我が青春を彩ったクルマたち:その4(初代シビック編:やけにすばしっこいクルマでした。)
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1.はじめに
前々回(その2)、前回(その3)では、カッコいいのにお手頃だったので、学生時代に多くの友人が乗っていたトヨタの「初代セリカ:以下セリカ」と、その「セリカ」に乗っていた友人たちのエピソードをご紹介しました。
そのエピソードの中にもありましたが、私も含めて当時の友人たちは若気の至りで、かなり不適切なことをやりたい放題でした。そしてその中には、普段はまじめで武骨なのですが、酔っぱらうとキングコングの物まねをして、なりふり構わず物を破壊する(決して人は傷つけませんでしたが)友人がいました。
その友人はホンダの「初代シビック:以下シビック」に乗っており、さすがにそのクルマだけは破壊することはなく、大切に乗っていました。ということで今回は、その武骨な友人が乗っていた「シビック」をご紹介したいと思います。
なお本ブログは、私の学生時代のつたない記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。
2.「シビック」とは
2-1)先人は「N360」
ホンダは1967年3月に、軽自動車の常識を大きく覆す「N360」を発売しました。当時の軽自動車の常識は、せいぜい20馬力で40万円程度といったところでしたが、この「N360」は、30馬力越えの30万円ちょっとで、あっというまに軽自動車の頂点を極めました。
駆動方式もスペース効率のいいFF(Front engine Front drive)方式を採用し、速い、広い、安いという、売れないわけがないクルマでした。
その後1971年6月に、より上を求めるユーザーのニーズや、厳しくなりつつあった排ガス規制に対応するために開発された「ライフ」に、「N360」はバトンを渡しました。
「シビック」は、この「N360」と「ライフ」で培った技術で開発され、1972年7月に発売されました。そしてホンダは小型車市場でも、「N360」と同様の、速い、広い、安いを実現して大成功を収め、「ライフ」で陰りをみせていたホンダの新車販売は、再び息を吹き返すことになりました。
ちなみにホンダは販売が好調な「シビック」の生産を優先し、1974年に「ライフ」の生産を停止し、一時的に軽自動車市場から撤退することになりました。その後1985年に「トゥデイ」で復活し、しばらく鳴かず飛ばずでしたが、2011年にホンダが本気で開発した「N-BOX」が大ヒットし、現在では軽自動車だけでなく、すべての新車販売台数NO.1(2023年実績)の座に君臨しています。
2-2)ワイド&ロー
「シビック」のワイド&ロー(当時としては)の2ボックススタイルは、セダンが席巻していた小型車市場ではとても新鮮で、どこか欧州のコンパクトカーの雰囲気を感じさせてくれました。
まだまだ昭和真っただ中の時代で、大きいほうが偉い、と誰もがが思っていた中で、この「シビック」は、小さくても恥ずかしくない、個性が主張できるクルマでした。
2-3)2ボックスカーなのに2ドア
「シビック」は発売当初、2ドアのみでした。その2ケ月後にリアゲートを持つ3ドアが追加されましたが、まだ2ボックス=3ドアの構図ではなく、むしろ2ドアの方が主流でした。
当時のクルマは建付けが悪く、リアゲートがあると剛性が落ちてきしみ音が出やすくなるとか、そもそもセダンが幅を利かせていた時代なので、セダンと同じく、小さいながらもトランクが付いていてほしいといった考え方だったのかもしれません。
2-4)やけに広い足元
「シビック」は、先人の「N360」から引き継ぐFF方式で、とてもスペース効率がいいクルマした。当時は日産の「チェリー」などは既にFF方式を採用していましたが、「シビック」ほどFF方式を活かしきれていないという印象でした。
それに対し「シビック」は、FF方式はフロントとリアを結ぶドライブシャフトが無いという強みを最大限に活かして、できる限りフロアをフラットにし、わざわざ足元を狭く見せるセンターコンソールを排除し、今まで見たことがないような、広大な足元のスペースを確保していました。
まだFR(Front engine Rear drive)方式が主流で、ドライブシャフトを通すフロアトンネルをかっこよくセンターコンソールで覆い隠し、あえて包まれ感を出していた時代に、この「シビック」の広大な足元は本当に驚きでした。
2-5)ゴリゴリシフト
そんな斬新な「シビック」でしたが、FF方式がゆえのネックがありました。これは「シビック」に限らず、他のFF方式を採用するクルマに共通したことですが、当時大半を占めていたマニュアルミッションのシフトチェンジがゴリゴリしていたことです。
これはエンジンを横置き(一部縦置きもありました)にし、トランスミッションをその横(一部下のタイプもありました)に付けているので、クルマの真ん中にあるシフトレバーからリンクを介してトランスミッションを操作することになり、当時の技術ではどうしてもこのゴリゴリ感は消せないようでした。
ちなみに、FF方式がゆえのもう一つのネックであるトルクステア(急加速時にハンドルを取られる現象)は、「シビック」では結構抑えられていたと記憶しています。
3.友人の「シビック」は
3-1)グレードは[GL]
友人の「シビック」は、ボディカラーはモスグリーンで、グレードは[GL]でした。我が愛車「ケンメリ(4代目スカイライン:GC110、正確にはマイナーチェンジ後なのでGC111)」のグレード体系からすると、[GL]は1.8リッターの4気筒エンジンのファミリー向けのグレードというイメージが強かったので、友人は中古でお買い得なグレードを買ったのかなと勝手に思っていました。
今回ブログを書くにあたり、あらためて「シビック」のグレード体系を調べてみると、1974年10月にスポーティグレードの[RS(ロードセイリングでレーシングスポーツではありません)]が発売されるまでは、[GL]はエンジン性能も他のグレードより少しアップした、最上級グレードであったことが分かりました。長い間、勘違いしていてすいませんでした。
3-2)やけにすばしっこいクルマ
「シビック」のホイールベースは、2.2mで、「ケンメリ」より40cm以上短く、最小回転半径は4.7mで、「ケンメリ」の5.2mよりも50cmも小さい値でした。
私が学生時代に住んでいたところは発展途上の地で、片側3車線の立派な道路があると思えば、ちょっと外れると、田舎の(すいません)の入り組んだ細い道になったりして、まるで高度成長期に舞い戻ったかのようなところでした。
そんなアンバランスな道路環境の中で、友人の「シビック」と「ケンメリ」でよく競い合いました。片側3車線の立派な道路でシグナルグランプリをすると、直線区間では一応グロスですが公称130馬力(実測では100馬力に達していなかったようです)の「ケンメリ」が、ほんの少しだけリードします(あくまで法定速度の範囲内です!)。
ただタイトなコーナーや田舎の入り組んだ細い道に入ると、かぜん「シビック」が本領を発揮し、あれよあれよという間に置いていかれてしまいました。本当にすばしっこいクルマでした。
5.「シビック」の主要諸元
「シビック」の各グレードの主要諸元を下表に示します。追加投入されたスポーティグレードの[RS]の走りは圧倒的などと、当時のカー雑誌でよくレポートされていましたが、あらためて見ると友人の[GL]の方が車重が軽い分、パワーウエイトレシオが8.78と、[RS]の9.15より良い値であることが分かります。すばしっこいはずです。
6.おわりに
以上が、武骨な友人の乗っていた「シビック」のご紹介になります。
その後「シビック」は代を重ね、現在では11代目となっています。当初は2ドアの2ボックススタイルからスタートしましたが、3ドアハッチバック、5ドアハッチバック、4ドアセダンなどバリエーションが拡大していき、現在国内ではファストバックスタイルの5ドアモデルとなっています。
受注生産のスポーツモデル [タイプR]は、マニアの間では絶大なる人気を博していますが、残念ながら現在は半導体不足などで供給が不安定となり、受注を停止しているようです。
初代のイメージが強い私から見ると、正直なところ最新型の「シビック」は似て非なるもので、以前の「シビック」の役割は「フィット」が担っているようです。
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