我が青春を彩ったクルマたち:番外13(いすゞの名車:フローリアン編:開発コードは “117” でした。)
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1.はじめに
(番外11)(番外12)では、いすゞの誇る名車「117クーペ」をご紹介しました。巨匠ジウジアーロがデザインした流麗なクーペは、私の中では今もなお「トヨタ2000GT」「コスモ スポーツ」とともに “日本三大美車" として記憶に刻まれています。
その中で、「117クーペ」は、足回りはいすゞのアッパークラスのセダン「フローリアン」の、ほぼ流用だったというお話をしました。
「フローリアン」は当時街中をけっこう走っており、親父の同僚も乗っていたので、わたしの思い出深いクルマのひとつになっています。
ということで今回は少し地味ですが、この「フローリアン」をご紹介したいと思います。
なお本ブログは、私の少年時代のつたない記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。
2.「いすゞ117」と「117スポーツ」
前述の通り「117クーペ」は「フローリアン」の足回りを流用していました。それは単に開発済みの「フローリアン」と「ベレット」の2択から、「フローリアン」が選ばれただけだと思っていました。
それが前回の「117クーペ」のブログを書いているときに、「フローリアン」は「117クーペ」とともに、1966年の第13回東京モーターショーに、「いすゞ 117」という名で出展されていたことが分かりました。ちなみに「117クーペ」は「117スポーツ」でした。
「いすゞ 117」は「117スポーツ」とともに、なんとイタリアのカロッツェリア、ギア社に依頼してデザインされた兄弟車で、同時に開発されていたようです。ただのギア社の「いすゞ 117」の担当デザイナーが、「117スポーツ」と同じジウジアーロだったかはよく分かりません。
市販後の両車はまったく別物のように映りますが、プロトタイプの「117スポーツ」のCピラー周りのデザインは少し間延びした感じになっており、「フローリアン」と通じるものを感じます。

市販車同士比較しても、小ぶりで両サイドに寄ったリアのコンビランプも、たしかに同じ血統であることが分かります。

3.「フローリアン」とは
3‐1)6ライトデザイン
「いすゞ 117」は「117クーペ」より一足早く、1967年11月に「フローリアン」として発売されました。当時はやたらキャビンがでかいクルマとしか思っていませんでしたが、あらためてギア社のデザインだと思うと、6ライトの新鮮なサイドビューを持つ、なかなか垢抜けエレガントなクルマに映るようになりました。
全長、全幅は「117クーペ」とほぼ同じですが、全高は125mm高く、ビッグキャビンの6ライトデザインと相まって、そのボディは実寸以上に大きくみえました。
”となりのくるまが小さくみえます” なんてTVCMが流れていたような時代だったので、その実際より大きくみえるボディと、本当に広い室内空間で、発売当初はなかなか好調な販売実績を残したようです。

3‐2)楕円をモチーフ
「フローリアン」はエクステリアデザインだけではなく、インテリアデザインもなかかなユニークで、楕円をシンメトリーにモチーフしたインパネは、一度みたら二度と忘れられないようなデザインでした。
子供のころ親父の同僚のクルマに乗せてもらい、そのインパネをみるたびに、赤塚不二夫先生の「天才バカボン」に登場する、”本官は” と連呼しやたら拳銃を撃ちまくる、目ン玉つながりのおまわりさんを思い出してしまいました。

3‐3)ビルトインクーラー
まだクーラー(エアコンではありません)は、後付けで助手席のグローブボックスの下に吊り下げるのが一般的だった時代に、「フローリアン」にはビルトイン型のクーラーを標準装備するグレードがありました。
ビルトイン型といっても、大胆にも助手席のグローブボックスをつぶして、そこにクーラーの吹き出し口を配したものでしたが、兄弟車の「117クーペ」は同じ純正といっても吊り下げ型だったことを考えると、画期的だったと思います。
ただグローブボックスがなくなってしまって、車検証などをどこに入れていたのかは分かりません。

4.主要諸元
下表に「フローリアン」と「117クーペ」の主要諸元を示します。前述の通り両車の足回りは基本的に共用しており、サスペンションの形式とホイールベースは同じとなっています。
1.6リッターの直列4気筒エンジンの基本型式は同じですが、バルブの駆動方式は「フローリアン」のコンベンショナルなOHV(Over Head Valve)型に対して「117クーペ」は高性能DOHC(Double Over Head Camshaft)型で、その出力は40馬力近く差がありました。
「117クーペ」のG161W型エンジンは、当時の1.6リッタークラスのエンジンの中では最強で、少し重めの1050kgのボディでありながら、最高速度:200km/h、0-400m加速:16.8secの当時のトップクラスの走行性能を誇りました。
ただ一見鈍重そうな4ドアセダンの「フローリアン」も、その車重は、「117クーペ」より100kg以上軽く(かなり意外でした。もっと重そうに見えました。)、最高速度:150km/h、0-400m加速:18.9sec、と同クラスのセダンの中では卓越した走行性能を誇っていました。
そして1969年3月には、ツインキャブに仕様のスポーティグレード[TS]を追加し、さらに性能アップを図っています。子供のころに、太っているのにやたら足の速いやつがいたことを思い出しました。

5.おわりに
以上が、「フローリアン」のご紹介となります。
「フローリアン」は、その後マイナーチェンジのたびに、その時代に合わせてフェイスチェンジがおこなわれ、発売当初の異形角型から、丸型4灯、そして最後は角型4灯となりました。

(なんとなくロールスロイスに似ています)
エンジンも1.6リッターのシングルキャブにツインキャブの追加、バルブ駆動方式もOHVからSOHC(Single Over Head Camshaft)に変更、1.8リッターへの排気量アップ、そして最後はいすゞらしくディーセルエンジンの追加などをおこない、1982年10月に販売は終了となりました。
「117クーペ」の13年を上回る15年の長寿車でした。いまから思えば「フローリアン」も、いすゞの誇る名車のひとつでした。
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