親父の車遍歴:番外13(平成ABCトリオ編【前編】:まずは「ビート」と「カプチーノ」です。)
1.はじめに
本編(その9)、(番外6)から(番外12)の8回に渡り、バブルの時代に輝いていた日産車たちをご紹介しました。そしてバブルの時代は日産車に限らず、他の自動車メーカーの多くの車たちも輝いていました。
輝いていた車たちを数え上げたらキリがありませんが、そんな中でも特に際立っていたのが、軽自動車(以下軽)のスポーツカーたちです。その代表格が、ホンダの「ビート」、スズキの「カプチーノ」、マツダの「AZ-1」でした。
そしてその3台は、いつの日からか「平成ABCトリオ」と呼ばれるようになっていました。Aは「AZ-1」、Bは「ビート(Beat)」、Cは「カプチーノ(Cappuccino)」となります。
当時は、まだ社会人としてて駆け出しのころで、我が愛車「ケンメリ」を維持するだけで精一杯だったので、「平成ABCトリオ」は、手に入れたくても入れられない、とても気になる存在でした。
ということで、【前編】【後編】の2回に渡り、この「平成ABCトリオ」をご紹介したいと思います。今回【前編】では、「平成ABCトリオ」がお披露目された(「ビート」は不明)第28回東京モーターショーと、「ビート」と「カプチーノ」についてお話ししたいと思います。
なお本ブログは、私のつたない昔の記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。
2.第28回東京モーターショー
バブルの時代の真っただ中、1989年に第28回東京モーターショー(以下東京MS)は開催されました。まだまだ東京MSに勢いのある時代で、国内外の多くの自動車メーカーから、意欲的なコンセプトカーや発売間もない新型車たちが、これでもかと出展されていました。
特にこの第28回からは、展示会場を手狭な晴海(東京国際見本市)から幕張メッセに移し、広大な展示場でより多くの人々を受け入れられるようになっていました。
各社からの主な出展車を独断と偏見でピックアップすると、下記の通りとなります。「平成ABCトリオ」はまだ発売前でしたが、「カプチーノ」と「AZ-1」のプロトタイプは、しっかりと出展されていました。
すいません。調査不足で「ビート」のプロトタイプが出展されていたかはよく分かりませんが、多分ホンダのブースは「NS-X」一色ではなかったかと思います。
そして、皆がこの「カプチーノ」と「AZ-1」の発売を切望しました。これが「平成ABCトリオ」の始まりとなります。
■トヨタ: トヨタ4500GT(コンセプトカー)、セルシオ、セラ、2代目MR2
■日産: NEO-X(コンセプトカー)、プリメーラX(コンセプトカー、プリメーラプロトタイプ)、インフィニティQ45、フィガロ
■ホンダ: NS-X、マクラーレンMP4/5
■三菱: HSRⅡ(コンセプトカー)、HSX(GTOプロトタイプ)、AMGギャラン
■マツダ: AZ550(AZ-1プロトタイプ)、ユーノスコスモ、復刻キャロル
■スズキ: カプチーノ(プロトタイプ)、カルタス(レーシング仕様)
このような隆盛を極めた東京MSですが、当時まだ改造車のショーだった東京オートサロン(以下東京AS)に、いつのまにやらお株を奪われてしいまいました。ただ当時はそうなることなど、誰も思いも寄りませんでした。時代は変わるものです。今の時代では、東京ASの方が、生き生きとしたクルマたちが見られるということなのかもしれません。
そして新型コロナの影響で2019年以来の開催となる今年の秋の東京MSは、「ジャパン モビリティ ショー」と改名され、新たな装いで開催されるようです。ぜひかつての隆盛を取り戻してほしいものです。
3.「ビート」
「ビート」は「平成ABCトリオ」の中では最初となる、1991年5月にデビューしました。ホンダらしく限られた軽の規格の中で、エンジンをミッドシップにマウントし後輪を駆動するといった、イタリアのスポーツカーばりの意欲的な車でした。
エンジンは、同じくホンダの軽の「トゥデイ」に搭載されていた、水冷直列3気筒SOHCエンジンをベースに、SOHCのままで、かつターボの力を借りることなく、軽の自主規制上限の64馬力を絞り出していました。
「ビート」が発売されると、私はすぐにホンダの販売店に向かい、あいかわらず買う気もないのにずうずうしく試乗させていただきました。さすがにJM95(日本人成人男性の95%をカバーする体のサイズ)から大きく外れた私の体には少し狭く、もぐりこむようにして、なんとかシートに収まりました。
そしていよいよ試乗です。バイクを思わせる3連メーターの中央に、スポーツカーらしくタコメーターが配されており、空ぶかしするとなかなか気持ちよく吹き上がりました。レッドゾーンは8500回転からとなっており、スペックもバイクのようだと思いながら走り出しました。
ミッドシップエンジンなので、背後から容赦なくエンジン音が聞こえ、オープントップの状態でも外騒音に完全にエンジン音が打ち勝っていました。ただその音質がスポーツカーらしい乾いた音ならいいのですが、残念ながら軽のエンジン音そのものでした。
エンジンの吹き上がりは、エンジン回転数が上がるにつれてどんどん元気になってくるというよりは、レッドゾーンまでリニアに上っていくといった感じでした。これはチューニングの世界なので良い悪いという問題ではありませんが、前述の大きな軽のエンジン音もマイナス要素となり、あまり私の好みではありませんでした。
ハンドリングは、以前お話しした「プレリュード」の試乗で少し怖い思いをしているので、おとなしめに走らせましたが、さすがミッドシップで、とてもクイックで回頭性がよく、まさにスポーツカーの領域でした。
「ビート」は1996年12月まで、5年7ヶ月間販売されましたが、その間の販売台数は、「平成ABCトリオ」の中で最も多い、3万4千台ほどとなっています。月平均500台ほどの販売台数ですが、軽の2シーターで140万円もする販売価格を考えると、なかなかの売れ行きだったのだと思います。
4.「カプチーノ」
「カプチーノ」は「平成ABCトリオ」の中で2番手となる、1991年11月にデビューしました。エンジンレイアウトと駆動方式は「ビート」とは異なり、オーソドックスなFR(Front engine Rear drive)方式を採用し、ロングノーズ、ショーデッキのトラディショナルなスポーツカーのエクステリアデザインでした。
エンジンは、同じくスズキの「アルト ワークス」のターボ付き水冷直列3気筒4バルブDOHCエンジンを、縦置きにレイアウトし、サスペンションはなんとあの「トヨタ2000GT」と同じ4輪ダブルウィッシュボーンで、もちろん4輪ディスクブレーキの、本格的なスポーツカーそのものでした。
ルーフ構造は、「ビート」のキャンバストップに対し、3つのパーツから成るルーフトップと、格納可能なリアウインドウで構成され
(1)ハードトップ
(2)Tバールーフ
(3)タルガトップ
(4)フルオープン
の4通りのルーフが楽しめました。
「カプチーノ」が発売されると、すぐにでもスズキの販売店に行って試乗したかったのですが、スズキの販売店は業販系の販売店が多く、顔見知りでないと気軽におじゃまできる雰囲気ではなかったので、試乗は諦めました。
その代わりに、男女問わず身近な友知人にこの「カプチーノ」を勧めまくりましたが、結局試乗はできないままに終わりました。確か1991年の第29回東京MSで、一度だけ運転席に座ったことがありますが、正直いって「ビート」よりデザインを含めた質感は高く、軽らしからぬ落ち着きと風格を漂わせていたことを覚えています。
「カプチーノ」は1998年1月まで、6年3ヶ月間販売されましたが、その間の販売台数は、「平成ABCトリオ」の中では2番目の、2万6千台ほどとなっています。こちらも、軽の2シーターで150万円(「ビート」より少し割高でした)もする販売価格を考えると、「ビート」同様になかなかの売れ行きだったのではと思います。
5.おわりに
今回【前編】での、ご紹介は以上になります。次回【後編】では、「平成ABCトリオ」の残りの1台「AZ-1」と、軽の大御所ダイハツが当時販売していた、「平成ABCトリオ」に加わることができなかった軽のオープンカーをご紹介したいと思います。
<我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口>
我が愛車ケンメリとの様々なエピソードや、私の記憶の中にしっかりと刻まれている数々の往年の名車たちをご紹介していますので、ぜひご覧になってください。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません