我が青春を彩ったクルマたち:その5(2代目カローラのクーペモデル編【前編】:憧れのレビンでした。)
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1.はじめに
前回(その4)では、武骨な友人が乗っていた、やたらすばしっこく、やたら足元の広い「初代シビック」をご紹介しました。
今までも何度かお話ししていますが、私が学生時代に過ごしたところは発展途上の地で、特に入学当初は学校に周りには、カエルはたくさん住んでいましたが、人が住めるようなところはほとんどなく、地元出身者以外は、半強制的に学生寮のお世話になることになりました。
その学生寮は1人部屋と2人部屋があり、私のような地方出身者はありがたいことに1人部屋、首都圏出身者は2人部屋となり(首都圏出身者は頻繁に実家に帰ることができるからだと理解していました)、首都圏出身の前述の武骨な友人は、やたら運転が上手い友人(入学したときから運転免許を持っていました)と2人で住んでいました。
その友人は、最初はバイクに乗っていましたが、すぐにトヨタの「2代目カローラのクーペモデル:カローラ クーペ」を買って乗り回していました。
ということで今回から【前編】【後編】の2回に渡り、友人が乗っていた「カローラ クーペ」と、その「カローラ クーペ」をベースに造られた超スパルタンモデルの「カローラ レビン:以下レビン」、そしてその「レビン」のその後についてご紹介したいと思います。
今回【前編】では、友人が乗っていた「カローラ クーペ」と、超スパルタンモデルの「レビン」をご紹介させていただきます。
なお本ブログは、私の学生時代のつたない記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。
2.「カローラ クーペ」とは
「初代カローラ」と日産の「初代サニー」は、誕生当初から激しく鎬を削っており、クーペモデルもほぼ同時期に追加されました。大衆車ということでどうしてもおっさん臭いイメージになりがちなところに、スポーティなクーペモデルを投入することで、少しでも若者の目を惹きつけたいという戦略だったようです。
「初代カローラ」のクーペモデルは、「カローラ クーペ」ではなく「カローラ スプリンター」と名付けられ、販売チャネルもカローラ店ではなく、オート店で販売されました。
その後1970年5月にフルモデルチェンジされて2代目となり、そのタイミングで「カローラ」と「スプリンター」は別ブランドとなりました。そして「カローラ」にもクーペモデルが設定され「カローラ クーペ」と名付けられました。
「スプリンター」は、当初クーペモデルのみの設定だったので「スプリンター」のままでしたが、翌年に4ドアセダンが追加されたので、クーペモデルは「スプリンター クーペ」と改名されました。
3.「レビン」とは
「カローラ クーペ」は、当初は1.2リッター直列4気筒OHVエンジン(3K型)のみでしたが、1970年9月には1.4リッター直列4気筒OHVエンジン(T型)が設定され、さらに1971年4月にツインキャブレターと5速マニュアルミッションで武装したスポーティグレード[1400SR]が設定されました。
そして1972年3月には、さらにその上をいく1.6リッター直列4気筒DOHCエンジン(2T-G型)を搭載した「レビン」が登場し、兄弟車の「スプリンター」には、「スプリンター トレノ:以下トレノ」という名で設定されました。
ちなみに「レビン(LEVIN)」の意味は英語の古語で稲妻、「トレノ(TRUENO)」の意味はスペイン語で雷という意味なのだそうです。なんだかアリスの名曲のようです。
この(2T-G型)エンジンは、もともとは以前ブログでご紹介した、未来の国からやってきた「初代セリカ:以下セリカ」に搭載されており、それを「セリカ」より100kgほど軽い「カローラ クーペ」のボディに押し込んだわけで、その凄まじい走りは容易に想像ができました。確かに稲妻であり雷です。
前後のタイヤハウスには、いかついオーバーフェンダーが装着されており、宣伝メインカラーと思われるモスグリーンのボディと相まって、とてもスパルタンな雰囲気を醸し出していました。
4.友人の「カローラ クーペ」
友人の「カローラ クーペ」のグレードは前述の[1400SR]で、ツインキャブレターと5速マニュアルミッションで武装したスポーティモデルでした。ボディカラーはモスグリーンで、オーバーフェンダーは装着されていませんでしたが、雰囲気は「レビン」に近いものがありました。
パワーウエイトレシオは「レビン」には及びませんが、当時のハイパワーカーの区切りとなる10を切っており、なかなかいい出足をしていました。
我が愛車「ケンメリ(4代目スカイライン:マイナー後なのでGC111)」とシグナルグランプリをすると(道路交通法は遵守しています)、最初は友人の「カローラ クーペ」に先を越されますが、その後セカンドの2000回転からの心地よい伸びで(厳しい排ガス規制を課せられていても、このゾーンだけは一応[2000GT]でした)、一気に「ケンメリ」が抜き返しました。
「ケンメリ」には負けはするものの、冒頭にお話しした通り友人はやたら運転が上手く、5速のマニュアルミッションをダブルクラッチで電光石火のごとくシフトチェンジするテクニックは、なかなか見事でした。
5.「レビン」への憧れ
あるとき、友人の「カローラ クーペ」に乗り込むと、何とも立派なセンターコンソールが装着されていました。どうやって手に入れたのかは分かりませんが、どうやら「レビン」に装着されているもののようでした。
「レビン」はベース車のインスト上部にあるラジオスペースが3連メーターに置き換わっているので、その立派なセンターコンソールにはラジオ(オプションだったようです)が装着できるスペースが確保されていました。
ちなみに友人の「カローラ クーペ」のグレードの[1400SR]にはセンターコンソールは装着されておらず、フロアトンネルから直接シフトレバーが生えていました。なかなかワイルドでした。
どうやら友人は、ずっと前から「レビン」に憧れていたようでした。ひょっとしたらこの勢いでオーバーフェンダーまで装着するのではと思っていましたが、悲しいかな低年式車(当時のクルマは5年ほどで結構へたりました)ということで、次第に調子が悪くなりある日突然、別のクルマに入れ替わっていました。
6.「カローラ クーペ」の主要諸元
「カローラ クーペ」の主要諸元を下表に示します。左から順にベーシックグレードの[1200DX(デラックス)]、友人が乗っていた[1400SR]、そして「レビン」となります。全長は3車とも同じですが、「レビン」は、オーバーフェンダーが装着され、足回りが固められている分、全幅が広がり、全高が低くなっていました。
足回りは3車とも、前輪こそストラット/コイル方式でしたが、後輪はこのクラスの当時の定番だった旧態依然としたリーフリジット、いわゆる板バネ方式でした。それを強引にダンパーで固めた「レビン」は、コーナーリングではさぞかしじゃじゃ馬ぶりを発揮したのではないかと思います。
7.おわりに
以上が、やたら運転が上手い友人が乗っていた「カローラクーペ」と、その「カローラ クーペ」をベースに造られた超スパルタンモデルの「レビン」についてのご紹介になります。
世の中は、より利便性が高いSUV (Sports Utility Vehicle) やミニバンに移行し、「カローラクーペ」どころか「カローラ」そのものですら、絶滅危惧種になりつつありました。
その「カローラ」は、現在ではセダンのみならず、ハッチバック、ワゴン、SUV、GRモデルの5つのモデル(旧型の併売は除く)をラインナップに揃えて息を吹き返しつつあります。そしてライバルだった日産の「サニー」は、もうとっくの昔に姿を消してしまった中で、いまでも「カローラ」ブランドを守り続けているトヨタはさすがです。
次回【後編】では、今回ご紹介した「レビン」が、その後どうなっていったのかをご紹介したいと思います。
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