凄まじい勢いで加速していったものと思われます。
ただ「2代目マスタング」は、前述のフルチョイスシステムで2.8リッター直列6気筒OHVの100馬力ほどの非力なエンジンも選ぶことができたようなので、そのオーナーは絶対にシグナルグランプリの挑発にはのらなかったと思います。
4.おわりに
以上がアメ車編の【前編】、「初代マスタング」とその派生モデルである「シェルビー350GT」のご紹介になります。
「マスタング」は、オイルショックの影響でダウンサイジングされたりしましたが、現在で7代目となり「初代マスタング」の面影を感じるスポーティなモデルとして健在です。ただ私にとっての「マスタング」は、やはり小学校のときに毎朝拝んだ「初代マスタング」となります。
次回【後編】では、TVドラマの中で空をも飛んだ「2代目コルベット(C2)」のお話と、プラスワンで私が学生時代に、けたたましい爆音を響かせて走り回っていた「2代目カマロ」のお話も、少しだけしたいと思います。
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ディスカッション
コメント一覧
カマロも期待しています。
特に、分割バンパーのヤツね!
コメント有難うございます。
そしていつもご愛読有難うございます。