我が青春を彩ったクルマたち:番外6(黎明期のロータリー車編【前編】:マツダの執念で誕生しました。)

1.はじめに

 前回、本編(その8)で、厳しい排ガス規制の中で名ばかりのGT達が苦しむ中で、スーパーカーのようなエクステリアデザインのボディに、高性能ロータリーエンジン搭載して衝撃的なデビューを果たした「初代サバンナRX-7」をご紹介しました。

「初代サバンナRX-7」のご紹介ブログ
「初代サバンナRX-7」
のご紹介ブログ

 その中で、国内でロータリーエンジンが初めて搭載されたのは「コスモ スポーツ」で、その後「ファミリア ロータリー クーペ」、「ルーチェ ロータリー クーペ」が次々とがデビューし、ロータリーエンジン時代の幕開けとなったというお話をしました。

 今回から【前編】【後編】の2回に渡り、血のにじむような努力の末に実用化されたロータリーエンジンと、その黎明期にマツダからデビューした3台のロータリーエンジン搭載車(以下ロータリー車)、そして少しだけ世界初のロータリー車「ヴァンケル スパイダー」をご紹介したいと思います。

 今回【前編】では、血のにじむような努力の末に実用化されたロータリーエンジンと、日本初のロータリー車「コスモ スポーツ」と、世界初のロータリー車「ヴァンケル スパイダー」をご紹介したいと思います。

 なお本ブログは、私の少年時代のつたない記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。

2.苦難のロータリーエンジン開発

2‐1)世界初のロータリー車

 ロータリーエンジンは、一般的なレシプロエンジンのようなピストン運動ではなく、回転運動により出力を引き出しているので、無駄な動きが少ない、小型、軽量、高出力を可能とする理想的なエンジンとして古くから研究が進められてきました。

 その中で、唯一ドイツのフェリクス ヴァンケル氏が発明した三角形のローターが遊星のように動く「ヴァンケルエンジン」のみが、同じくドイツのNSU社により実用化され、1964年に同社からヴァンケル氏の名を冠した世界初のロータリー車「ヴァンケル スパイダー」が発売されました。

「ヴァンケル スパイダー」は、1959年に発売されたベルトーネデザインの流麗なクーペ「シュポルト プリンツ」がベースとなっており、そのルーフを切ってオープンカーに仕上げられています。

 リアに搭載されたロータリーエンジンは、たった500㏄の1ローターエンジンでしたが、なんと50馬力をたたき出しており、軽々と150km/hまで達することができたようです。

「ヴァンケル スパイダー」のイメージ(パワポで作成)
「ヴァンケル スパイダー」のイメージ(パワポで作成)

2‐2)ロータリー車に社運を賭ける

 高度成長の波に乗り、市場が急速に拡大する自動車産業の中では、自動車メーカー間の競争が激化しつつあり、マツダ(当時は東洋工業、カープも東洋カープ)はその中で勝ち残るために、1961年から社運をかけてロータリーエンジンの開発に着手しました。

ロータリーエンジンの内部イメージ(パワポで作成)
ロータリーエンジンの内部イメージ
(パワポで作成)

 基本特許を有する前述のNSU社とライセンス契約を結び、技術者を同社に派遣して急ピッチで開発は進められましが、ロータリーエンジンの最大の課題となる、ローターの3つの頂点に取り付けられた「アペックスシール」の摩耗(右図の黄色い部分)によるエンジンの内壁の傷「チャターマーク(波状摩耗)」を、なかなかクリアすることができませんでした。

 この傷は「悪魔の爪痕」と呼ばれ、マツダの優秀なエンジニアたちが、血のにじむような努力を重ね、その困難に立ち向かい続けることで、ようやく実用化にこぎつけることができたようです。6年かかったようです。本当に頭が下がります。

 一方でマツダの師匠にあたるNSU社は、最終的に「チャターマーク」の課題を克服することができず、1969年にアウディの前身であるアウトウニオンに吸収合併されました。

3.「コスモ スポーツ」

3‐1)社長自らの手で

 日本初のロータリー車「コスモ スポーツ」が初めて姿を見せたのは、1963年の東京モーターショー(当時は全日本自動車ショウ)に、当時のマツダの松田社長が自らの手でハンドルを握って乗りつけたのが最初のようです。マツダの拠点がある広島から運転してきたという噂もありますが、真意のほどはよく分かりません。

 同車が東京モーターショーで正式に発表されたのは1964年なので、非公式の話題作りとして社長自らの手でプロモーションを行ったのかもしれません。

 そして最初のチラ見せから4年後の1967年5月に、いよいよ(ようやく)市場にデビューしました。4年前にクルマとしての原型は出来上がっていたので、その年月の大半はロータリーエンジンの開発に費やされたことと思います。

3‐2)まるで宇宙船

「トヨタ2000GT」のご紹介ブログ
「トヨタ2000GT」
のご紹介ブログ

 「コスモスポーツ」が発売されたころ、私はまだ小学生でしたが、そのまるで宇宙船のような未来的なエクステリアデザインには本当に驚かされました。

 当時のかっこいいクルマとは一線を画した、なんとも表現しがたい(できないぐらい新しい)かっこいいクルマでした。

 「コスモスポーツ」は、ちょうど同じ時期に発売された、どちらかといえば正統派のクーペスタイルのエクステリアデザインの「トヨタ2000GT」と、日本を代表するスポーツカーとして双璧をなしており、当時同じスケールの両車のプラモデル(いっぱい売っていました)を造って、2台並べて、いつまでもうっとりして眺めていました。

 いまから思えば、気味の悪い子供だったと思います。

「コスモスポーツ」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)
「コスモスポーツ」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)

3‐3)世界初の2ローター

 「コスモスポーツ」に搭載された10A型のロータリーエンジンは、「ヴァンケル スパイダー」が1ローターだったので、世界初の2ローターのロータリーエンジンとなりました。1ローターあたり491㏄×2のロータリーエンジンは110馬力で、0‐400m加速:16.3秒、最高速度185km/hと、当時のトップクラスの性能を誇りました。

 発売から1年後にはさらに128馬力にパワーアップされ、0‐400m加速:15.8秒、最高速度:200km/hまで引き上げられました。これはおそらく、ほぼ同時期に発売された「トヨタ2000GT」の性能を意識してのものではないかと思われます。

4.「コスモ スポーツ」と「ヴァンケル スパイダー」の主要諸元

 下表に「コスモ スポーツ」と「ヴァンケル スパイダー」の主要諸元を示します。ローターの容量と数量と馬力の関係を見ると、両者とも500㏄あたり50馬力ほど稼ぎ出しており、ロータリーエンジンがいかに高性能かを示しています。

「コスモ スポーツ」と「ヴァンケル スパイダー」の主要諸元

5.おわりに

 以上が、血のにじむような努力の末に実用化されたロータリーエンジンと、日本初のロータリー車「コスモ スポーツ」と、世界初のロータリー車「ヴァンケル スパイダー」のご紹介になります。

 次回【後編】では、「コスモ スポーツ」に続いて発売された「ファミリア ロータリー クーペ」、「ルーチェ ロータリー クーペ」をご紹介したいと思います。特に「ファミリア ロータリー クーペ」は、庶民でも手が届く価格のロータリー車でした。

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