22年夏 日光・那須の旅:その5(日光の名勝を巡っているうちに、中学校の修学旅行の記憶がよみがえってきました。)
Contents
1.はじめに
22年夏 日光・那須の旅:その3 でもご紹介した奥日光三名爆や日光東照宮などを巡っているうちに、徐々に中学校の修学旅行の記憶がよみがえってきたので、今回はその思い出話をご紹介したいと思います。
2.修学旅行の旅程
確か2泊3日で、下記のような旅程だったと記憶しています。すでに50年近く前の話なので、多少の記憶違いはご了承ください。
【1日目】 早朝国鉄岐阜駅から修学旅行専用列車「こまどり号」に乗り、午後品川駅に到着。バスに乗り換えて東京観光、東京タワーを車内から、国会議事堂は内部を見学、その後都内の旅館(多分文京区本郷あたりの旅館)に宿泊。
【2日目】 東武浅草駅から東武線に乗り、東武日光駅で下車、バスでいろは坂を上って男体山、中禅寺湖、華厳の滝を見学、その後いろは坂を下り鬼怒川温泉のホテルに宿泊。
【3日目】 日光東照宮を見学、その後東武日光駅から東武浅草駅に戻る。浅草の国際劇場で松竹歌劇団(SKD)のショーを見たのちに、どの駅から乗ったかは覚えていませんが、再び「こまどり号」に乗って岐阜に帰る。帰りの「こまどり号」は時間的に多分夜行だったと思います。
3.こまどり号で東京に
3-1)こまどり号で負担軽減
私の中学校は親御(おやご)さんの負担を少しでも抑えるために運賃の安い「こまどり号」を選んだようです。
まず最初にご紹介するのは、修学旅行専用列車の「こまどり号」です。当時はすでに東海道新幹線が開通しており、岐阜の中学校は新幹線を使うところと、そうでないところが半々ぐらいだった思います。
3-2)あっという間の8時間
朝早く国鉄岐阜駅を出発し、「こまどり号」は東海道本線をひた走りました。品川に到着したのは確か太陽が傾きかけていた時間だったので、仮に7時に出発して15時に到着したとすると8時間かかったことになります。
ただみんなと泊りで旅行に行くということで、楽しくて楽しくてたまらなかったのでその8時間はあっという間でした。
4.電車とバスで日光へ
4-1)補助椅子で日光に向かう
2日目に東武鉄道で日光に向かいましたが、こちらの車両は横一列座りの通勤用車両で、なんと真ん中に縦長の椅子を応急的に入れて、実質3列で座りました。そして私はくじ運が悪いので、真ん中の席になりました。
4-2)運転手泣かせのいろは坂
東武日光駅でバスに乗り換えていろは坂を上りましたが、カーブで対向車とすれ違うたびにバスの運転手さんが苦労して切り返しをしていたという記憶が残っています。
いろは坂はずいぶん前(多分私の修学旅行より前)から第一と第二に別れ、各々下り専用、上り専用の一方通行になっていたはずなのに、なぜそのような記憶が残っているのかと疑問に思いました。
少し調べてみると確かに1965年に上下線は分かれたようですが、第二いろは坂は明智平と中禅寺湖の区間はつい最近の2019年まで対面通行だったようです。
4-4)黄色いカーブ警告
カーナビ画面(上下縮尺が違っていますが、ご了承ください)を見ていただくと分かるように、第一(左下)第二(左上)ともにいやになるほどのカーブが続きます。
ただ、道がよく整備されているので、以前ご紹介した赤城山の旧道よりは格段に走り易かったと思います。
またカーブ警告も赤城山の新道にあった波打つものではなく、オードドックな段差塗装でしたが、色は臙脂(えんじ)色ではなく黄色でした。
5.修学旅行はグループ行動
5-1)いろいろな奴たち
修学旅行では、数人でのグループ行動が基本になっていました。
受験のある高校、大学と違い、中学校の時の仲間には個性的な人間が多く
・結構悪かった奴
・まじめで寡黙な奴
・人を笑わせるのが好きな奴
・かっこいいのに奥手でなかなか彼女ができない奴
・一所懸命陸上競技に打ち込んでいるのに微妙に優勝できない奴
などなど本当にいろいろな奴がいました。
旅行中もみんなで馬鹿ばかりしていて、途中で先生にお灸をすえられたりもしました。でも本当に楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。
5-2)懐かしい白黒写真
そんな修学旅行の写真ですが、前述の「こまどり号」もそうであったように、親御さんの負担を少しでも抑えるために、カメラはグループで一台で白黒フィルムを指定されました。
したがって私の修学旅行の記憶はすべて白黒です。今回の旅行で撮った写真を加工して、私の記憶に残っている白黒写真を再現してみました。フィルムの枚数も限られるので、どこで撮る写真もみんなで一緒でした。加工した写真と分かっていても、なぜかなつかしく感じるのは白黒の効果なのかもしれません。
6.刺激的な最後の夜
修学旅行最後の夜は、浅草の国際劇場で松竹歌劇団のショー見ました。
華やかな衣装を身にまとった美女たちが、舞台の上で一糸乱れぬゴージャスなダンスを繰り広げて楽しませてくれました。というか中学生にはちょっと早いのではと思えるダンスショーが、修学旅行に組み込まれているなんて、これも昭和ど真ん中、古き良き時代だったのかもしれません。
そしてそのあと、ほぼ全員爆睡状態の中学生たちを「こまどり号」は岐阜まで運んでくれました。
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