我が青春を彩ったクルマたち:その10(3代目サニー編【中編】:トンネルを抜けるとそこは雪国でした。)

1.はじめに

 前回【前編】では、「3代目サニー:B210」がどんなクルマだったのか、その車両概要をご紹介しました。

(その9)3代目サニーのご紹介ブログ【前編】
(その9)3代目サニーのご紹介ブログ【前編】

 「3代目サニー」は、一応若者受けするダイナミックでスポーティなデザインということのようでしたが、私の眼には、とてもそのようには映らず、その中でも、グリーンメタリックの1.4リッターのクーペモデルは、見るたびにサンダーバード2号を思い出してしまいました。

 今回【中編】では、その「3代目サニー」に乗っていた3人の友人の中の、一度思い込んだらとことんやりぬかないと気が済まない一途な友人と、その友人の愛車だった「3代目サニー」の4ドアセダンをご紹介をさせていただきたいと思います。

 なお本ブログは、私の学生時代のつたない記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。

2.一途な友人の「3代目サニー」

2‐1)洗車不要

 一途な友人の「3代目サニー」4ドアセダンのグレードは、確か1.2リッターの[GL]だったと思います。ボディカラーはブラウンメタリックで、【前編】でもお話ししたカピバラのようなとても癒されるデザインのクルマでした。

 友人は、自分の髪の毛を洗うのも面倒くさがっていたので、クルマの洗車などもってのほかでしたが、このブラウンメタリックだと汚れはほとんど目立たないということで、重宝しているようでした。

一途な友人の「3代目サニー」4ドアセダンのイメージ(パワポで作成)
一途な友人の「3代目サニー」4ドアセダンのイメージ(パワポで作成)

2‐2)深夜の田舎道を爆走

 私の学生時代にはスノーボードなるものはほぼ存在せず、スキー、それも長いのが偉いと皆が思っており、無理して長いスキー板を履いていました。ちなみに私のスキー板は2mでした。

 冬になるとスキー板をクルマのルーフにのせて、少しでも交通費をケチるためにフル乗車でスキー場に向かいました。そしてあるとき、配車の関係でなぜかこの一途な友人とふたりで、この友人の「3代目サニー」で、越後湯沢のスキー場にいくことになりました。

 我が愛車ケンメリ(4代目スカイライン:マイナーチェンジ後なのでGC111)は燃費が悪いのでもったいないということで、友人の「3代目サニー」になりました。

 朝5時に私のアパートに友人が迎えに来ることになっていたので、前の晩は12時前には布団に入り、安眠に向けての覚醒状態に入ろうとしたそのときに、アパートの階段を勢いよくのぼる音が聞こえました。そしてその直後に私の部屋のドアが激しくたたかれたので、開けてみるとなんと友人が目をギラギラさせて息を切らせて立っていました。

 どうやら一途すぎて興奮して眠ることができなかったらしく、私と交代で運転して、私の運転中に寝る魂胆のようでした。私は安眠モード直前でしたが、仕方なく友人のクルマにスキー板や荷物を積んで、深夜の田舎道を爆走することになりました。

 ただ友人は一応私に気を使ったのか、雪山の登り口までは自分が運転し、私は助手席で寝ることになりました。とはいえ深夜の田舎道を爆走するクルマの助手席ではなかなか寝つくことができず、結局一睡もすることなく雪山の登り口に到着しました。

2‐3)トンネルを抜けると

 当時は関越自動車道は東松山ICまでしか開通しておらず、国道17号線で三国峠越えをするというのが、越後湯沢への一般的なルートでした。からっ風が吹きほとんど雪のない群馬県側から三国トンネルに入り、新潟県側の出口に差し掛かると、一面の雪景色が広がるという、まさに川端康成先生の世界でした。

 ただ確かに景色は幻想的で素晴らしいのですが、雪道の運転にあまり慣れていない私にとってはそこからが重労働で、とても神経を使った運転を強いられました。当時は高性能なスタットレスタイヤなどはなく、ノーマルタイヤに鎖のチェーンを巻いてジャラジャラ音を立てながら、ゆっくりとゆっくりと運転しました。

三国トンネルの新潟県側への出口のイメージ(パワポで作成)
三国トンネルの新潟県側への出口のイメージ(パワポで作成)

2‐4)元気な怪獣ジャミラ

 スキー場に着いたときは、まったく寝られなかったこともあり、私はヘトヘトの状態で、スキーなどやる気も起こりませんでした。

 ただ友人は、私が雪道と格闘している間は爆睡していたのでやけに元気で、スキー場は結構吹雪いていたにもかかわらず、真っ先にゲレンデに飛び出していきました。

 友人は、一途ということでそのころは本格的な登山にもはまっており(ヒマラヤまでいきました)、スキーも登山スキーで、遭難してもすぐみつけてもらえるように真っ赤なウェアを身にまとい、まるで怪獣のジャミラのようないでたちで、気持ちよさそうに直滑降で滑っていました。

 やはり何ごとにも一途な男でした。

一途な友人の滑走イメージ(パワポで作成)
一途な友人の滑走イメージ(パワポで作成)

3.各車の主要諸元

 【前編】でも掲載しましたが、参考までに下表に友人たちの乗っていた「3代目サニー」のグレードの主要諸元を示します。

「3代目サニー」の主要諸元

4.おわりに

 以上が、「3代目サニー」に乗っていた3人の友人の中の、一度思い込んだらとことんやりぬかないと気が済まない一途な友人と、その友人の愛車だった「3代目サニー」の4ドアセダンのご紹介になります。

 次回【後編】では、「3代目サニー」に乗っていた3人の友人の中の残りの2人、やたら寝起きが悪く無理して起こそうとすると暴れまくる友人と、最近になってよく一緒に呑むようになった友人と、2人の愛車だった「3代目サニー」の2つのクーペをご紹介したいと思います。

<我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口>

 我が愛車ケンメリとの様々なエピソードや、私の記憶の中にしっかりと刻まれている数々の往年の名車たちをご紹介していますので、ぜひご覧になってください。

我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口
我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口