我が青春を彩ったクルマたち:番外1(アメ車編【前編】:マスタングを毎朝拝んでいました。)

2024年9月18日

1.はじめに

 本編(その2)(その3)の「初代セリカ」のご紹介の中で、フォードの「マスタング」を参考にした(パクった)様々なオプションが選べるフルチョイスシステムや、ファストバックスタイルのリフトバック(LB)のお話をしました。

本編(その3):初代セリカ編【後編】
本編(その3):
初代セリカ編
【後編】
本編(その2):初代セリカ編【前編】
本編(その2):
初代セリカ編
【前編】

 そんなお話をしているうちに、こどもの頃に映画のスクリーンや、TVのブラウン管の中で走り(飛び?)回っていたアメ車たちを思い出しました。

 まだ人を乗せてまっすぐ走ることで精一杯だった国産車(失礼)に対し、大量のガソリンを巻き散らせ、豪快にタイヤを鳴らしてドリフトしながら走り回るアメ車たちは、めったにお目にかかることができない別世界のクルマたちでした。

 ということで、今回から【前編】【後編】の2回に渡り、まだ私が小学生だった1960年代に輝きを放っていたフォードの「初代マスタング」と、GMの「2代目シボレー コルベット スティングレー(C2):以下2代目コルベット(C2)」をご紹介したいと思います。

 今回【前編】では、あの名優スティーブ・マックィーンがハンドルを握って爆走した「初代マスタング」と、そのどう猛な派生モデルをご紹介します。

 なお本ブログは、私の少年時代、学生時代のつたない記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。

2.「初代マスタング」とは

2-1)ポニーカーとして爆発的なヒット

 アメリカでは1960年代に入ると、第2次世界大戦後に大量(?)に生まれたベビーブーマー(日本でいうところの団塊の世代)たちが、運転免許を取得してクルマを所有し始めました。

 「初代マスタング」は、そのベビーブーマーたちをターゲットにしたポニーカー(お手頃な若者向けのクルマ)として開発され、1964年に発売されました。

 ちなみに「初代マスタング」は、当時フォードの副社長を務めていた、アメリカの自動車業界を語る上で欠かせない人物であるリー・アイアコッカ(以下アイアコッカ)の指揮のもとで開発されています。

 さすが敏腕のアイアコッカということで、「初代マスタング」は下記の通りポニーカーの条件を十分すぎるほど満たしたクルマでした。

●エクステリアデザイン: ロングノーズ、ショトデッキの定番のスポーティーカーデザイン
●販売価格: 大衆車「ファルコン」と部品共用化を積極的に行い、大幅な開発費と部品費の削減を図ることで、2000ドル台の販売価格を実現(当時1ドル360円でしたが、それでも72万円です)
●販売方法:「初代セリカ」も参考にしたフルチョイスシステムにより、ユーザーの好みのクルマに仕立て上げられる

 そして「初代マスタング」は、なんとあの「T型フォード」以来といわれるほどの大ヒットとなり、発売翌年の1965年の販売台数は約56万台に達したのだそうです。

 いくら自動車王国のアメリカとはいえ、スカイライン史上最も売れた我が愛車「ケンメリ:4代目スカイライン(GC110)」の5年間の累計販売台数の約67万台に迫る数字を、わずか1年間で達成したことになります。

2-2)映画の中でも大活躍

 「初代マスタング」が登場する映画で有名なのは、1968年に公開されたスティーブ・マックィーン主演の「ブリッド」です。最初にお話ししたように、スティーブ・マックィーン自らがハンドルを握って繰り広げられるカーチェイスは圧巻でした。

映画の中で爆走する「初代マスタング」のイメージ
映画の中で爆走する「初代マスタング」のイメージ

 もうひとつは、いつ見たのかはよく覚えていませんが、1966年に公開されたクロード・ルルーシュ監督のフランス映画「男と女」の中で、「初代マスタング」のオープンカーがフランシス・レイの美しい音楽が流れる中を、華麗に走り抜けていくシーンが、私の記憶には強く残っています。

 フランシス・レイといえば、1968年にフランスで開催されたグルノーブル冬季オリンピックの記録映画の中で流れた「白い恋人たち」も、本当にきれいな曲で大好きでした。なんだか、やけにませた少年だったようです。

2-3)どう猛な[初代マスタング]

 ポニーカーという、どちらかといえばナンパなイメージの「初代マスタング」でしたが、1965年にマッチョでどう猛な「シェルビー350GT」という派生モデルが追加されました。

 「シェルビー350GT」は、SCCA(全米スポーツカー協会)のBプロダクションでのレースのホモロゲーションを取得するために、敏腕レーサーかつカーデザイナーのキャロル・シェルビーにチューニングが託されました。

 ちなみに映画「フォード vs フェラーリ」の中でも描かれましたが、同氏はレーシングカー「GT40」で、1966年のルマン24時間レースでフォードを優勝に導き、その後4連覇しています。

 「シェルビー350GT」は、エンジン、サスペンションの強化はもちろんのこと、ボンネットをFRP製にするなどして軽量化を徹底的に施し、さらにレースの規定に適合させるためにリアシートを取り払って2シーターとなっていました。

 ただそんなどう猛な「シェルビー350GT」には、なんとレンタカー会社のハーツ向けのAT仕様もあり、そのハイパーフォーマンスを気軽に楽しむこともできたようです。いかにもアメリカらしいです。

「初代マスタング」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー:写真は「シェルビー350GT」です)
「初代マスタング」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー:写真は「シェルビー350GT」です)

2-4)近所の「初代マスタング」

 そんな映画の中でしかお目にかかることできない「初代マスタング」でしたが、実は私の小学校への通学路の途中にあった運送会社の広大なガレージの中に、大型トラックたちの傍らに「初代マスタング」が止まっていました。

 おそらくその運送会社の社長さんのクルマだったと思いますが、シルバーのクーペでいつもピカピカでした。その社長さんは高度成長期の中で、けっこう儲けられたことと察します。

 この運送会社に止まっていたシルバーの「初代マスタング」のことは、毎朝拝ませてもらっただけあって、今でも鮮明に覚えています。

大型トラックの傍らで佇む「初代マスタング」のイメージ(社長さんの「初代マスタング」はシルバーでした。)
大型トラックの傍らで佇む「初代マスタング」のイメージ(社長さんの「初代マスタング」はシルバーでした。)

3.「初代マスタング」の主要諸元

 「2代目マスタング」と「シェルビー350GT」の主要諸元を下表に示します。少し古いクルマなので、各データが欠けたり怪しいところもありますが、リファレンスを尊重していますのでご了承ください。

 あらためて各データを見てみると、思っていたより両者とも車重が軽く、それに対してかなり馬力があるので、おそらくタイヤを鳴らしてフロントノーズをあげながら、凄まじい勢いで加速していったものと思われます。

 ただ「2代目マスタング」は、前述のフルチョイスシステムで2.8リッター直列6気筒OHVの100馬力ほどの非力なエンジンも選ぶことができたようなので、そのオーナーは絶対にシグナルグランプリの挑発にはのらなかったと思います。

「2代目マスタング」と「シェルビーGT350」の主要諸元

4.おわりに

 以上がアメ車編の【前編】、「初代マスタング」とその派生モデルである「シェルビー350GT」のご紹介になります。

 「マスタング」は、オイルショックの影響でダウンサイジングされたりしましたが、現在で7代目となり「初代マスタング」の面影を感じるスポーティなモデルとして健在です。ただ私にとっての「マスタング」は、やはり小学校のときに毎朝拝んだ「初代マスタング」となります。

 次回【後編】では、TVドラマの中で空をも飛んだ「2代目コルベット(C2)」のお話と、プラスワンで私が学生時代に、けたたましい爆音を響かせて走り回っていた「2代目カマロ」のお話も、少しだけしたいと思います。

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