我が青春を彩ったクルマたち:番外8(しんがりのロータリー車編【前編】:最初にコスモが姿を消しました。)

1.はじめに

 (番外6)では、マツダが執念で開発した日本初のロータリー車、初代コスモ「コスモ スポーツ」のご紹介しました。そして本編(その8)では、歴代ロータリー車の中で最も輝いていた(私見です)初代RX-7「サバンナ RX-7」を、学生時代に見知らぬ女性が乗っていたクルマとしてご紹介しました。

本編(その8):初代 サバンナ RX-7のご紹介ブログ
本編(その8):
初代 サバンナ RX-7
のご紹介ブログ
(番外6):コスモ スポーツのご紹介ブログ
(番外6):コスモ
スポーツのご紹介ブログ

 その華々しくデビューした、初代コスモ「コスモ スポーツ」も、初代RX-7「サバンナ RX-7」も、その後代を重ね、今では両車とも姿を消しています。

 今回から【前編】【中編】【後編】の3回に渡り、そのコスモのしんがりを務めた「ユーノス コスモ」、RX-7のしんがりを務めた「アンフィニ RX-7」、そしてロータリー車のしんがりを務めた「RX-8」の3台をご紹介したいと思います。

 今回【前編】では、その中から最初に姿を消していった「ユーノス コスモ」と、歴代のコスモたちを、ご紹介したいと思います。

 なお本ブログは、私のつたない記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。

2.歴代のコスモ

2‐1)初代コスモ

 冒頭でもご紹介したように、初代コスモは「コスモ スポーツ」という名で、1967年5月に華々しいデビューを飾りました。これから始まるロータリー車の時代を予感させるのに、十分すぎるほどのインパクトのあるクルマで、1972年まで5年間販売されました。

初代コスモの外観(国産名車コレクション付録ミニカー)
初代コスモの外観(国産名車コレクション付録ミニカー)

2‐2)2代目コスモ

 初代コスモの販売終了から3年ほど間があきましたが、1975年10月にエレガントなクーペスタイルで2代目コスモは「コスモAP」として復活しました。

 APとはAnti Pollutionの意味で、レシプロエンジン車が、ますます厳しくなる排ガス規制をクリアするために苦しむ中で、ロータリー車は、排ガスの中でその処理が一番厄介な窒素酸化物(NOx)の発生が少ないという利点を生かし、必要最小限の対策で大きくパワーを落とすことなくしのぐことができました。

 この2代目コスモは、そのエレガントなエクステリアデザインと、厳しい排ガス規制の中でも衰えぬロータリーパワーで、またたく間に人気モデルとなりました。

 その後、ノッチバックスタイルのランドウトップという、後席の居住性を改善した「コスモ L」を追加して、その人気をモデルライフで維持し続けました。

2代目コスモのイメージ:「コスモAP(左)」、「コスモL(右)」(パワポで作成)
2代目コスモのイメージ:「コスモAP(左)」、「コスモL(右)」(パワポで作成)

2‐3)3代目コスモ

 そして私が学生生活を謳歌している真っただ中の1981年9月に、3代目コスモ「コスモ(サブネームは付いていませんでした)」がデビューしました。2代目のエレガントさは踏襲しつつも、リトラクタブルヘッドライトを採用するなどした、なかなか前衛的なエクステリアデザインで、2代目ほどの人気とはなりませんでしたが、堅調な販売実績を残しました。

 以前もお話ししましたが、私が学生時代に過ごしたところは、ド田舎と未来都市がチグハグに融合したところだったので、畑の中に近未来的な建物が点在しており、その中のひとつで、この3代目コスモのカタログ撮影の現場を目撃したことがあります。

 まだ発売前にもかかわらず、秘匿管理はまったくなされておらず、特に注意されることなく普通に見学できました。不思議でした。でも本当に未来的なクルマだと感じました。

3代目コスモのイメージ:2ドア(左)と4ドア(右)があり、4ドアは「ルーチェ」と兄弟車でした。(パワポで作成)
3代目コスモのイメージ:2ドア(左)と4ドア(右)があり、4ドアは「ルーチェ」と兄弟車でした。(パワポで作成)

3.マツダの集大成「ユーノス コスモ」

3‐1)大人のプライベートクーペ

 バブル景気の絶頂期の1990年4月に、コスモのしんがりを務めることなる4代目コスモ「ユーノス コスモ」はデビューしました。このころになると5ナンバー枠に縛られることなく、自由にエクステリアのデザインがなされるようになっていたので、「ユーノス コスモ」も超ワイド&ローで、初代コスモを彷彿させるようなスモールキャビンのノッチバッククーペスタイルでした。

 ボディ形状は2ドアのみで、一応乗車定員は4名となっていましたが、完全に大人の2人(❤)のためのプライベートクーペでした。ちなみに販売価格は当時の「スカイライン GT-R(R32型)」よりも高価だったようです。

「ユーノス コスモ」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)
「ユーノス コスモ」の外観(国産名車コレクション付録ミニカー)

3‐2)ルマンを制覇

 「ユーノス コスモ」に搭載されたエンジンは、従来の2ローターにローターを1つ追加して3ローターとし、さらに2基のタービンを有するシーケンシャルターボで武装した、ロータリー史上最強の20B型エンジンでした。

 エンジン出力こそ行政指導の下、カタログ値は280馬力に抑えられていましたが、41.0kgmという大排気量のアメ車並みのぶっといトルクと相まって、重量級のボディをV12気筒エンジン並みの滑らかさで軽々と高速域まで引っ張っていきました。

 そして「ユーノス コスモ」がデビューした翌年の1991年のルマン24時間レースでは、さらにローターを1つ追加して4ローターとなったR26B型エンジン(どこかで聞いたような型式です)を搭載したレーシングマシン「787B」が、国内自動車メーカーの悲願となっていた総合優勝を果たしました。

 その勝利には日本中が沸き返りました。これがロータリー車の頂点でした。

4.コスモの主要諸元

 初代コスモ「コスモ スポーツ」と、4代目コスモ「ユーノス コスモ」の主要諸元を下表に示します。代を重ねるごとにそのボディサイズは大きくなり、4代目のボディの中に、初代のボディがすっぽりと収まるほどとなっています。

 エンジン出力も倍以上、車両重量も倍近くになっており、あらためて30年近い長い年月を感じさせられます。

「コスモ スポーツ」と「ユーノス コスモ」の主要諸元

5.おわりに

 以上が、華々しくデビューしたロータリー車たちのしんがりを務めたクルマの中で、最初に姿を消していった「ユーノス コスモ」をご紹介になります。

 次回【中編】では、一世を風靡したRX-7の最後を締めくくった「アンフィニ RX-7」をご紹介したいと思います。「アンフィニ RX-7」のエクステリアデザインは、歴代RX-7の中でも、もっとも美しく、もっとものびやかで、もっとも躍動感がある、究極のRX-7ともいえるほどでした。

 ただバブル経済の崩壊のあおりをうけ、不運な末路をたどることになりました。

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