シニア夫婦の名古屋半日観光、充実の「金シャチ横丁」と王道の「名古屋城」に行ってきました。【後編】
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1.はじめに
先日、我が故郷岐阜にカミさんとふたりで帰省したときに、少し時間があったのでいつもスルーするJR名古屋駅で途中下車して、久しぶりに半日ほど名古屋観光をしました。
前回【前編】では、「名古屋城」に隣接している「金シャチ横丁」は、店舗数はそれほど多くないものの、ひとつひとつが厳選されており、思っていた以上に充実していたというお話をしました。
今回【後編】では、いよいよ王道の「名古屋城」をご紹介します。50年ぶりにお伺いした「名古屋城」は、あらためて徳川家康の偉業を感じると共に、今まで知らなかった「名古屋城」に触れることができました。
2.今回の観光ルートのマップ
下記のマップが、今回の観光ルートになります。名古屋城駅を出てからは、下記イラストマップの①から⑥の順の観光ルートで、カミさんとふたりでのんびりと回りました。前回【前編】では、①から③をご紹介しましたが、今回【後編】では、④から⑥までをご紹介します。
3.王道の「名古屋城」
3-1)「名古屋城」とは
名古屋城はご存じの方も多いと思いますが、慶長20年(1615年)に徳川家康によって築城されました。黄金の鯱(金シャチ)を頂きに構え、史上最大の延床面積を誇った天守閣、絢爛豪華な本丸御殿、さらには鉄壁の守りを固めた要塞としての機能を備え、城郭として国宝第一号に指定された名城でした。
ただ残念なことに、前述の名古屋市役所本庁舎、愛知県庁本庁舎は戦火を免れた(戦火の中でも持ちこたえた)ものの、名古屋城の天守閣などの大部分は戦火で消失してしまいました。
その後、地元の皆さんのご尽力で昭和34年(1959年)に再建され、さらに現在コンクリート構造の天守閣を元来の姿である木造にする検討が進められているそうです。
3-2)名古屋城正門(マップの④)
3-2-1)正門
まずは、正門横にある入場券売り場で、入場券を購入しました。一応前期高齢者の仲間入りしたのでシニア割引なるものがないかと確認したら、なんと名古屋市内に在住の高齢者のみに適用(ひとり100円)されるようでした。ただ普通の大人料金でもひとり500円という、とても良心的な公共施設料金でした。
3-2-2)西の丸御蔵城宝館
なかなか威厳のある正門をくぐり場内に入ると、まず左手奥に西の丸御蔵城宝館がありました。こちらは名古屋城築城前からの約500年にわたる歴史を紹介する施設のようで、このときは「家康の謎 名古屋城本丸御殿の黒木書院」という企画展が催されていました。
館内はフラッシュをたかなければ撮影はOKということで、金シャチならぬ銅シャチや、五条橋の擬宝珠(ギボシ)、当時の破魔矢など、珍しい展示品を見ることができました。
3-2-3)名古屋城内の広場
正門の前には大きな広場が広がっており、その左手には慶長17年(1612年)頃に建てられ、今もなお現存する西南隅櫓(すみやぐら)、さらにその奥には天守閣がそびえ立っているのを拝むことができます。西南隅櫓の2階の西面と南面には、石垣を上ろうとする敵に、石を落として攻撃するための庇(ひさし)が張り出していました。
広場の横に並ぶ充実した屋台を物色しながら歩いていると、少し違和感のある光景を目にしました。前述の西の丸御蔵城宝館前には織田信長らしき御方、広場の途中には誰かは分かりませんが、戦国武将らしき御方の前に行列ができていました。皆さん順番がくると、ひとりづつその御方とため口で親しくお話ししたり、ツーショットの写真を撮られていました。
気になったのであとで調べてみると、この御方たちは2009年に「名古屋開府400年」のPR大使として、6人の武将と4人の陣笠(足軽)で結成された「名古屋おもてなし武将隊」というユニットで、いわゆるご当地アイドル(?)だったようです。
日本人ならではのおもてなしの心と、SAMURAIカルチャーを世界に発信するために、名古屋城を拠点にさまざまな活動を行っているそうです。
メンバーは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、前田利家、加藤清正、前田慶次という日本を代表する有名武将+陣笠4名で、私が写真に収めたのは、前田利家の甥の「天下御免の傾奇者」といわれていた前田慶次だったようです。なかなかのイケメンで、行列に並んでいた方々はほとんとが女性でした。
3-3)本丸(マップの⑤)
3-3-1)本丸表二之門
いよいよ本丸の中に、本丸表二之門から入りました。この門は前述の西南隅櫓と同じ時期の慶長17年(1612年)頃に建てられています。本丸への最後の砦ということで、門柱や扉に使われている木材は太く、鉄板を打ち付けて堅固に造られていました。
3-3-2)本丸御殿
そしていよいよ本丸の中に入り、そこでたまたま(すいません)目に入ったのが本丸御殿でした。こちらは徳川家康が、「金シャチ横丁」のゾーンの名前にも出てくる初代尾張藩 藩主義直のために慶長20年(1615年)建てた広大な御殿になります。
残念ながらこちらも戦火で焼失してしまいしたが、江戸時代の図面などをもとに正確に復元工事が進められ、平成30年(2018年)に往時の姿が蘇ったのだそうです。
御殿の内部は障壁画や飾金具などで飾り上げられており、江戸時代の先端技術をおしみなく注いだ近世城郭御殿の最高傑作と称えられていたそうです。
入り口では係りの方が、最後のご案内になります、とアナウンスされており、普段はかなりの待ちが発生するようでしたが、運よく待ち時間はゼロのようだったので、まずは入ってみることにしました。こちらも前述の西の丸御蔵城宝館と同様に、フラッシュをたかなければ撮影はOKでした。
そして世間知らずの私は、次から次への現れるみごとな襖絵、天井や壁の装飾などについつい見入ってしまい、その都度写真に収めてうるうちに、いつのまにやら殿(しんがり)を務めていました。一瞬は素通りしそうになりましたが、ここだけで入場料の500円の元は十分すぎるほどとれたと思いました。
3-4)天守閣(マップの⑥)
天守閣は、前述の西南隅櫓や本丸表二之門と同じ時期の慶長17年(1612年)頃に建てられています。名古屋城が築城されたのは慶長20年(1615年)といわれていますが、どうやら城郭はその前にほぼ出来上がっており、慶長20年(1615年)の本丸御殿の完成をもって、「名古屋城」が築城されたといわれているのだと理解しました。
名古屋城のシンボルともいえる天守閣は五層五階地下一階の巨大建造物で、わが故郷岐阜の中心にそびえたつ(山の上にあるだけですが)岐阜城の10倍ほどの大きさを誇っています。
残念ながら2018年から、設備の老朽化や耐震性の確保などの問題に対応するために閉館となっており、中には入ることができませんでした。前述の通り、現在のコンクリート構造の天守閣を元来の姿である木造にする検討も進められているようですが、そうなるとこの天守閣に上って徳川幕府の栄華の始まりを味わうことは、当面の間できないようです。
4.名古屋駅に快適に戻る
天守閣周辺をぐるりと回って天守閣のベストショットも収められたということで、今度は城内を通って名古屋城駅に戻ろうと一瞬思いましたが、先ほど正門から名古屋駅周辺の摩天楼たちが見えていたことを思い出しました。
最近めっきり財布のひもがきつくなったカミさんに、勇気を出してタクシーで名古屋駅に戻ろうと切り出すと、土地勘の無いカミさんは電車を乗り継いできたこともあり、タクシーだと数千円はかかると思ったようでした。
すぐ近くに見える名古屋駅周辺の摩天楼たちを指さして、名古屋駅はあそこだと説得してなんとかタクシーに乗り込み、来るときのカオスからは想像もつかないほど快適な移動で、わずか10分ほどで名古屋駅に到着しました。
運賃は、名古屋のタクシーの初乗りは500円で、名古屋城正門から名古屋駅前のミッドランドスクエア前までは1220円でした。
どうやら私たちシニアが、名古屋駅から名古屋城まで行くときは、無理せずタクシーを利用するのがベストチョイスのようでした。
5.おわりに
以上が、シニア夫婦がのんびりと巡った、名古屋半日観光(移動と食事の時間を含んでだいたい5時間)の【後編】のご紹介になります。全工程を終えてi-PHONEのヘルスケアを見てみると、1万歩越えを達成していました。シニアには、ちょうどいい運動になりました。
三河安城駅を通過するまではどうなることかと思いましたが、新しい名古屋、懐かしい名古屋、今まで知らなかった名古屋に触れることができ、とても充実した名古屋半日観光になりました。今回のコースはシニアの皆さんにお勧めです。ただし「名古屋城」までの行き帰りは、タクシーを利用されることが前提となります。
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