赤城山の帰りに偶然【ホワイト餃子】を見つけました。そして50年前の記憶がよみがえりました。
Contents
1.はじめに
私と【ホワイト餃子】との出会いは今から50年ほど前のことになり、なんと愛車ケンメリより長い付き合いになります。今回はその【ホワイト餃子】を、赤城山の帰りに偶然見つけたので、昔を思い出しながらご紹介したいと思います。
2.【ホワイト餃子】との出会い
2-1)塾の帰りに
確か中学生の時の塾帰り(今とは違い当時の塾は、夜に家を抜け出す口実でした。)に、ちょうど開店したばかりのお店を見つけ友達と入りました。値段はうろ覚えですが、焼餃子で1個10円程度で中学生のお財布でも十分足りたと記憶しています。
2-2)ザ・餃子専門店
店内には餃子の皮を伸ばす機械がドーンと置いてあり、その横でおねえさんが手際よく餃子を包んでいました。餃子は何台かのコンロの前でおにいさんが一人でダイナミックに焼かれており、お店と厨房が一緒になった餃子のみを扱う「ザ・餃子専門店」といった雰囲気だったと思います。
2-3)見たことの無い餃子
10分ほど待つと餃子が出てきましたが、今まで見たことの無い変わった形と色の餃子でした。形はまるっぽく、色はほぼきつね色で、50年たった今でもその時の驚きは鮮明に覚えています。ちょうどいい写真が無いので、昔を懐かしみながらパワポでそのイメージを描いてみました。
2-4)最初は熱い
餃子を口に運ぶと、まず最初はとても熱くやけどしそうでしたが、それを踏まえて慎重に食べるとカリッとした皮と野菜が多めのあんの独特の旨味が、口の中に広がりました。少し冷めてくると皮がしんなりしてきて、また違った食感を楽しむことができました。
2-5)最高42個
それから高校を卒業して上京するまでは、お持ち帰りもできたので家で晩飯として毎週のように食べていました。ちなみに最高記録は、高校時代の42個だったと記憶しています。
2-6)今では岐阜に帰った時だけ
今の自宅の近くにもお店があったので、しばらくは冷凍餃子を買ってきて家で焼いたりしていました。ただ台所が油で汚れたり、使用済みの油が残ったりするので、だんだん回数が減っていき、最近では岐阜に帰省した時にだけ食べるといった状況でした。
3.【ホワイト餃子】前橋店
3-1)赤城山の帰りに偶然見つける
そんな中で、先日ご紹介した赤城山の帰りに寄ったとんかつの名店【かつ久無庵】に向かう途中で、偶然【ホワイト餃子】前橋店を見つけした。さすがにとんかつと餃子の両方を昼飯として食べるわけにいかないので、こちらは持ち帰りして、家で晩飯として食べることにしました。
3-2)店主と話す
後日ブログへの掲載のご承諾を頂くために、前橋店の店主の方と少しお話しさせて頂きました。岐阜店で50年前から食べていることをお話しすると、岐阜店の店主の方をよくご存じのようでした。
ただ岐阜店の店主の方は既に亡くなられており、今は違う方が場所を変えてやっているのだとお聞きしました。私は手狭になったので場所を変えただけと思っていましたが、店主の方が亡くなっていたとは知りませんでした。
3-3)50年前の記憶がよみがえる
そのお話を聞いてけっして広くないお店の中で、眉毛の濃いイケメンのおにいさんと丸顔の気さくなおねえさんが、元気に働いておられた姿を急に思い出し少し悲しい気持ちになりました。
4.【ホワイト餃子】の近況
4-1)技術指導の後にのれん分け
【ホワイト餃子】は千葉県の野田市に本店があり、こちらで技術指導を受けてからのれん分けされてお店を出すようです。ひょっとするとこの技術指導を、前橋店の店主の方と岐阜店の前の店主の方は同じ時期に受けられていたのかもしれません。
4-2)後継者不足
残念な話ですが、【ホワイト餃子】の多くのお店の店主の方は、後継者不足で困っておられるようでした。岐阜店の場合は、幸いにも次の方が引き継がれたので未だに健在ですが、私がよく冷凍餃子を買っていた家の近くのお店は、随分前に無くなってしまいました。
そちらのお店はいつも閉店間際にお伺いしていたのですが、奥のテーブルで初老の店主の方が、仕事が終わった後のお茶をおいしく飲まれていたのを覚えています。
4-3)若い方々に期待
食材の仕入れから餃子の皮作りまで、すべてお店で完結しなければならないので、なかなか後継者を見つけることは難しいのかと思いますが、ぜひ若い方々がこの餃子に魅せられてお店を継くだけでなく、新しいお店も開業してもらえると嬉しいです。
5.おわりに
以上が【ホワイト餃子】のご紹介になります。他にもおいしい餃子はたくさんあると思いますが、この餃子は唯一無二のおいしさなので、ぜひ一度味わってみてください。
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