我が青春を彩ったクルマたち:番外16(いすゞの名車:ピアッツァ編:アッソとは微妙に違いました。)

1.はじめに

 これまでに、友人がのっていた「初代ジェミニ」や、兄貴がのっていた「117クーペ」、そしてその兄弟車である「フローリアン」、時代の先をいく革命児「ベレット」などの、いすゞの名車たちをご紹介してきました。

いすゞの名車たちのご紹介ブログ入口
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 とくに(番外11)(番外12)では、いすゞの誇る名車「117クーペ」をご紹介しました。イタリアの巨匠ジウジアーロがデザインした流麗なクーペは、今もなお私の中では「トヨタ2000GT」「コスモ スポーツ」とともに、"日本三大美車" のひとつとして記憶に刻まれいます。

 そしてその「117クーペ」は、1968年12月から1981年5月までの約13年間販売され、その間に “手造り"、"量産丸目"、"量産角目" という3つのフェーズを経て商品力を維持してきました。

 たださすがの「117クーペ」もモデル末期には、他社から続々と発売される魅力的な最新型のスペシャリティーカーに太刀打ちできなくなり、後継モデルの登場が切望されるようになりました。

 そしていよいよ待望の後継モデル「初代ピアッツァ:以下ピアッツァ」が発売されました。ということで今回はその「ピアッツァ」をご紹介したいと思います。

 なお本ブログは、私の学生時代のつたない記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。

2.再びジウジアーロ

 「ピアッツァ」のベースとなったコンセプトカー「アッソ」、正確には「アッソ・ディ・フィオーリ(Asso di Fiori):イタリア語でクラブのエースという意味」は、先代の「117クーペ」と同じくジウジアーロのデザインで、1979年のジュネーブショーで発表されました。

 この「アッソ・ディ・フィオーリ」は、ジウジアーロの手掛けた理想(空力性能、室内快適性、走行性能)のクーペの3部作の集大成となっています。

「アッソ・ディ・フィオーリ」のイメージ
「アッソ・ディ・フィオーリ」のイメージ

 ちなみに第1部作は1973年に発表された「アウディ80」ベースの「アッソ・ディ・ピッケ(Asso di Picche):スペードのエース」、第2部作は1976年に発表された「BMW320」ベースの「アッソ・ディ・クアドリ(Asso di Quadri): ダイヤのエース」となります。

 ただどうやら「アッソ・ディ・クオリ(Asso di cuori):ハートのエース」の存在はないようです。その理由はよく分かりません。

3.車名は「ピアッツァ」

 「アッソ・ディ・フィオーリ」は、その後「いすゞ X」という名で1979年の東京モーターショーに出展され、「初代ジェミニ」をベースに量産開発が進められ、「アッソ・ディ・フィオーリ」ではなく、「ピアッツァ」という名で1981年5月に発売されました。

 「ピアッツァ」と最初に聞いたときは、さすがイタリアのデザインということで “ピザ" をもじったのかなと思いましたが、イタリア語で “広場" という意味のようでした。

 どちらにしてもいまいちで、なぜ「アッソ・ディ・フィオーリ」、もし長すぎるのであればせめて「アッソ」というネーミングにしなかったのか、という声が当時多く聞かれましたが、どうやら「アッソ」は他社から商標登録されていたようでした。

4.流麗なクーペデザイン

 「ピアッツァ」は、「アッソ・ディ・フィオーリ」の流麗で洗練されたクーペデザインを、ほぼ忠実に再現していました。プレスドアを採用しフラッシュサーフェイス化された空力性能に優れたエクステリアデザインは、「117クーペ」の後継者に相応しい美しい仕上がりとなっていました。

 発売時点ではまだドアミラーの認可が下りていなかったので、フェンダーミラーが採用されていましたが、ボディラインを損なわないように、精一杯工夫されたデザインのフェンダーミラーでした。

「ピアッツァ」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)
「ピアッツァ」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)

 ただ、サイドビュー、リアビューは完ぺきに近い姿で「アッソ・ディ・フィオーリ」が再現されていましたが、フロントビューだけは少し違和感を覚えました。

 どうやらフロントグリルの高さと幅のプロポーションに少し手を加え、横バーの数も3本から4本に変更されたことで、ワイド&ローの美しいフロントビューの「アッソ・ディ・フィオーリ」より、視覚的に少し幅が狭く映ってしまい、私としてはここが唯一残念なポイントでした。

「ピアッツァ(左)」と「アッソ・ディ・フィオーリ(右)」のフロントビューのイメージ(少し誇張しています)
「ピアッツァ(左)」と「アッソ・ディ・フィオーリ(右)」のフロントビューのイメージ(少し誇張しています)

5.渾身のデジタルメーター

 「ピアッツァ」は、インテリアも可能な限り「アッソ・ディ・フィオーリ」を再現していました。

 とくにようやくヘッドライトやワイパーなどのSW類が、インストパネルからステアリングコラムにコンビSWとして移ってきたばかりの時代に、メーターフードの両サイドにサテライトエリアを設け、そこにヘッドライトやワイパーはもちろんのこと、エアコンやハザードなどのほぼすべてのSWを集中配置していました。

親父の車遍歴シリーズ(番外17)のブログ入口
親父の車遍歴シリーズ
(番外17)のブログ入口

 そしてメーターは、当時先進装備だったデジタルメーターでした。親父の車遍歴シリーズの(番外17)でもご紹介しましたが、「ピアッツァ」が発売された1981年はデジタルメーター元年でした。

 前年の1980年10月に、日産の「初代レパード」がゲージ類のみをデジタル化、そして1981年2月にトヨタの「初代ソアラ」が、ほぼフルデジタルメーター(オド・トリップメーターは機械式)を採用、そしてその3ケ月後に「ピアッツァ」のデジタルメーターの登場です。

 「ピアッツァ」のデジタルメーターは、「ソアラ」のスピード、タコ、燃料、水温に加えて、電圧、油圧、トリップメーター、そしてスピードのパー表示まで加わった、絢爛豪華なデジタルメーターとなっており、「初代ソアラ」をはるかに凌駕する仕様でした。

デジタルメーター採用年表
デジタルメーター採用年表

6.主要諸元

 下表に、「ピアッツァ」と「アッソ・ディ・フィオーリ」の主要諸元を示します。

 「アッソ・ディ・フィオーリ」のエンジンは1.8リッターでしたが、「ピアッツァ」では2.0リッターの直列4気筒DOHC(Double Over Head Camshaft)と、同じく2.0リッターの少し廉価な直列4気筒SOHC(Single Over Head Camshaft)がラインアップされていました。

 ここで意外だったのが、前述の「ピアッツァ」のフロントビューの幅が少し狭く映った件ですが、実際の全幅は「ピアッツァ」のほうが35mm広くなっていました。

 私はてっきり「アッソ・ディ・フィオーリ」はコンセプトカーなので、5ナンバー枠にとらわれない全幅かと思っていましたが、少し低い全高と細部のデザイン処理でそう映っていただけのようでした。

「ピアッツァ」と「アッソ・ディ・フィオーリ」の主要諸元

7.おわりに

 以上が、「117クーペ」の後継となる「ピアッツァ」のご紹介となります。

 ジウジアーロの手掛けた理想のクーペの3部作の集大成となる「アッソ・ディ・フィオーリ」を、ほぼ忠実に再現したとても流麗で洗練されたクーペで、当時のどうしても日本の香りがするライバル車たちとは一線を画す存在でした。

「ピアッツァ」と マヨネーズ
「ピアッツァ」と マヨネーズ

 ただそのデザインの完成度の高さを理解できない人たちは、マヨネーズなどと大変失礼な比喩をしていることもありました。

 ただカラーラインアップにベージュがあり、そのサイドビューには赤いキャラクターラインが入っていたので、たしかにそういわれても仕方がないところもありました。

 「ピアッツァ」は1991年8月まで約10年間販売され、「2代目ピアッツァ」にバトンタッチしました。

 ただこの「2代目ピアッツァ」は、「3代目ジェミニ」の派生クーペで、なぜ「ピアッツァ」の名前が与えられたのか、まったく理解できませんでした。正直なところ「ピアッツァ」の名を穢(けが)しました。

 「ピアッツァ」も「117クーペ」と同様に1代限りで終わっていれば、もっともっと名車として後世に語り継がれたのではないかと思います。残念です。

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