我が青春を彩ったクルマたち:番外2(アメ車編【後編】:コルベットは空を飛んでいました。)

1.はじめに

 前回【前編】では、あの名優スティーブ・マックィーンがハンドルを握って爆走した「初代マスタング」と、そのどう猛な派生モデル「シェルビー350GT」をご紹介しました。

(番外1):アメ車編【前編】
(番外1):
アメ車編【前編】

 今回【後編】では、TVドラマの中で空をも飛んだGM(ゼネラルモータース)の「2代目シボレー コルベット スティングレー(C2):以下2代目コルベット(C2)」のお話と、プラスワンで私が学生時代に、けたたましい爆音を響かせて走り回っていた同じくGMの「2代目シボレー カマロ:以下2代目カマロ」のお話も、少しだけしたいと思います。

 なお本ブログは、私の少年時代、学生時代のつたない記憶と、定期購読誌「国産名車コレクション」、「名車文化研究所」や自動車メーカーなどのサイト、を参考にして書いていることをご承知おきください。

2.「2代目コルベット(C2)」とは

2-1)目指すはヨーロッパのスポーツカー

 今も昔もアメリカが世界一の自動車保有率を誇る自動車大国(年間販売台数と保有台数は中国に抜かれていますが)であることは誰もが認めるところでありますが、意外なことにスポーツーカーと呼べるクルマが登場したのは1950年代に入ってからになります。

 第2次世界大戦も終わり、多くのアメリカ兵がヨーロッパから祖国に帰ってきましたが、その方々からの “ヨーロッパで見たスポーツカーを祖国でもぜひ実現して欲しい" という要望が強まりました。

 そしてその要望に応えるべくGMが開発を進め、1954年に発売したのが、オープンボディの2シータースポーツカー「初代コルベット(C1)」でした。当時は日本国内でもそうでしたが、スポーツカー = スパルタンなオープンカーという図式が強かったのかと思います。

 そしてわがままなユーザーたちは、そのスポーツカーにも快適性を求めるようになり、1962年にオープンモデルだけでなく、エアコンが装備された快適なクーペモデルもライナップに加えた「2代目コルベット(C2)」が誕生しました。

 エクステリアデザインは、その後しばらく続く「歴代コルベット」の原型ともいえる、とにかくマッチョで、とにかく長いノーズ、そしてその長いノーズに大排気量V型8気筒エンジンをに収めて後輪を駆動するFR(Front engine Rear drive)方式が特徴でした。

 ただ時は流れ、2020年に登場した最新型「8代目コルベット(C8)」は、長いノーズとはお別れし、なんとミッドシップのエンジンレイアウトに変更され、キャビンフォワードのイタリア系のスーパーカー張りのエクステリアデザインになってしまいました。

 唯一の救い(?)は、形変れど未だにアメ車の伝統(?)であるV型8気筒OHVエンジンであることでした。

「2代目コルベット(C2)」の外観
「2代目コルベット(C2)」の外観

2-2)空飛ぶ「コルベット」

 「初代コルベット(C1)」は、アメリカのTVドラマ「ルート66」に登場していたようですが、「2代目コルベット(C2)」は、なんと日本のTVドラマに登場していました。

 まだ私は小学校の低学年だったのでぼんやりとですが、俳優の川津祐介さんが主人公で、オープンモデルの「2代目コルベット(C2)」が空を飛んだり、海に潜ったりしていたことを覚えています。

 少し調べてみるとこのTVドラマは「スパイキャッチャーJ3」というアクションドラマで、国際秘密警察に属するスパイキャッチャーたちが、国際謀略反乱グループと対決するというストーリーだったようです。ちなみにあの心霊俳優(?)の丹波哲郎さんも出演されていました。

「スパイキャッチャーJ3」の中で活躍する「2代目コルベット(C2)」のイメージ
「スパイキャッチャーJ3」の中で活躍する「2代目コルベット(C2)」のイメージ

3.「2代目カマロ」のホットロッド

 ここまでが【前編】【後編】に渡る、1960年代に隆盛を極めた「初代マスタング」と「2代目コルベット(C2)」のお話となりますが、私が青春時代(学生時代)にはさすがに時がたちすぎており、この2台にお目にかかることはほとんどありませんでした。

 私の青春時代には、派手なボディカラーやシャコタン(車高を落としたクルマ)のクルマたちがたくさん走り回っていました。ただそれに飽きた一部の方々が、「初代マスタング」を追いかけて登場したGMの「初代シボレー カマロ」の息子にあたる「2代目カマロ」の、リアサスペンションのシャックルという部品を改造してお尻を持ち上げ、ホットロッドスタイルにして走り回っていました。

シャコタンの「ケンメリ」(私のではありません)と ホットロッドの「2代目カマロ」のイメージ(パワポで作成)
シャコタンの「ケンメリ」(私のではありません)と ホットロッドの「2代目カマロ」のイメージ(パワポで作成)

 私の小学校時代の友人が、当時この仕様の「2代目カマロ」に乗っていたので一度だけ乗せてもらいましたが、ブレーキを踏むたびにシートから前に滑り落ちそうになりました。

 ハンドルはホットロッド定番の小径の鎖のタイプが付いていましたが、どんな握り心地だったのかはよく分かりません。そのときに握っておけばよかったです。

鎖のハンドルのイメージ(パワポで作成)
鎖のハンドルのイメージ(パワポで作成)

 その友人はその小径の鎖のハンドルをクイックに切りながら、交通量がそれなりの片側2車線の一般道で、何度も車線変更(割り込み?)をして前に前に進んでいきました。

 車線変更のときに前しか見ていないので(もちろんミラーは見ていたと思いますが)、"大丈夫なのか?" と聞いてみると、"周りのクルマが避けてくれるので大丈夫だ!" という回答がありました。当時この手のクルマが近づいてきたら、避けて運転していたのは正解だったようです。

白煙をまき散らせて爆走する「カマロ」のイメージ(パワポで作成)
白煙をまき散らせて爆走する「2代目カマロ」のイメージ(パワポで作成)

4.各車の主要諸元

 「2代目コルベット」と「2代目カマロ」、参考までに前回ご紹介した「初代マスタング」の主要諸元を下表に示します。少し古いクルマなので、一部データが欠けたり、怪しいところもありますが、リファレンスを尊重していますのでご了承ください。

 3車とも大排気量のV型8気筒OHVエンジンで、少しアクセルを踏み込むだけで簡単に後輪から白煙が上がる大排気量エンジンならではの圧倒的なパワーが、アメ車の最大の魅力となっていました。

 その後オイルショックなどの影響で、アメ車全体がダウンサイジングの方向に向かいましたが、特に「マスタング」は顕著で、1979年に発売された「3代目マスタング」は、全長×全幅×全高が(4562mm × 1755mm × 1323mm)で、全幅のみ国内の小型車枠には収まらないものの、国産車並みのサイズになりました。

 エンジンも2.3リッターの直列4気筒エンジンから用意されており、日本での一番安い販売価格が200万円を切ったということで、けっこう話題になっていました。

 当時私の親父も、このクルマに一瞬触手を伸ばそうとしましたが、アメ車を買ったらあとで絶対に後悔するという、私も含めた周囲の猛反発を浴びて断念しました(当時のアメ車は信頼性が低かったようです)。

「2代目コルベット」と「2代目カマロ」と「初代マスタング」の主要諸元

5.おわりに

 以上が、【前編】【後編】の2回に渡る、1960年代のアメ車の象徴であった「初代マスタング」と「2代目コルベット(C2)」、そしてプラスワンで「2代目カマロ」のご紹介になります。

 最近めっきり面倒くさがり屋になってきた実家の兄貴が、酔っぱらうとところかまわず “俺の夢はアメ車に乗ることだ" と騒ぐようになりました。

 今でもアメ車は、「8代目コルベット(C8)」は前述の通りイタリア系のスーパーカー張りのクルマになってしまいましたが、「マスタング」や「カマロ」は昔の面影を彷彿させる姿でまだまだ頑張っています。

 そんなアメ車を夢見て、兄貴はつたない年金で宝くじを買い続けているようです。気持ちはよく分かります。たぶん夢で終わると思いますが。。。

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