我が青春を彩ったクルマたち:その21(3代目マークⅡ編【前編】:なんとも堅牢なたたずまいのクルマでした。)
Contents
1.はじめに
以前連載した「親父の車遍歴」シリーズの中で、親父がのっていたトヨタの「初代マークⅡ(RT60/70)」、「2代目マークⅡ(RX10/20)」をご紹介しました(4代目まではマークⅡの前にコロナがついていましたが、今回は割愛させていただきます)。
「初代マークⅡ」は、当時小型車市場で鎬を削っていた、トヨタの「コロナ」と日産の「ブルーバード」のワンランク上のクラスのクルマとして投入され、イーグルマスクという精悍なフロントデザインや、シャープなボディラインで、なかなかの人気を博していました。
「2代目マークⅡ」は、アメ車を彷彿させるようなグラマラスなエクステリアデザインと、落ち着きのあるインテリアや充実した装備などで、発売当初はなかなか販売は好調でした。
ただ、直接的なライバルであった日産の「2代目ローレル(C130)」とは互角以上の勝負をしていましたが、そこに我が愛車でもあるケンメリ「4代目スカイライン(GC110)」が加わると、まったく太刀打ちできませんでした。
そんな中で投入されたのが「3代目マークⅡ(MX30/40)」でしたが、初代、2代目と続いた一目でかっこいいと感じられるようなエクステリアデザインから一転して、なんとも堅牢なたたずまいのクルマに生まれ変わりました。
ということで今回から【前編】【後編】の2回に渡り、その「3代目マークⅡ」と、お父さんが所有していた「3代目マークⅡ」をたまにのっていた、少年のような心を持った友人をご紹介したいと思います。
今回【前編】では、「3代目マークⅡ」の車両概要についてご紹介させていただきます。
なお本ブログは、私の学生時代のつたない記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。
2.「3代目マークⅡ」とは
2‐1)2代目の反省
前述の通り「2代目マークⅡ」は、「4代目スカイライン」と「2代目ローレル」という2枚看板を有する日産Lクラスセダン軍団には、まったく太刀打ちできませんでした。
「4代目スカイライン」と「2代目ローレル」の累計販売実績は、両車とも歴代一位を誇っており、前者が67万台、後者が35万台で、2台合わせて100万台を超えていました。
それに対し「2代目マークⅡ」の累計販売台数も58万台と、100万台には遠く及びませんが、単一ブランドとしては決して見劣りするものではありませんでした。(本ブログでの台数データはWikipediaから引用)
ただ発売当初は好調だった販売実績も年々下降線をたどり、日産が得意とする直列6気筒エンジンを搭載したグレードの充実を図るも、打開策には至りませんでした。
そんな「2代目マークⅡ」の販売不振を踏まえ、
”新しい高級オーナーカーの姿を求め、どこまでも質の意味を探り抜いた結果、技術と人間の感覚とが溶け合い一点で結ばれる次元にたどりつく。質を超えて《味》の領域に至る。(当時のカタログから抜粋)”
という、なんだかよく分かりませんが、すごい次元で「3代目マークⅡ」は開発されたようです。
2‐2)欧州志向
「3代目マークⅡ」は、1976年12月に発売されました。
ボディタイプは2代目と同様に4ドアセダン、2ドアハードトップ、5ドアワゴン/バンで、エンジンラインアップは、2.6リッター、2.0リッターの直列6気筒(以下直6)エンジン、2.0リッター直列4気筒(以下直4)エンジン、1.8リッター直4エンジンで、新たに2.6リッターが追加され、一方でDOHCエンジンは廃止されSOHCエンジンのみとなりました。


グレード体系は上級グレードを強化するために、新たに2.6リッターと2.0リッター直6エンジンを搭載した[グランデ]という最上級グレードが設定されました。
従来からある直6エンジンを搭載した[L]グレードも、サブグレードまで含めると6グレードとなり、直6エンジンだけで8つのグレードが設定された、かなり日産を意識したラインナップとなっていました。
またエクステリアデザインは、今までグラマラスなアメリカ志向だったデザインを、上質さを求めた欧州志向のデザインに転換されました。
ただ一応2ドアハードトップはスモールキャビンで、百歩譲れば「メルセデス・ベンツ SLC(C107)」を彷彿させるデザインでしたが、4ドアセダンは少し転換しすぎて、国家の主席がパレードでのるような、とても堅牢な(武骨な)仕上がりとなっていました。

(あくまでイメージです)
宣伝メインカラーは、マジェスティレッドやエキストラカッパーメタリックという茶系のボディカラーが採用されていたので、そのボディカラーと相まってなんともいえない親父臭さを漂わせていました(すいません)。

2‐3)メカニズムは進化
エクステリアデザインは賛否あるものの、メカニズムは大きく進化していました。
オートエアコンや10万Kmの桁まで表示できる7桁オドメーター(我が愛車ケンメリは6桁なので、いままでに2回生まれ変わりました)、そして少し遅れての投入でしたが4速オートマチックなどの、日産のライバル車にはまだ採用されていない装備が多く搭載されていました。
また日産のライバル車の後塵を拝していたサスペンションも、ようやくフロントがストラット、リアがセミトレーリングアーム方式の四輪独立懸架が採用され、しなやかな走りを実現していました。
3.快進撃への布石
3‐1)やはり販売実績は振るわず
トヨタは、少し堅牢にし過ぎたエクステリアデザインのリスクを予め察していたのか、「3代目マークⅡ」の発売から半年ほど遅れて、1977年6月にフェイスやリアのデザインを少しだけリファインし、若者向けのボディカラーを追加した兄弟車「チェイサー」を投入しました。
「チェイサー」とは追跡者という意味で、ちょうど4代目から5代目へのモデルチェンジの直前だった「スカイライン」を迎撃するための切り札として、イメージキャラクターに当時売れっ子だったモデルで俳優の草刈正雄氏を起用して勝負をかけてきました。
ただ「チェイサー」を仲間に加え、日産と同じく2枚看板で勝負をかけた「3代目マークⅡ」でしたが、モデルチェンジして新しくなった「5代目スカイライン(GC210)」「3代目ローレル(C230)」には大きく水をあけられてしまいました。
3‐2)ハイソカーブーム
残念ながら不振に終わった「3代目マークⅡ」でしたがさすがトヨタ、「4代目マークⅡ(X50/60)」は再びシャープで洗練されたエクステリアデザインに生まれ変わり、スーパーホワイトという透き通るような白を宣伝メインカラーに採用し、一気に若返りを図りました。
また兄弟車も「チェイサー」に加えて「クレスタ」があらたに投入され、その後のマークⅡ3兄弟の快進撃の布石は整いました。

そして世の中はバブル景気に突入し、「5代目マークⅡ( X70)」を筆頭とするマークⅡ3兄弟は、ハイソカーブームを巻き起こしました。
日産も「ローレル」「スカイライン」に、「セフィーロ」や「マキシマ」を加えて「シンフォニーL」といったキャンペーンを仕掛け、Lクラスセダン市場での巻き返しを図ろうとしましたが、もうすでにマークⅡ3兄弟の敵ではなくなっていました。

4.おわりに
以上が「3代目マークⅡ」の車両概要とその後についてのご紹介になります。正直なところ販売実績は芳しくありませんでしたが、その後到来するマークⅡ3兄弟の快進撃に向けての授業料(?)という意味では、とても意味のあるクルマだったのかもしれません。
次回【後編】では、お父さんが所有していた「3代目マークⅡ」をたまにのっていた、少年のような心を持った友人をご紹介したいと思います。
<我が愛車ケンメリ関連のブログのメニュー入口>
我が愛車ケンメリとの様々なエピソードや、私の記憶の中にしっかりと刻まれている数々の往年の名車たちをご紹介していますので、ぜひご覧になってください。






















ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません